太田述正コラム#5559(2012.6.25)
<映画評論33:英国王のスピーチ(その3)>(2012.10.10公開)

 ちなみに、この映画では、ヨーク公/ジョージ6世夫妻とチャーチルとの関係は、一貫して良好であったかのように描かれていますが、譲位問題の危機の際に、チャーチルがエドワード8世を支持した(注2)ことから、微妙なものがあり、両者の関係が良好になったのは、首相となったチャーチルが戦時指導者として名を挙げて以降であったようです。(A)

 (注2)TV番組の『英国王のスピーチの真実—ジョージ6世の素顔』のDVDを鑑賞したが、当時の英国の世論は、本件でおおむねエドワード8世支持だったようだ。彼は、プリンス・オブ・ウェールズ時代の大変な人気
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%89%E3%83%AF%E3%83%BC%E3%83%898%E4%B8%96_(%E3%82%A4%E3%82%AE%E3%83%AA%E3%82%B9%E7%8E%8B)
を国王になっても維持していたということだろう。機会があれば、改めて、この軽薄さの権化のような人物について書いてみたい。

 さて、<この映画の脚本を書いた>サイドラーは、ヒッチェンスによる批判に対し、次のように反論しています。

 「<ヒッチェンスはカットしたことを問題にしているが、>私がカットしたことで未だに悔んでいるのは、ジョージ5世の安楽死の場面だ<けだ>。
 老いた国王は死につつあったが、その時間が問題だった。
 尊敬されないところの夕刊紙群が、デヴィッド(エドワード8世)と米国人の二度の離婚歴のあるウォリス・シンプソンとの醜聞的関係に言及しかねないことから、誰もが、国王の死のニュースが、尊敬すべきタイムスとBBCで最初に報じられることを望んでいた。
 (駄洒落でも何でもなく、)デッドライン<(「死ぬ瀬戸際」と「締切」がかけられている(太田))>は深夜だった。
 国王は不都合にもなかなか身罷らなかったので、頸静脈にモルヒネとコカインを混ぜたものが注射され、死期が早められた。
 私は、この場面を残すことが、成り行きによりドラマ性が付与されるだけでなく、それが新しいメディアの凄まじい力を示すことにもなると思った。
 メディアの力こそ、バーティが直面させられることになったものだから・・。
 <しかし、>この場面は撮影されたものの、・・・<監督と>制作者達は、最終的に、これは余りにも議論を呼ぶ話であってこの映画全体に影を投げかけてしまうかもしれないと思ったのだ。
 この判断は多分正しかったのだろうが、私は、いまだにカットしたことを悔やんでいる。・・・
 <さて、ヒッチェンスの批判一つについてだが、>私は父方の祖父母をホロコーストで失った。
 <だから、>そんな私が反ユダヤ主義を賛美するようなことはありえない。
 私は、バーティに関する研究を広範に行い、本件に関する本を山のように読んだが、<ヒッチェンスの>主張を裏付ける、ただ一つの示唆にも出会ったことがない。
 エドワード8世とウォリス・シンプソンは知られたナチ・シンパだったが、ジョージ6世は決してそうではない。
 <ヒッチェンスの>この紛い物の主張は、<バーティによる、>パレスティナからの不法<ユダヤ人>移民達を引き返させることを支持するあいまいな手紙に拠っている。
 <しかし、>これは英国政府の立場を反映したものであって、国王の個人的選好を反映したものではない。
 この政策は、現在では悲劇と見なされているけれど、我々が思い出さなければならないのは、当時の中東は、今日と同じく、激動下にあったということだ。
 欧州における戦争への準備がなされていない時にあって、英国が最も回避すべきだったのは、レヴァントの保護領<(=パレスティナ)>の更なる非安定化だった。
 このことと、ジョージ6世をナチ・シンパであるとして非難することとの間のギャップは大きい。
 更に言えば、英国も米国も戦争をユダヤ人達のために戦っていると見られることを欲しなかった、という暴虐的真実がある。
 繰り返すが、これは<英国>政府の見解であって、ジョージ6世の見解というわけではなかった。
 ローズベルトは、難民達が流入してくることを促進するようなことは嫌がっていた。
 それ以降においても、ケネディ以降の米大統領は、すべて、それが抑圧を逃れてきた者であろうと、不法移民の受け入れを防止する政策をとった。
 米国がキューバ人やハイチ人のボート難民を送り返した時に、オバマ大統領が人種主義者だと言われただろうか。・・・
 <もう一つの批判についてだが、>ヒッチェンスは、チャーチルが、バーティではなくデヴィッド(エドワード8世)を支持したことを知らなかったと私を非難する。
 もちろん私はそのことを知っていた。
 チャーチルは、献身的君主主義者であったので、当然のこととして、正当な後継者<たるエドワード8世>に固執したが、ついに彼はデヴィッドに対し、ウォリス・シンプソンをバルモラル城に連れて行くなと、そして、彼女と結婚できるように彼女を<夫と>離婚をさせるな、と警告するに至った。
 デヴィッドが、そのどちらの助言も無視し、世界戦争が近づいているというのに、自分の国で内戦を引き起こしかねないことをしようと明らかに思っていたことから、チャーチルは、しぶしぶ、流れの真ん中で・・・馬を乗り換えたのだ・・・。
 この映画のどこでチャーチルが現れるか?
 バルモラル城でだ。
 それはまさに、チャーチルがバーティに乗り換えた瞬間だった。
 私は、チャーチルに、彼がこれまでデヴィッドを支持していたけれど、どうして忠誠の対象を変更したかを語らせ、それを撮影した。
 しかし、<監督>は、正しくもその部分をカットした。
 というのも、この映画は長すぎたし、この場面を入れるとだれ気味になったからだ。
 いずれにせよ、我々がこの映画で見せたものは、完全に正確なのだ。
 ヒッチェンスは全くそうは思っていないけれど、チャーチルとジョージ6世は、その後、極めて緊密にして温かい関係を持ったからだ。
 ヒッチェンスはまた、バーティが<、チェンバレンが>ヒットラーに対して宥和したことを支持したと非難する。
 しかし、<当時は、>チャーチルを除く、イギリス人のほとんど全員が同じく宥和主義者だったのだ。
 後からあれこれ言うのは易しい。
 <しかし、考えても見よ。>第一次世界大戦で、イギリスは一世代の上澄み<の青年達>を失った。
 <だから、>誰もまた戦争などしたくなかった。
 <実際、>イギリスは<戦争の>準備ができていなかった。
 チェンバレンは、軍需生産を増大させるための時間を必要としたのであり、彼はまさにそれを実行したのだ。
 これを、宥和者の行為だなどとは到底言えない。
 彼がミュンヘンから「我々の時には平和」を手にして帰国した時、首相官邸に集まった群衆は、英雄たる彼に喝采を送った。
 もちろん、ジョージ6世夫妻も彼を支持した。
 憲法上、彼らはそうしなければならなかった。
 それに、そもそも、彼らは平和を本当に欲していたのだ。
 戦争を最後の手段と考えることと、ヒットラー・シンパであることの間には大きなギャップがある。
 ヒッチェンスがこのギャップをどのように飛び越えたのかは私の理解を超える。
 彼は、自分の反君主主義的感情に支配されて歴史を見ている。
 しかも、彼は、人と反対のことを言うことが好きだときている。・・・」(C)

 この「勝負」、史実認識及び論理において、完膚なきヒッチェンスの敗北です。

3 終わりに

 癌は、最期まで意識がはっきりしている病気だといいます(典拠省略)。
 しかし、死期が近づいているということを意識している人間が、平常心を維持できるとは限りません。
 あのヒッチェンスにして平常心を維持できなかった、と思いたいところです。
 ただ、私に言わせれば、サイドラーですら、もっとジョージ6世を誉め、チャーチルを貶してしかるべきでした。
 以前にも記したので詳しくは述べませんが、私は、ジョージ6世が、ヒットラーを打倒するためには手段を択ばないであろうことを危惧したがゆえにチャーチルが首相となることに反対したと見ており、この危惧は、チャーチルが日本を先の大戦に引きずり込むことで、日本帝国のみならず大英帝国まで瓦解させてしまったことで的中した、と考えています。
 これは、チャーチルのような侮日家はもとより、知日派ではあっても打算的にしか日本を見ることができなかったチェンバレンとも違って、本当の親日家であり、当然のことながら、大英帝国についても、チャーチル以上に愛して止まなかったジョージ8世にとっては、堪え難いことであったに違いありません。
 だからこそ、彼は、先の大戦とそれに引き続く大英帝国の瓦解によって消耗し尽くし、1952年にわずか56歳で急逝した
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%BC%E3%82%B86%E4%B8%96_(%E3%82%A4%E3%82%AE%E3%83%AA%E3%82%B9%E7%8E%8B)
のだと思うのです。

(完)