太田述正コラム#5404(2012.4.6)
<日本・法王庁「同盟」(その1)>(2012.7.22公開)

1 始めに

 読者のべじたんさん提供の資料
http://web.archive.org/web/20080929155608/http://www.nomusan.com/~essay/essay_vatican_20.html
によると、1937年に、法王庁は、下掲のような、いわば、日本との「同盟」宣言とでもいうべき一連の意思表示を行っています。(コラム#5401)

3月:法王ピオ11世(Pius XI)(コラム#3766、4812、4846、5354、5401)、回勅『ディヴィニ・レデンプト<ー>リス 無神的共産主義』を発表して、唯物論的価値観に基づく共産主義への反対を表明。
7月:日支戦争勃発。
8月:同法王、共産主義の侵入を防ぎ(防共)、満州・中国・朝鮮のカトリック信者を保護するために、駐日教皇庁使節パウロ・マレラ大司教を通して国防献金を日本の外務省に贈った。
10月:法王庁、全世界のカソリック教会および伝道所に指令を発出。
 この指令は、「今回日本の直接の関心は共産党勢力の浸潤駆逐に他ならないから」日本軍の支那における反共聖戦に協力すべしとの趣旨で以下の5条からなる。

 1.日支双方の負傷者救助。
 2.日本の文明擁護の意図を支那が諒解の必用あることを説き、同時に外蒙よりする凶暴なる影響を駆逐すること。
 3.支那領土は厖大なるを以て容易に日本の勢力を吸収し得べきを説く。
 4.共産主義の危険が存する限り遠慮することなく日本を支援すべきこと。
 5.日本軍当局に対しカソリック教会の立場は全然日本との協力にあることを徹底せしめること。

2 法王庁の反共産主義

 ピオ(ピウス)11世(注1)は、1922〜39年の法王であり、1929〜39年、バチカン市国初代元首を務めました。

 (注1)「オーストリア帝国のロンバルド=ヴェネト王国デージオで工場経営者を父に生まれたアキッレ・ラッティ・・・(Achille Ratti)・・・は・・・ミラノ大司教を経て教皇に選出された。・・・諸言語に通じ、古代以来のさまざまな神学的著作に精通・・・。・・・バチカンの絵画館、ラジオ局、そしてローマ教皇庁立科学アカデミーら<を>つく<っ>た・・・。<各種>政教条約の締結で<も>知られる。19世紀以来、バチカンはイタリア政府と断絶状態であったが、・・・これを解決すべくムッソリーニと交渉し、1929年2月11日ラテラノ条約<(コラム#3766)>が結ばれた。これはバチカンがイタリア政府を認め、同時にイタリア政府もバチカンを独立国として認めるというものであった。これによって「ローマの囚人」状態が解消され、世界最小の国家バチカン市国が成立した。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%94%E3%82%A6%E3%82%B911%E4%B8%96_(%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%9E%E6%95%99%E7%9A%87)

 この法王が就任したころから、カトリック教会はひどい三つの災厄(Terrible Triangle)に見舞われます。
 メキシコ、スペイン、そしてソ連における迫害です。
 メキシコ(注2)とスペイン(注3)においては、標的はもっぱらカトリック教会であったのに対し、ソ連においては、全てのキリスト教宗派が標的となっていた(注4)ところ、やはり、特に厳しく迫害されたのは、カトリック教会と連携していた東方カトリック教会諸派(Eastern Catholic Churches)(注5)でした。
http://en.wikipedia.org/wiki/Pope_Pius_XI

 (注2)メキシコの最高権力者であったプルタルコ・エリアス・カレス(Plutarco Elias Calles。1877〜1945年)・・大統領:1924〜28年・事実上の最高権力者:1928〜35年・・は、労農勢力を支持母体としており、(メキシコはソ連大使館が設置された世界で最初の国であったところ、)反資本主義的な社会主義政策、就中石油国有化政策を推進するとともに、カトリック教会弾圧を行った。そのため、米国では、メキシコをソヴィエト・メキシコと呼称するに至ったほどだった。
 カトリック教会弾圧は、1926年から始まり、教会は教育への関与や不動産所有権を否定され、神父達は選挙権等人権の多くを剥奪されたが、これに反発したカトリック勢力が叛乱を起こし、これを鎮圧するのに3年を要した。
 この叛乱中に約9万人が死亡し、叛乱終了後も叛乱側の約5,000人が政府によるテロによって殺害され、メキシコの神父は叛乱前の4,500人から334人(1934年)まで激減した。
http://en.wikipedia.org/wiki/Plutarco_El%C3%ADas_Calles
 (注3)「スペイン内戦は、スペイン軍の将軍グループがスペイン第二共和国政府に対してクーデターを起こしたことにより始ま<り、1936年から39年まで続いた。>
 共和国派は新しい反宗教な共産主義体制を支持し、反乱軍側の民族独立主義派は・・・カトリック・キリスト教、全体主義体制<等>を支持し、別れて争った。・・・
 内戦中、政府側の共和国派(レプブリカーノス)の人民戦線軍はソビエト連邦とメキシコの支援を得た一方、反乱軍側である民族独立主義派(ナシオナーレス)の国民戦線軍は隣国ポルトガルの支援だけでなく、イタリアとドイツからも支援を得た。・・・
 カトリック教会を擁護する姿勢をとったことでローマ教会はフランコに好意的な姿勢をみせ、1938年6月にローマ教皇庁が同政権を容認した(実際には、これ以前にもこの後も、フランコ軍は平然と教会に対する砲爆撃を行っている)。・・・
 メキシコは、・・・知識人や技術者を中心に合計約1万人の<旧共和国派の>亡命者を受け入れた」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%83%9A%E3%82%A4%E3%83%B3%E5%86%85%E6%88%A6
 (注4)ボルシェヴィキがロシアの権力を掌握してからの5年間で、ロシア正教の主教(bishop)28人と僧侶1,200人超が殺害され、多数が投獄されたり、亡命を余儀なくされた。
 ソ連が成立してからは、教会の不動産は国有化され、無神論が公式教義となり、宗教は弾圧され、その絶滅が図られた。
 先の大戦中に、ロシア正教に対する弾圧は緩和されたが、その代わり、大主教座([Patriarchate of Moscow and all the Rus'])はKBGのフロントにされ、戦後にはアレクシウス大主教(Patriarch Alexius I 《。1877〜1970年。大主教:1945〜1970年》) のように、自身がKGBのエージェントにされたり、僧侶達が、外国でエージェント獲得や亡命ロシア人達に対するスパイ活動に従事させられたりした。
 また、戦後には、米国との関係が疑われていたところのプロテスタントは、精神病院に送られたり裁判にかけられたり投獄されたり、親権を剥奪されたりした。
http://en.wikipedia.org/wiki/Persecution_of_Christians_in_the_Soviet_Union
http://en.wikipedia.org/wiki/Moscow_Patriarchate ([]内)
http://en.wikipedia.org/wiki/Alexy_I_of_Moscow (《》内)
 (注5)ウクライナ・ギリシャ・カトリック教会(Ukrainian Greek Catholic Church)に対する弾圧は、この教会の活動圏であったガリチア(Galicia)がソ連に併合された1939年時点では起こっていないが、先の大戦後、この教会がウクライナ民族主義と連携を始めると弾圧が開始され、司教達のシベリア送り等が始まった。
http://en.wikipedia.org/wiki/Religion_in_the_Soviet_Union#Ukrainian_Greek_Catholic_Church

 このように、世界各地で共産主義勢力による実存的脅威に直面していた法王庁が、戦間期に反共産主義政策を打ち出したのは、当然のことでした。
 それが、1937年3月に法王ピオ第11世が発出した回勅『ディヴィニ・レデンプトーリス(DIVINI REDEMPTORIS)』(上出)なのです。
 
 同回勅は、次のように記しています。

 「余<(ピオ11世)>の親愛するスペインにおけるように、共産主義のわざわいが、まだその理論のあらゆる結果を感じさせるにいたっていないところにおいても、共産主義は、悲しむべきことであるが、暴虐をほしいままにしたのであった。一、二の教会、どこそこの修道院を破壊したというだけではない。できることなら、キリスト教のすべての教会、すべての修道院、そのすべての形跡をも、たとえ、それが、芸術的に、科学的に、どんな著名な記念物であっても、破壊しようとしたのである。兇暴な共産主義者は、司教たちをはじめ、数千の司祭、修道者、修道女、しかも、他の人々よりも熱心に労働者と貧者のために尽くしていた者も殺したばかりでなく、さらに多数の信徒を、あらゆる階級にわたって殺戮した。これらの信徒は、今日でも、善良なキリスト者であるという一事だけで、あるいは、少なくとも、共産主義の無神諭に反対したという一事だけで、今日もなお、毎日のように、殺戮されている。そして、この恐るべき破壊は、現代では可能とは思われないほどの憎悪、残虐、蛮行によって遂行されたのである。」(法王回勅『ディヴィニ・レデンプトーリス([DIVINI REDEMPTORIS]) 』(1937.3.19)(上出)より)
http://hvri.gouketu.com/diviniredemptoris.htm (べじたんさん提供)
http://blog.goo.ne.jp/thomasonoda/e/74a44f2b222d4288b152b96cdd1048ca ([]内)

(続く)