太田述正コラム#5446(2012.4.27)
<利己主義・利他主義・人間主義(その3)>(2012.8.12公開)

 (3)集団内での利他主義

 「・・・蟻は、動物寓話の極めて成功した部門に属し、<その数は、>全地上動物的なものの、恐らく4分の1を占め、我々人類が占める生物体量(biomass)の割合に匹敵すると考えられる。
 蟻は、南極大陸以外の全ての大陸で、あらゆる環境(setting)にいて、ピクニックでは蟻が嫌いかも知れないが、殺虫剤で蟻がいなくなった公園は、あなたはもっと嫌いだろう。・・・
 第二次世界大戦中のソロモン諸島においては、「木に登った米海兵隊狙撃手達は、日本兵を恐れたと同じくらい職工蟻(weaver ant)を恐れたという」とウィルソンは記す。
 ウィルソンは、新たに出版された『地球の社会的征服』・・2度ピュリッツァー賞を受賞した彼の27番目の本・・の中で、巣は蟻の生態学的な支配的地位(dominance)だけでなく、人類によるそれについても、理解するための中心的な存在だ、と主張する。
 蟻は、それが住む小さい生息地を支配し、他の昆虫や小動物をその隅での生活へと追いやる。
 他方、人類は、大きな世界を所有しており、根底的かつ迅速に変異してきたために、一種の地質学的勢力の資格がある存在となっている、とウィルソンは言う。
 こんな凄い力を我々と蟻達はどうやって手に入れたのだろうか。
 それは、超協力者達、集団のグルーピーとなり、我々の小さな利己的欲求と私志向の衝動を横にどける意志を持ち、自己犠牲的な巣志向の種族として勢力に参加し機会を攫むことによってだ。
 大きな或いは小さな凝集性でもって集団内で生活することによって裨益している動物たる、社会的動物はこの世界にはたくさんいる。
 しかし、単なる社会的から好社会的・・・へと跳躍を行った種はほんのわずかだ。
 好社会的と言えるためには、ウィルソンの定義によれば、その動物は多世代コミュニティで生き、分業を行い、利他的に行動し、「少なくとも自分の個人的利害を集団の利害の」犠牲に供する用意がなければならない。
 好社会者たることは容易ではない。
 どうして、<好社会者なんて止めて、>鷲掴みにし、貪り食ってとんずらを決め込まないのだろうか。
 何と言っても、持続的協力の実入り(payoff)はでっかい<、というのがその答えだ>。
 「好社会性は、」水生動物による地上の征服、或いは、翼や花の発明に匹敵するところの、「生物史における主要な革新の一つだった」とウィルソンは記す。
 好社会性は、「有機体を超える生物学的複雑性の次のレベルであるところの、超有機体を創造した」と彼は主張する。
 この高い地位の状態へと拍車をかけたものは、集団の成員達を毎日そこに戻りたいと誘惑し、彼らをぴったりと相互にくっつかせ最終的にそれが彼らが家と呼ぶに至るまでになったところの、尊ばれる不動産の一片<(=巣(太田)>であることが常だった。
 「好社会性を達成した全動物種は、例外なく、まず最初に自分達を敵から守る巣をつくる」とウィルソンは記す。
 蟻塚、蜂の巣、<人類に関しては、>その周りで洞窟にすむ子供達が遊ぶことができるところのパチパチ音のする焚火。そこには洞窟に住む老人たちがおり、バッファローの一切れが日がな焼け焦がされる。
 侵入者があれば、もちろん、その場で石投げ刑に処せられる。
 ウィルソンがそう見ているように、人類は好社会的な類人猿なのであって、その極端な一緒性(togetherness)において、我々<人類>は、現存する他の猿や類人猿や、我々より以前にいた、あるいは共存して現在では絶滅したネアンデルタール人・・明らかに精緻なキャンプ地或いは他の<動物の場合の>巣に相当するものを構築することが余りなかった・・等の数多のヒト科<の生物>とは明確に区別される。
 焚火において鍛造され、「壁に並ぶ100瓶の蜂蜜酒(100 bottles of mead on the wall)」<(注6)>をしばしば歌うことで疑いもなく増幅されたホモ・サピエンスの勢いに対しては、ネアンデルタール人は兵隊蟻の通り道に出っくわした、よるべなきバッタのようなものであったのではなかろうか。

 (注6)ローマ時代のサターンの神の祭りであるサターナリア(Saturnalia)と関係がある、ということしか分からなかった。
http://articles.boston.com/2011-12-25/books/30550127_1_christmas-pageant-joseph-f-kelly-jesus
http://en.wikipedia.org/wiki/Saturnalia

 しかし、我々の好社会的本性はロボットのような蟻とは似ても似つかないものだ。
 それは、全く異なった経路を辿り、また、それは、解剖学的現実(anatomy)、知力、感情、自由意思の感覚といった我々の人間性の他の側面によって縛り上げられて発展した。
 彼は、我々を、我々の前史を駆け抜ける素晴らしいひと走りに連れて行ってくれる。
 そのハイライトは、完全な全球的支配(dominance)を達成するための段階ごとの交戦規則だ。
 規則1:陸生の(terrestrial)動物たれ。
 「打製石器と木製シャフトを超える技術の進歩は火を必要とする」とウィルソンは言う。
 「ネズミイルカやタコが、ふいごと鍛冶場の炉を発明することなど絶対に不可能だ」と。
 規則2:大きな陸生の動物たれ。
 大部分の陸上生物はかろうじて1ポンドか2ポンドの重量しかないが、もしあなたが大きな脳を持とうというのなら、あなたはそれを支える大きな身体を必要とする。
 規則3:正しい両手を獲得せよ。
 標準型の、犬猫等の足(paw)、蹄(hoof)やかぎつめ(claw)じゃダメなのだ。
 対象物を持ったり操作するためには、あなたは、「へら形の(spatulate)指が先端についた物を掴める手」が必要なのだ。
 我々の柔軟な複数の指(digits)とそれらと向かい合った親指でもって、我々は、申し分のない運動者(kinesthetes)となり、手でもって世界の寸法を計り、我々の思考力を豊かにした。
 「対象物を扱うことからくる感覚のための脳の総合調整力(integrative powers)は、他の全ての知力の領域にあふれ出て行く」とウィルソンは言う。
 「へら形の踏みすき<(指(太田))>は、社会的知能(social intelligence)<の形成>につながる。
 両手でもって、我々はこんにちわと手を振ったり、取引を取り決めたり、他人と連絡をとりあったり、サークルに参加したりすることで、大勢の人を一つに統合する」と。・・・」(E)

→私が生物学の分野に土地勘がないせいだけだとも思えないのですが、各評論子の文章も、引用されたウィルソンの文章も翻訳に難儀しています。(太田) 

(続く)