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太田述正コラム#5765(2012.10.6)
<皆さんとディスカッション(続x1685)>

<コラム#5763の訂正>(ブログは訂正済)
日韓の指導層がイカンとこの記事は言ってるが、それは、日本の指導層をここで引き合いに出すのは止めて欲しいね。

日韓の指導層がイカンとこの記事は言ってるが、日本の指導層をここで引き合いに出すのは止めて欲しいね。

新しく応募した青年も熱烈な日本ファンだ。

新しく竹島の警官に応募した青年も熱烈な日本ファンだ。
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<太田>(ツイッターより)

 「中国の教科書<では、>…1876年の江華島条約をめぐっては、朝鮮が清の藩属国から中国、日本による保護国になったとしている。…」
http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2012/10/05/2012100501354.html …  正解は、日本は朝鮮と不平等条約を締結し、清は朝鮮を藩属国から保護国(属国)にしようとした、
< http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%9D%E4%BF%AE%E5%A5%BD%E6%9D%A1%E8%A6%8F >
だけど、面白いねえ。

<rcH9gzjHO>(「たった一人の反乱」より)

 安倍総裁は、総理の椅子に片思いして野党の党首で終わるか、野田総理に協力して歴史に名を残すかの二択だね。

<scy2Z+qv0>(同上)

 自民党の方が支持率の高い今の時点ではさすがに不遜がすぎる気もせんでは無いが・・・。
http://news.livedoor.com/article/detail/7010471/
 俺も野田佳彦を信じてるけど、それでもまだまだ厳しい状況が続いてるしね。

 あとコラム#5763にあった記事。
http://sankei.jp.msn.com/life/news/120909/bks12090907550009-n1.htm
 この記事↑読んでて思ったんだけど、こういうレッテル張って、産経は世論の安倍晋三批判を封じ込めようとしてると思うのは考えすぎだろうか?
 ネットで政治関係のスレを覗いてると、どうも最近、安部批判の記事は全てマスコミの捏造って世論誘導されてる気がするんだよなぁ。
https://livedoor.3.blogimg.jp/vipsister23/imgs/6/7/671e067f.jpg
 個人的にはこんな状態↑になっても安倍晋三を支持してる三宅久之を情報ソース元にしてるような記事を良く信じる気になるなぁって感じだけど。

<太田>

 それでは、その他の記事の紹介です。

 台湾の学者が、尖閣についての中共/台湾側の主張を論駁するコラムを書いている。
 時間があるので、さわりの部分を訳すことにした。↓

 「・・・唐の時代に魏徴等によって書かれた随書
< http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9A%8B%E6%9B%B8 >
と、宋の時代に欧陽脩等によって書かれた新唐書
< http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B0%E5%94%90%E6%9B%B8 
がある。>
 この二つの書は、釣魚台列嶼(Diaoyutai Islands)が、現在の沖縄の古名である琉球の人々によって発見されたことを伝えている。
 当時は、釣魚台列嶼は、琉球と支那の間を行き来する船の目立った航海標識に過ぎなかった。
 それらは、琉球と支那のどちらも領有する意思のない、小さな諸島だったのだ。
 5世紀から15世紀にかけての約1,000年間は、人々は釣魚台列嶼の存在こそ知っていたものの、彼らはこの諸島に名前を付けることはなかった。
 オックスフォード大学のボードリアン(Bodleian)図書館のコレクションの中に15世紀に書かれた案内書があるが、その中で、東アジアにおける歴史的海路が、10を超える数、描写されている。
 この本は、釣魚台嶼をそのような名称で呼んだところの、最も初期の一次史料だ。・・・
 明と清時代の60を超える支那の文書の中で、不正確な記録である1つを除き、釣魚台列嶼を支那または琉球に属していると記録しているものは皆無だ。・・・

→この1つの文書って何なのでしょうね。
 また、それはいかなる意味で「不正確な記録」なのでしょうね?(太田)

 ・・・日本は釣魚台列嶼に対して1885年に先占宣言を行ったが、清政府は、その時もそれ以降も、それに対していかなる異議も発していない。
 清の後を襲った中華民国もまた異議を発していないし、中華人民共和国も1970年より前まで、一切苦情を申し立てていない。
 それどころか、同国は、釣魚台列嶼が日本に属していることを示すいくつもの地図さえ発行している。
 台湾の人々は、日本が、1895年1月14日に釣魚台列嶼に国章を設置した時、日清戦争はまだ終わっていなかったことを念頭に置くべきだ。
 清海軍は連敗を重ねていたけれど、清はまだ降伏はしていなかった。
 だから、釣魚台列嶼問題は、1895年4月17日に調印された下関条約とは関係がないのだ。
 ちなみに、下関条約で描かれた台湾の地図には釣魚台列嶼は含まれていない。

→「含まれていない」というのは、台湾の領域として海上に描かれた線の外に釣魚台列嶼があるということなのか、割譲されたところの台湾の領域を示す地図に釣魚台列嶼が描かれていないということなのか、描かれているのかいないのかはっきりしないけれど、釣魚台列嶼という名称は見あたらないということなのか、等を知りたいところですね。(太田)

 つまり、馬<台湾総統>は、釣魚台列嶼は日本に下関条約で割譲されたという声明を出したが、それは嘘だということだ。」
http://www.taipeitimes.com/News/editorials/archives/2012/10/05/2003544393

 いずれにせよ、どうして、これだけ大問題になっている話なのに、日本の主要メディアの電子版は、台湾のメディアほどもまともな議論をしないのかねえ。

 毛沢東の晩年のヒヒ爺ぶりが描かれている。
 これも訳しておこう。↓

 「・・・毛沢東は、時間が空けば、美しい17、18歳の女の子達と共に過ごした。・・・そして、夜になると、人民大会堂の広々として立派な調度品のある118号室に彼女達と閉じこもったものだし、1966年末からは、・・・中南海
< http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%8D%97%E6%B5%B7 >
の室内プールのある建物の中で集団「寝間着パーティ」を開催するようになった。・・・
 ・・・この乱痴気騒ぎを、梅毒に罹っていたと思われる毛沢東は、これらの若い女性達に強いたのだ。
 この<プレイボーイ社オーナーの>ヒュー・ヘフナー(Hugh Heffner)的な大はしゃぎは、要は70代の老人主席が(情報によっては、しばしば17歳未満であったところの)彼女達を強姦したということであって、彼女達にとっては迷惑千万なことだった。・・・」
http://online.wsj.com/article/SB10000872396390444813104578016243142147194.html?mod=WSJ_Opinion_MIDDLESecondBucket

 ほぼ同時代人である、毛沢東同様の殺人鬼であったスターリンもヒットラーも、殺人数で毛にはるかに及ばないだけでなく、毛とは違って、性的放縦とは無縁だった。
 毛死後から現在に至る中共上層部は、こんな毛沢東の崇拝者であり続けているわけだが、彼らもまた、全員、言葉の正しい意味で、毛同様、人間の顔をした獣である、と言っておこう。
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太田述正コラム#5766(2012.10.6)
<映画評論35:アルゴ(その3)>

→非公開

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