太田述正コラム#5406(2012.4.7)
<日本・法王庁「同盟」(その2)>(2012.7.23公開)

 この回勅は、この政策はあくまでも共産主義を対象としたものであって、ロシアの人民を対象としたものではない、とを断っています。

 「・・・このように述べたからといって、余が慈父の情を寄せているソヴィエト連邦の諸民族を一括して非難するわけではない。余は、かれらの多くが、しばしば同国の真の利益に無関心な人々によって強制された首かせのもとに呻吟していることを知っているし、他の多くの人々も、まことしやかな希望に欺かれていることを知っている。余が告発するのは体系であり、その作者であり、その扇動者である。・・・」

 このような反共産主義政策の歴史は、実は古いのです。
 この回勅は、この歴史を振り返ります。

 「・・・共産主義に関しては、一八四六年、余の尊敬すべき先任者で聖なる追憶をとどめているピオ九世<(注6)>は、その後『シラブス』<(注6)>によって確認された荘厳な声明によって、これを誤謬と断定し、「共産主義と呼ばれるこの悲しむべき理論は、自然法そのものに、根本から反している。このような理論をひとたび受けいれるならば、あらゆる権利、制度、所有、および人類社会そのものまでも、全く崩壊するにちがいないと述べている。その後、余の先任者で、不朽の追憶をとどめているレオ十三世<(注7)>は、その回勅『クオド・アポストリチ・ムネリス』のなかで、共産主義を「人類の心髄をおかして、これを滅ぼす致命的なペスト」と定義している。・・・

 (注6)Pius IX。1792〜1878年。法王:1846〜78年。「31年7ヶ月という最長の教皇在位記録を持ち、イタリア独立運動の中で、古代以来の教皇領を失い、第1バチカン公会議([1869〜70年])を召集し、[法王無謬性(papal infallibility)教義を策定するとともに、]『誤謬表』《・・社会主義、共産主義、自由主義、信教の自由の否定を含む・・》を発表して近代社会との決別を宣言。・・・『誤謬表』(シラブス《=Syllabus of Errors》)は1864年の回勅《encyclical》『クアンタ・クラ《Quanta Cura》』に付属するかたちで発表された。・・・1848年に入るとイタリアをめぐる情勢はゆれ始める。教皇はイタリア北部をおさえていたオーストリア帝国を支持していたため、これに反感をもっていた民衆によって暴動が起こるようになる。11月24日、ピウス9世は政情不安定のローマを離れて密かにガエタへ逃れた。1849年にはローマ共和国が成立、これを警戒した教皇はフランスに援助を依頼したため、フランス軍がローマに進駐した。翌年教皇はローマに戻った。1858年、ナポレオン3世はイタリアのカヴールと同盟し、オーストリア軍を攻撃。オーストリア軍をイタリアから撤退させた。ここにいたってイタリア王ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世は教皇領を要求。これを拒否されると武力で進駐し、1870年、フランス軍の撤退したローマまで押さえた。ここにいたって教皇は自らが「バチカンの囚人」であると宣言し、イタリア政府とバチカンは断交状態に陥った(ローマ問題)。・・・1862年に日本二十六聖人を列聖したのがピウス9世であり、1868年には長崎での信徒発見のニュースに対して喜びをあらわす書簡を発表している。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%94%E3%82%A6%E3%82%B99%E4%B8%96_(%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%9E%E6%95%99%E7%9A%87)
http://en.wikipedia.org/wiki/Pope_Pius_IX ([]内)
http://en.wikipedia.org/wiki/Syllabus_of_Errors (《》内)
 (注7)Leo XIII。1810〜1903年。法王:1878〜1903年。《1878年12月28日に回勅『クオド・アポストリチ・ムネリス(Quod Apostolici Muneris)』を発表し、社会主義(キリスト教社会主義を指していると考えられている)、共産主義、ニヒリズムを単一のイデオロギーの3つの側面であるとし、批判した。》また、「1864年の『誤謬表』<の悪評を>・・・憂慮し、・・・共和制フランスをはじめて認め・・・労働問題を扱ったはじめての回勅『レールム・ノヴァールム』を発表した・・・。・・・しかし、・・・イタリア王国を認めず、信徒に国政選挙の投票権を放棄するよう求めていた。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AC%E3%82%AA13%E4%B8%96_(%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%9E%E6%95%99%E7%9A%87)
http://en.wikipedia.org/wiki/Quod_Apostolici_Muneris (《》内)
 「レールム・ノヴァールム(・・・Rerum Novarum)とはローマ教皇レオ13世が1891年5月15日に出した回勅の名称である。・・・「新しき事がらについて」を意味し、「資本と労働の権利と義務」という表題がついている。・・・副題に「資本主義の弊害と社会主義の幻想」とあるとおり、「少数の資本家が富の多くを占有する行き過ぎた資本主義によって、労働者をはじめとする一般庶民が搾取や貧困、悲惨な境遇に苦しむあまり無神論的唯物史観を基調とした社会主義(のちの共産主義)への移行を渇望しているが、それで人間的社会が実現するというのは幻想である」として、・・・共産主義<と>[野放図な]資本主義<をどちらも>批判<し>た。・・・いっぽう、それまで大勢を占めてきた「教会は貧しい者には忍耐を、金持ちには慈善を説けばよい」といった考えに対し、・・・労働者の貧困や境遇の改善は(憐れみの対象ではなく)社会正義の問題であるとし、・・・資本と労働の関係や政府と市民の関係について・・・[社会主義の脅威を念頭に、カトリック教会は(それまでは王侯貴族寄りであったのを)ブルジョワ寄りへと舵を切り、トマス・アクィナスを援用して]私有財産制を<自然権として>擁護<することと>しつつ・・・、労働者に<も>労働権を認めて労働組合を結成することを支持し、階級協調を説いた。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%A0%E3%83%BB%E3%83%8E%E3%83%B4%E3%82%A1%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%A0
http://en.wikipedia.org/wiki/Rerum_Novarum ([]内)

 1934年、余が派遣した救援使節がソヴィエト連邦から帰ったとき、余は、全世界に向けて行なった特別な演説において、共産主義に抗議した。余の<諸>回勅・・・において、余は、ロシア、メキシコ、およびスペインにおいて勃発した迫害に対して、厳重な抗議を行なった。・・・」(『ディヴィニ・レデンプトーリス』より)

 さて、この回勅は、以下のように共産主義の戦略を分析して見せています。

 「・・・共産主義の首領たちは、みなが平和を望んでいるのを見ると、世界平和運動のもっとも熱心な推進者、宣伝者をよそおうのである。しかしながら、かれらは、他方においては、流血の惨をひきおこす階級闘争を刺激し、平和の内的保障が欠けているのを感じて、無際限な軍備にたよるのである。また、共産主義のにおいのしないさまざまの名称のもとに、組織や雑誌をおこし、この方法によらないでは接触することのできない環境に、その思想を浸みこませようとしている。その上、かれらは、はっきりしたカトリック団体、宗教団体にまで浸入しようとして謀略をめぐらすのである。たとえば、かれらは、その好悪な原理を少しも放棄していないにかかわらず、かれらのいわゆる人道的領域、愛の領域において、ときには、キリスト教の精神と教会の教義とに完全に合致したことを提案して、カトリックの協力を要請している。その上、もっと信仰があつく、文明のすすんだ諸国においては、共産主義は、もっと穏健な姿をとり、宗教の信奉をさまたげず、良心の自由を尊重すると信じこませるほど、欺瞞をたくましくするのである。・・・
 尊敬すべき兄弟たちよ、信徒が欺かれることのないように留意してほしい。・・・
 国家は、秩序の基礎をことごとくくつがえす無神主義の宣伝が、その領土を荒らすのを全力をあげて防止しなければならない。・・・
 良心の保証が全く欠けている場合、どうして誓約が役に立ち、条約が価値を有しうるであろうか。・・・」(『ディヴィニ・レデンプトーリス』より)

 つまり、共産主義は美しい言葉を掲げ、かつフロント組織を通じて勢力拡大を図り、様々な約束をするけれど、決してだまされてはならない、と注意を喚起しているのです。
 その上で、この回勅は、全世界のカトリック組織に向けて、以下のように呼びかけるのです

 「・・・敵の活動について正確な、しかも十分に豊富な情報を提供し、種々の国々において効果をあげた戦いの方法をかかげ、共産主義者たちが使用して、すでに、誠実な人々さえもその陣営に引きいれることに成功した奸策と欺瞞とを警戒させるために、有益な暗示を与えなければならない。・・・」(『ディヴィニ・レデンプトーリス』より)

(続く)