太田述正コラム#5356(2012.3.13)
<松尾匡『商人道ノススメ』を読む(その4)>(2012.6.28公開)

 佐藤直樹(1951年〜。九大博士。現在九州工業大学教授)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BD%90%E8%97%A4%E7%9B%B4%E6%A8%B9_(%E4%B8%96%E9%96%93%E5%AD%A6)
の『世間の目----なぜ渡る世間は「鬼ばかり」なのか』(光文社 2004)を典拠として、「日本の刑法には「共同共謀正犯」という考え方があり、実行犯だけでなく、共謀に加わっただけの者も罰せられることになっている。これは日本の刑法のお手本になったドイツにはなかった考え方である。ドイツでは誰が犯罪を犯したかについて、断固とした意思が確定しやすいのに、日本では個々の意思がはっきりしないまま、まわりにひきずられて犯罪を犯す人が多いので、このようにしないと誰も罰することができなくなるためだと言う。」と松尾が記している箇所(72、276、277)にも目を剥きました。
 そうは、大学時代の1969〜70年にとった刑法総論で藤木英雄教授に教わらなかったからです(注6)。

 (注6)「共謀共同正犯については、これを認める判例・実務と、団藤に代表される否定説が激しく対立していたが、他人の行為の自己の手段として犯罪を行なったという点で間接正犯に類似するとの理論構成から肯定説を展開し<た>。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%97%A4%E6%9C%A8%E8%8B%B1%E9%9B%84

 その後、日本では、(私が大学当時刑法各論をとった)団藤重光教授の「転向」もあったようで、松尾、すなわち佐藤の紹介する説は圧倒的少数説に転落していることが、下掲から分かります。

 「<日本で>犯罪の中心人物(主犯)こそが、正犯であるという実務の考え方<に基づき、>・・・判例により共謀共同正犯概念が創出され<た。>・・・(・・・ドイツにおいても、もはや、形式的犯罪論は通説とは言い得ない。共同正犯の分野において言えば、正犯概念を形式的に限界付ける形式的客観説は支持を失い、行為支配論が圧倒的通説となっている)。団藤重光、平野龍一に代表されるように、日本の学説上も、共謀共同正犯を肯定した上で、その成立範囲を適切なものにしようとする見解が通説といえよう。」(注7)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%B1%E8%AC%80%E5%85%B1%E5%90%8C%E6%AD%A3%E7%8A%AF

 (注7)この際、米国の各州において広範に見られる共謀罪と共謀共同正犯の相違に触れておく。
 「カリフォルニア州では、処罰可能なコンスピラシーとは、最低2人の人間の間で犯罪の実行を合意することであり、加えて、その内最低1人がその犯罪を実行するために何らかの行為をすることである。この行為は徴表的行為(overt act)と呼ばれ、日本の共謀共同正犯とは異なり、実行の着手は要件とされず、予備行為や、さらにその前段階の金品の授受、電話をかけるなどの行為も含まれる。犯人全員に、同一の刑罰を、合意した犯罪を自ら実行したときと同程度の重さで科して処罰することができる」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%B1%E8%AC%80%E7%BD%AA

 ついでに言えば、共謀共同正犯に関する上記ウィキペディアの記述が正しいとすれば、ドイツの学説動向に関する松尾、すなわち佐藤の紹介もまた不正確である、ということになりそうです。

 佐藤は、もともとは刑法学者で、日本世間学会の創設者の一人でもあるようです(彼のウィキペディア前掲)が、松尾は、こういった引用を行うのであれば、自分で少しは調べた上で、少なくとも、ドイツと日本の多数説についても併せ紹介すべきでした。
 いずれにせよ、刑法学の分野で、佐藤がこのような、奇矯な、と言って語弊があれば、古めかしい説を紹介していることから推して考えれば、山本七平の『「空気」の研究』を引用している佐藤の上記の本を松尾が孫引きしている箇所(71)など、信憑性ゼロ、と言わなければなりますまい。(注8)

 (注8)「1974年8月<の>・・・三菱重工爆破事件のときの、ある外紙特派員の記事・・・によると、道路に重傷者が倒れていても、人びとは黙って傍観している。ただ所々に、人がかたまってかいがいしく介抱していた例もあったが、調べてみると、これが全部その人の属する会社の同僚、いわば「知人」である。ここに、知人・非知人に対する明確な「差別の道徳」をその人は見た。これを一つの道徳律として表現するなら、「人間には知人・非知人の別がある。人が危難に遭ったとき、もしその人が知人ならあらゆる手段でこれを助ける。非知人なら、それが目に入っても、一切黙殺して、かかわりあいになるな」ということになる。」(山本七平『「空気」の研究』11〜14頁)
http://blog.goo.ne.jp/kurokuragawa/e/c82d0e5b26056434e8fe709e8319c114

 松尾は、ここでも、無批判に山本七平を孫引きするのではなく、山本自身の記述の信憑性を自ら確かめる努力をすべきでした。
 私だけでも、これまで何度も、山本に対し、とりわけこの本の記述内容に対して、根底的批判を行ってきたところです(コラム#16、265、272、382、1632、4013、4035、4037、4149、4578、4784)。
 佐藤すら、信じて疑わない松尾に対し、こんなことを言っても詮無いことですが・・。
 ちなみに、三菱重工爆破事件の時に起こったことが上記の通りだとして、私の解釈は、「非知人」は、まだ爆発していない爆破物が残っているのではないかとの疑心暗鬼で遠くから見守らざるをえなかった、という単純なものです。
 論より証拠、爆発などの恐れがない事故の際には、下掲の事例からも明らかなように、日本では、「知人」はもとより、「非知人」であっても、「あらゆる手段でこれを助け」ようとする、というのが毎度のことです。

 「2005年4月<の>・・・JR福知山線脱線>・・・事故発生当時、いち早く現場へ駆けつけて救助にあたったのは近隣の人々である。・・・負傷者の半数は近隣の人々が医療機関に搬送しており・・・のちに、救助・救援活動の功績を讃えて、・・・76企業・団体と1個人に対して国から感謝状が、・・・48企業・団体と34個人に対して兵庫県警から感謝状が、・・・32企業・団体と30個人に対して尼崎市から感謝状がそれぞれ贈呈された。また、・・・日本スピンドル製造と1個人に対して紅綬褒章が授与された。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/JR%E7%A6%8F%E7%9F%A5%E5%B1%B1%E7%B7%9A%E8%84%B1%E7%B7%9A%E4%BA%8B%E6%95%85

 それにしても、山本や佐藤や松尾は、どうして、こんなに日本人のことが分かっていないのでしょうか。
 これでは、三菱重工爆破事件の時のどこかの外国の特派員を笑えませんね。

(続く)