太田述正コラム#5370(2012.3.20)
<松尾匡『商人道ノススメ』を読む(その10)>(2012.7.5公開)

 「精神分析学者の岸田秀<(注23)(コラム#2108、4388、4433)>が、近代日本のことを、・・・「統合失調症」と診断しているのは、その一側面をよくとらえている。すなわち近代の日本人は、「手段」に従事する自己(外的自己)と、「大義名分」たる価値観にふける自己(内的自己)とが分裂していると言う。・・・

 (注23)1933年〜。早大文学部卒、「心理学者、精神分析学者、思想家、エッセイスト、仏ストラスブール大<「遊学」>、和光大学名誉教授・・・どの学会にも属していない。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B2%B8%E7%94%B0%E7%A7%80

 近代化のために欧米の物まねをして協調外交につくす姿は、外的自己の象徴である。それに屈辱感を覚えて皇国史観の妄想に閉じこもるのが内的自己である。この分裂が行き過ぎると、現実感覚を失った内的自己が突然現れる。いわゆる「キレる」のである。それが日米開戦だったのだと言う。・・・
 現代の国粋主義者達が、日本の戦争犯罪をいかに正当化しようとしても、現実に行われた強姦や略奪や殺人の数々はごまかしようがない。彼らの言い訳は、とどのつまり、それらは国家意思からの逸脱だということに行き着く。「日本はナチスとは違う」というのがその際の強調点である。
 しかし、むしろ本当に問題にしなければならないことは、この日本的構造それ自体なのである。結果として大義名分の中心目的にかなう限り、逸脱を大目に見て中心目的の利益に資するという、全体的な構造自体が、裁かれなければならない当のものなのである。」(167〜168、170)

 どうやら、松尾の考え方の根底にあるのは岸田の説であるようですが、上掲の経歴を一瞥しただけでも、岸田は全く学者としての資格が欠如しており、そのこともあってか、学者同士の批判や検証による鍛錬も受けていない人物であり、その日本人「統合失調症」説など、典拠抜きの単なる思い付き以上のものであるはずがありません。
 松尾は、岸田という市井の一ジレッタントの思い付きに触発されて妄想を抱くに至った、と言われてもいたしかたありますまい。

満州事変や日支戦争や南京事件やノモンハン事件や日米開戦時の「宣戦」通告や特攻隊についての松尾による事実関係や評価の記述(170〜172)についても、言いたいことは一杯あるけれど、既に過去コラムの隋所で触れているので、ここでは立ち入りません。

 「うまくいけば現場の逸脱はおとがめなしだが、失敗したら現場だけが責任をとらされるのが、「大義名分--逸脱手段」原理の特質なのである。・・・
 この図式のまさに象徴が天皇だった。大本営の数々の命令はいちいち天皇の名で出され、その結果が様々な残虐行為や悲惨な作戦失敗をもたらしたにもかかわらず、天皇はあくまで平和を求め続けた美しい存在とされた。政府や軍部によるあらゆる愚行は天皇の真意を顧みない逸脱だった、という論理が受け入れられ続けたのである。」(171〜172)

 昭和天皇は自由民主主義的戦前・戦中日本にあって、君臨すれども統治せずの姿勢を基本的に貫いたのであり、統治の結果について、無答責であるのは当然です。(コラム#省略)
 しかも、これは、松尾が「敬慕」して止まないところの、宗主国米国の当時の政府の昭和天皇に関する公式立場でも、たまたまあったところではありませんか。(典拠省略)
 他方、以下のように、日本の多数の「中央」高官達が、彼らによる「統治」の結果たる敗戦の責任をとって、終戦後1か月以内に自裁しています。

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 「陸軍大臣の」阿南惟幾陸軍大将、「特攻の父と呼ばれた」大西瀧治郎海軍中将、[第12方面軍司令官兼東部軍管区司令官の]田中静壱陸軍大将、「大戦<中>・・・陸軍大臣、参謀総長など要職を歴任」した杉山元陸軍大将、「第3次近衛内閣・東條内閣で厚生大臣」だった小泉親彦軍医総監、「第2次・第3次近衛内閣・東條内閣で文部大臣」だった「医学者」の橋田邦彦、{<大戦中>第11方面軍司令官兼東北軍管区司令官だった}吉本貞一
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%87%AA%E6%AE%BA%E3%83%BB%E8%87%AA%E6%B1%BA%E3%83%BB%E8%87%AA%E5%AE%B3%E3%81%97%E3%81%9F%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E8%91%97%E5%90%8D%E4%BA%BA%E7%89%A9%E4%B8%80%E8%A6%A7 (「」内)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%B0%E4%B8%AD%E9%9D%99%E5%A3%B1 ([]内)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%89%E6%9C%AC%E8%B2%9E%E4%B8%80 ({}内)
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 当時の日本が、「失敗したら現場だけが責任をとらされる」ような国では必ずしもなかったことが、このことだけでも分かるのではないでしょうか。(注24)

 (注24)当時のドイツでは、総統ヒトラー、宣伝大臣ヨーゼフ・ゲッベルス、親衛隊全国指導者ハインリヒ・ヒムラー、ナチス党官房長マルティン・ボルマン、が終戦前に自殺、ドイツ労働戦線指導者、無任所大臣ロベルト・ライがニュルンベルグ裁判前に、空軍総司令官、国家元帥、航空大臣ヘルマン・ゲーリングが同裁判後に絞首刑執行直前に自殺している
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8B%E3%83%A5%E3%83%AB%E3%83%B3%E3%83%99%E3%83%AB%E3%82%AF%E8%A3%81%E5%88%A4
が、終戦前にいわば敵前逃亡したに等しい最初の4名・・しかも、ゲッペルスに至っては7名もの妻と子供達との強制心中だ・・
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A8%E3%83%BC%E3%82%BC%E3%83%95%E3%83%BB%E3%82%B2%E3%83%83%E3%83%99%E3%83%AB%E3%82%B9
と終戦後に自殺した7名の日本の高官達とは到底同一視するわけにはいかないだろう。
 また、軍事裁判がらみで自殺した者に日本でも近衛文麿がいるが、彼らの自殺は裁判に対する抗議の自殺であり、敗戦の責任をとったわけではない。


 「欧米流、特にアメリカ流の行動規範は、「0か1か」である。ある基準点に達するまではすべての行動は「権利」であり、正当である。そしてその基準点を超えると、いきなり不法行為になる。・・・しかし、<日本流の行動規範であるところの、>「大義名分--逸脱手段」図式の場合はそうはいかない。「大義名分」をちょっと離れた行動をとったときからすでに「逸脱」なのであり、その時点でいくぶんかのやましさを感じなければならない。そして、「大義名分」からのずれが大きくなるにしたがって、だんだんと悪いことと思われる度合いが増していくのである。・・・どのくらい逸脱すればどのくらい大目に見られるかということは、その曲線自体を覚えておかなければわからない。」(178〜179)
 従って、アメリカ流の行動規範は普遍性があるけれど、日本流の行動規範は普遍性がなく、日本の中でしか通用しない、という趣旨のことを松尾は言っています。

 しかし、「日本流の行動規範」については、上述したところの、「市井の一ジレッタントの思い付きに触発され<た松尾の>妄想」の一環にほかなりませんし、「アメリカ流の行動規範」については、松尾は典拠すら付していません。
 いや、典拠を付けられるはずがないのです。
 「アメリカ流の行動規範が「0か1か」」だなんて、私は米国の大学で2年間学んだけれど、一度も聞いたことも感じたこともないからです。
 いずれにせよ、不法行為とかを持ち出している以上、松尾は、行動規範などという漠としたものではなく、日米の法律の比較に話を限定すべきでした。
 確かに、米国の法律に比べて日本の法律の方が、大綱的である、とは言えそうです。(典拠省略)
 そうだとすれば、日本の方が行政裁量の余地が大きいことになります。
 しかし、仮にそうだとしても、日本では、というより日本でも、行政府が発する政令、省令、更には通達(注25)によって、ルールがどうなっているのかは、一般国民にも分かるようになっているケースが大部分です。

 (注25)「法律・政省令や告示などとは異なり、本来的には行政機関内部の文書として位置付けられるものであることから、官報への登載というかたちで公表されることはない。ただし主要なものは関係法令集や専門誌、各省庁が設置するウェブサイトなどに掲載される。また通常は外部に公開されることのない通達であっても、一部は情報公開請求により閲覧することが可能である。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%80%9A%E9%81%94

 日本でも、何が許されて何が許されないか、分かるケースが大部分である、ということです。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A1%8C%E6%94%BF%E8%A3%81%E9%87%8F
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%80%9A%E9%81%94%E8%A1%8C%E6%94%BF 
 (この二つ↑とも、典拠としては不十分であることをお断りしておく。)
 よって、米国の法律は「0か1か」がはっきりしているが、日本の法律は不分明である、などと軽々に結論を下すわけにはいかないのです。
 (日本では、判例拘束性がない(コラム#5107)こともあって、裁判官がどのような法律解釈を下すか予見しにくいという問題はありますが、ここでは立ち入りません。)

(続く)