太田述正コラム#5448(2012.4.28)
<利己主義・利他主義・人間主義(その4)>(2012.8.13公開)

 「・・・ウィルソンは、利他主義は、個人淘汰あるいは血族淘汰の結果ではなく、集団淘汰の結果である、と主張する。
 チャールス・ダーウィン自身、共通の善のために貢献したり自らを犠牲にしたりすることを厭わない構成員を多数擁している種族は「他の種族よりも勝利しがちである」と唱えた。
 社会心理学、考古学、進化生物学の最近の証拠を踏まえて、ウィルソンは、ダーウィンが正しかった、とする抗い難く、かつ多面的な説を構築する。
 高度な社会的生活、或いは好社会性、を発展させた種、とりわけ、蜂、蟻、シロアリ、そして我々人類、は仰天するほど成功したけれどそういう種は稀なのだ。
 「我々の先祖は、有機体を超える、生物学的組織の次の主要水準であるところの、好社会性を進化させた、わずか20いくつかの動物の系統のうちの一つだ」とウィルソンは記す。 
 「そこでは、2或いはそれを超える世代の集団構成員達が、若干の個人達の生殖を他の者達のそれよりも優先しつつ、一緒にいて、協力し、若い者達の世話をし、分業をする」と。
 蟻の間の進化的競争とは何であるかは、固体レベルではなく集落(colony)・・女王蟻の遺伝子の延長たる超有機体であって他の巣との間で適性度に関する戦いを行う・・レベルにおいて、最も良く理解が出来る。
 人類にとっては状況は更に複雑だ、とウィルソンは主張する。
 我々は、部族的たるべく、集団に参加し、「<一旦>参加すると、当該集団が競争相手の諸集団よりも優れていると考える」ように遺伝的に規定されるに至った、と。
 我々の<属している>集団・・部族、社会、民族・・は支配的地位を目指して互いに競争し合うが、<それと並行して、>個人としては、我々は個体淘汰により集団の中で生存と再生産に係る競争を行う。
 <その場合、>利己的な個人は利他的な個人を打ち負かすかもしれないが、利他主義者からなる集団は利己的な人々からなる集団を打ち負かす。
 人間の状況は、おおむね、この二つの衝動の間の緊張関係の産物である、とウィルソンは結論付ける。・・・」(B)

 「・・・好社会的昆虫の間では、個体の犠牲において集団を支える衝動はおおむね本能的なものだ。
 しかし、このゲームを人間が行うにあたっては、精細に調整されたところの、利他主義、協力、競争、支配(domination)、相互性、変節(defection)、詐欺(deceit)、の複雑な混淆物が必要とされる。
 人間は、自分の友と敵とを問わず、その感情を計るため、そして、個人的な社会的相互作用に係る戦略を立てるため、他者への共感を感じなければならなかった。
 その結果、人間の脳は、高度に知的であると同時に甚だしく社会的なものになった。・・・」(F)

 「・・・古からの<我々>お好み<のテーマであるところの、>・・大きな脳、道具、言語、火・・に対して敬意をもって頷いた後、著者は、これらは、我々の圧倒的な「好社会性」の背景を単に供給しているだけだ、と主張する。
 我々は世界で最も甚だしく社会的な生物であって、相互に依存しあう個人からなる複雑な諸社会に住んでいる、と。
 ウィルソンは、<人類の組織以外の>もう一つの好社会的組織として、蟻<の組織>をあげる。
 蟻は人類が出現するより前の5,000万年の間地上生活を支配していた。
 <また、人類出現後も、>蟻は1位<たる人類>のすぐ後に続く2位であり続けている。
 著者<ウィルソン>は、この全く異なった二つの種を、<生物の種の>一かたまりの頂点へと跳ね上げた、強力であるところの、しかし、稀なる進化戦略について、挑発的な比較を行う。
 どちら<の進化戦略>も、個体が、しばしば、防御可能である巣を<実際に>守るために、自分達自身を犠牲に供しつつ、協力し、利他主義的に行動することに由来するのだ、と。
 人類においては、この枢要なる第一歩は、100万年以上前に焚火の周りに拡大家族群が集まった時に始まった。
 <そして、>次第に、複数の世代の構成員達が分業を行い、専門化して行った。
 自然淘汰がこの好社会性を拡大する方向に働いたところ、進化したのは<個体ではなく>集団であった、ということをウィルソンは強調する。・・・」(D)

(続く)