太田述正コラム#5354(2012.3.12)
<松尾匡『商人道ノススメ』を読む(その3)>(2012.6.27公開)

 (3)第二章

 旧軍兵士による支那での強姦の頻発、特攻隊/日本兵捕虜/サイパンでの日本民間人の投身自殺、の不思議さ、シベリア抑留者の(ドイツやイタリア抑留者には見られなかった)スターリン礼賛化に対する松尾の筆致(68〜69)は嘲笑的ですが、そもそも、一切、典拠が付されていないのは困ったことです。
 戦後日本人のマッカーサーに対する拝跪的態度の箇所には一応典拠が付されており、袖井林二郎編著の『拝啓マッカーサー元帥様』に出てくる一連の手紙に関し、松尾は、「こんな現象はドイツでは無かった。」・・丸山真男の戦犯裁判時の日米比較に際してのナチスドイツ指導者達に対する「高い評価」(コラム#1658)と好一対です・・とした上で、「マッカーサー自身はこれを、強者に媚びる態度ととらえて嫌悪したらしいのだが、そのとらえ方は正確ではないと思う。やはり、日本人各自が、まわりの人々に決定的に流布しはじめた新しい価値観を必死に取り入れようとしていただけなのだろう。」(69)と総括しています。
 
 この松尾の説は、かなり一般的であるところの、下掲からもうかがえる、「強者に媚びる態度」説
http://sakura4987.exblog.jp/8232058/
や、下掲のような即物的な説

 「・・・食料と海外からの引揚げ。「深刻な食糧不足」に対して「マッカーサーが大量の食料を救援物資として搬入することを許可」し「何百万という旧軍人と一般人の引き上げを促進」したという事実、かなりの投書がこの点に触れているらしい・・・。彼が当時の日本人に好まれた具体的な要因。素朴さだけでは人は跪くまい。・・・」
http://webrog.blog68.fc2.com/blog-entry-173.html

に比べれば一見マシですが、松尾の説を含む以上の説は、現在の日本人が、いかに、対米属国根性、経済至上主義、すなわち吉田ドクトリン、によって歪められてしまった世界観という色眼鏡を通してしか、戦前、戦中から戦後にかけての日本人の心情を慮ることができなくなってしまっているかを示すものです。

 それに対し、例外的に正鵠を射ているのが、下掲の説です。↓

 「・・・「マッカーサーの姓名判断(岐阜県会議長)」「鮎の取れる川への清遊招待状(漁夫)」「昔の英語の教師がミス・マッカーサーだったので、親近感を覚えてお手紙(お嬢様と目される女性、タイプされた英文)」「組立大和スタンド(?)献上」「松茸壱箱献上(農業)」「眉間に十字架の模様のあるカナリヤ献上(医師)」「食糧危機の深刻な時期に自社製のビスケット一箱贈呈(食料会社専務・英文)」「高さ1メートルのハニワ盾献上(60歳男性)」「刺繍で作ったマッカーサー肖像画贈呈(全国留守家族代表)」「日本国憲法の全文を両面に分けて細字書きした扇子贈呈(「閣下の最も忠実なる僕」)」
 ハニワとか、訳わかりません。普通に考えて全く意味のない事を彼らはやっている。老若男女、職、学識も一切関係ない。敗戦という衝撃の中で、何とかして新しい現実に適応しようとし、自らを論理的に納得させようとする行動だろうか。政治学者の見識が待たれる。・・・」
http://www.geocities.co.jp/Bookend-Yasunari/4064/kurekougi.html

 私は、「政治学者」では必ずしもありませんが、若干補足しますと、戦前から戦中にかけて、日本の人々は、一人一人がおおむね主体的に判断して正しいと信じた対外政策、そして正しいと信じた戦争を支持し、推進したにもかかわらず、それが挫折してしまったことにより、戦後当時の彼らは、トラウマで頭の中が真っ白な状態に陥ってしまっていたのだ、と考えています。
 ほんの少々自分の身に置き換えて想像力を働かせてみればよいのです。

 この際、冒頭で紹介した松尾の筆致について、一言ずつ私見を述べれば、強姦の頻発は兵士に本土等での休暇を与えなかった・・日本型政治経済体制!・・ことに加えて、支那人兵士による強姦の頻発(注3)という環境を考慮すべきであり、特攻はそれなりに軍事合理性を有した戦術であったわけであり(注4)、また、日本兵が捕虜になろうとせずあたら命を落とし、かつ、一旦捕虜になると軍事情報をべらべらしゃべった者が少なくなかった点については、兵士達の多くが縄文人的な戦争忌避感情を持っていたことから上下の阿吽の呼吸で捕虜にならない政策がとられるに至ったものであり(コラム#4576)、当然のことながら、捕虜になった後の心得についての教育などなされていなかった、という事情があります。

 (注3)日本降伏後の満州及び北朝鮮における(ソ連軍のみならず)中共軍による邦人女性強姦の多発
http://www.destroy-china.jp/index55j.htm
は、中共軍の高い規律なるものがいかほどのものであったかを示して余りあるものがある。いわんや、国民党軍や軍閥軍においてをや。
http://www2.biglobe.ne.jp/~remnant/rekishi05.htm
 なお、後者の典拠には、「<法王>ピオ一一世(在位1922-39)は、この<日支戦争における>日本の行動に理解を示し、全世界のカトリック教徒に対して日本軍への協力を呼びかけました。法王は、「日本の行動は、侵略ではない。日本は中国(支那)を守ろうとしているのである。日本は共産主義を排除するために戦っている。共産主義が存在する限り、全世界のカトリック教会、信徒は、遠慮なく日本軍に協力せよ」といった内容の声明を出しています。この声明は当時の日本でも報道されました(「東京朝日新聞」夕刊、昭和一二年一〇月一六日および一七日)。」とある。この記事のコピーを入手できないものか。
 (注4)コラム#2409、4576参照。このほかにも、特攻に言及したコラムは、#64、66、345、523、540Q&A、1152Q&A、1539、1739、2129、2401、2540、2568、2998、3293、4632、4784、4965、5096、5098と数多い。

 次に、サイパンでの日本人住民投身事件については、沖縄における住民手榴弾自殺事件同様、「日本軍に同行した住民・・・は、軍の意向に反して同行したものであるところ、必然的に日本軍人とともに米軍の攻撃対象となり、仮に生き残ったとしても、米軍の暴行陵虐を受けると思いこんでいたことから、集団自決が起きた、と考えます。」(コラム#2120、2129、2460)
 最後に、シベリア抑留者の件については、日本兵とは違って、ドイツ兵やイタリア兵をスターリン主義者にすることはできなかった、と保坂正康『昭和史七つの謎』(講談社文庫.2003.p112)を典拠として松尾が記している(68、277)ところ、朝鮮戦争の時の北朝鮮抑留米兵からも中共軍によるマインドコントロール(洗脳)でスターリン主義者となった者が続出した
http://en.wikipedia.org/wiki/Mind_control
ことに照らし、保坂自身が拠っている典拠があるのなら、その典拠に疑問符を付けざるをえませんし、そもそも、日本兵とは違って、ナチズムやファシズムでマインドコントロールされていたドイツ兵やイタリア兵のマインドコントロールを解いた上で新たに今度はスターリン主義でマインドコントロールするのは容易ではなかった、ということであったのかもしれません。
 いずれにせよ、これら抑留者達が日本「に帰ってしばらくすると、また多くは簡単に村の伝統に戻った」(68)と松尾は書いていますが、マインドコントロールへの「対処法は行動をコントロールする団体から引き離」し「信頼関係の回復」を図ることである
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%89%E3%82%B3%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%AB
ところ、帰った先が都会ではなく「村」であれば、「行動をコントロールする団体から引き離」されていただけでなく、家族や(人間主義的な)周りの村人との「信頼関係の回復」もまた容易であったであろうことから、そんなことは、不思議でも何でもないでしょう。(注5)

 (注5)「マインドコントロール理論」が米国において、学界においても裁判においても認められていない(ウィキペディア上掲及び
http://en.wikipedia.org/wiki/Mind_control 前掲
)、というのは興味深い。この理論を認めれば、布教活動を盛んに行っている米国のキリスト教原理主義宗派はことごとくマインドコントロールを行っているということになってしまいかねない、ということが、この英語ウィキペディアの記述から滲み出ている。

(続く)