太田述正コラム#5450(2012.4.29)
<利己主義・利他主義・人間主義(その5)>(2012.8.14公開)

 (4)集団外の人間への敵意

 「・・・我々の超社会的精神は、偉大なる祝福であるとともにひどい呪いなのだ。
 諸実験が示すところによれば、見知らぬ者同士の集団で連帯の感覚を引き出すことは衝撃的なほど容易だ。
 単に彼らにチームとして一緒に仕事をせよと伝えればいいのだ。
 そうすれば、彼らはただちに一緒にチームとして仕事を始め、その間中、信頼できるとか有能だとかいった顧客による五つ星評価を相互に与え続けるものなのだ。
 <ところが、>それと同時に、我々は、友愛的枠組みの外に落っこちてしまう人達に対して、いつでも戦いを行う気にもなるのだ。
 諸実験において、心理学者達が、被験者達を、特性を適当に割り当てた複数の集団・・一つの組には青チーム、もう一つの組には緑チームといったレッテルをつける・・へと分けると、例えば、これら集団は相互に中傷しあい、緑の被験者達は青の被験者達が信頼できず不公正であると<いった>、自分達の「敵(opponents)」に対する強い諸偏見を表明し始めた。
 「集団内構成員となることとそうなることによって深い愉楽を覚えることへの駆動力から、容易に、より高い水準の部族主義が導き出される」とウィルソンは言い、<その結果、>息をのむような暴虐行為を伴う宗教的、民族的(ethnic)、そして政治的諸紛争がもたらされうる、というのだ。・・・」(E)

 「・・・<我々は、>何かを速やかにかつ断固として学ぶ生得の性向<を持っている。>
 実際、認知心理学者達は、新生児達は彼らが耳にする最初のいくつかの音に対して、彼らの母親の顔に対して、そして彼らの第一言語の音々に対して、極めて敏感だ、と指摘する。
 その後は、彼らは、自分達が耳にした第一言語を以前にしゃべったことのある人々を優先的に見つめる。
 同様に、小学校前の子供達は、第一言語のしゃべり手を友人として選ぶ傾向がある。・・・
 <だから、>人々は自民族中心主義になりがちだ。
 心に負担のない(guilt-free)選択権を与えられた時でさえ、個人が、同じ人種、民族、氏族、そして宗教<の信者>と同席することを好む、というのは心地悪い事実だ。
 彼らは、こういう人々をより信頼するし、<こういう人々を相手にしていると>ビジネスや社会行事においてよりくつろげるし、結婚相手として<こういう人々を>通常好むのだ。・・・
 他方、近づいてくるアフリカ系米国人は医者で白人は彼の患者だ、といった適切な文脈が付け加えられた場合、より高次の学習中枢と統合されているところの、<扁桃体ならぬ>脳の他の2つの部位である、帯状皮質(cingulate cortex)と背外側優先中枢(dorsolateral preferential cortex)が活性化し、扁桃体(amygdala)を通ってくる入力を沈黙させる。・・・
 しかし、<我々は、>扁桃体が活動を支配している場合は、敵の満足の行く破壊へと物語が展開する暴力的なスポーツ行事や戦争映画を鑑賞することによって愉楽を覚えることに、ほとんど、或いは全く罪を意識を感じない。・・・」(F)

 (5)ウィルソン批判再論

 「・・・<誰かと>遺伝的に親戚であるかどうかなど、ほとんど重要なことではない。
 血族淘汰、すなわち、リチャード・ドーキンスばりの「利己的遺伝子」、と対置されるところの、集団淘汰は、著者<のウィルソン>の途方もない提案(big idea)だ。
 シロウトの読者で<この提案に>異論を唱える者はほとんどいないだろうが、ウィルソンの同僚たる生物学者達においては必ずしもそうではない。
 血族対集団淘汰は、依然として<彼らの間で>議論の対象になっているのだ。」(D)

 「・・・人間の支配的地位(dominance)ないし実存的不安(existential angst)の源泉についてのウィルソンの諸観念に生物学者達全員が同意しているわけではない。
 幾ばくかの人々は、人間を好社会的であると呼ぶことに抵抗し、この言葉を蟻のような動物・・たった1匹ないしは少数の集団構成員が生殖し、残りの連中は女王の子供達(brood)の面倒を見る・・だけに限定した方が良いとする。
 また、その他の生物学者達は、集団淘汰を援用することを嫌い、個々の系統に立脚したところの、より単純で時の試練を経た諸モデルだけで充分である、と言っている。・・・」(E)

(続く)