太田述正コラム#5326(2012.2.27)
<松尾匡『商人道ノススメ』を読む(その1)>(2012.6.13公開)

1 始めに

 ある読者から、私の縄文モード/弥生モード論や人間主義論を揺るがしかねない見解を持っているらしい松尾匡(1964年〜。久留米大学を経て立命館大学経済学部教授。マルクス経済学者)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%BE%E5%B0%BE%E5%8C%A1
への注意喚起があり、松尾の著書『商人道ノススメ』(藤原書店 2009年)の提供がありました。
 まだ読み始めたばかりなのですが、なかなか「面白い」ので、(連続して取り上げることはできないと思いますが、)さっそく取り上げてみたいと思います。
 かなり松尾に手厳しい内容になりそうですが、この読者の反応やいかに。

2 商人道ノススメ

 (1)序

 読みだしてすぐ感じたのは既視感です。
 上記ウィキペディアを見て、松尾がいまどき珍しいマルクス経済学者であることを知って納得しました。
 レッテル張りは慎まなければならないけれど、松尾、戦後余り時間の立たない頃に続出したところの、左翼近代主義者の末裔なんですね。
 自虐的な日本文化論をもっぱら援用しつつ、封建的な後進国日本は、先進国たる(、そしてたまたま宗主国でもあるところの、)米国を目指して近代化しなければならない、というわけです。
 「はじめに」(序文)には結論が書いてあり、当然、私は著しい違和感を覚えたのですが、これについては後でじっくり批判することにし、まずは第一章から始めることにしましょう。

 (2)第一章

 松尾は、自らは人間科学のフィールドリサーチは行わず、ほかの学者がやったリサーチに拠ってこの本を書いているらしいところ、最初の重要な引用(下掲)のくだりで、早くも私は首をひねりました。

 「山岸俊男<(注1)>が日米で比較調査した興味深い結果がある。正直さ、公正さをどれだけ重視しているのかの度合いをアンケートで尋ねたものである。このとき、5つの質問項目を用意したが、いずれについても、日本人よりもアメリカ人の方が、正直さ、公正さを重視するという、統計的に優位な結論が出た。
 すなわち、「他人に対して公平であろうとして、自分にとって有利な機会をのがすようなことはしたくない」という質問項目では、日本人の方がそう思う度合いが大きい。「場合によっては嘘をつくことも正当化できる」という質問項目でも、日本人の方がそう思う度合いが大きい。「私はどんな場合にもフェアプレイの精神を忘れないようにしている」との質問国目でも、アメリカ人の方がそう思う度合いが大きい。「社会的公平を追求しすぎると、社会の活力が失われてしまう」との質問項目では、日本人の方がそう思う度合いが大きい。・・・
 山岸<は、>・・・別の同様の調査結果が報告されている。1600人のアメリカ人と2000人の日本人への質問調査で、「たいていの人は信頼できると思いますか、それとも用心するにこしたことはないと思いますか?」という質問に対して、「信頼できる」と答えた回答者は、アメリカ人47%、日本人26%だった。「他人は、スキがあればあなたを利用しようとしていると思いますか、それともそんなことはないと思いますか?」という質問に対して、「そんなことはない」と答えた回答者は、アメリカ人62%、日本人53%だった。「たいていの人は、他人の役に立とうとしていると思いますか、それとも、自分のことだけに気をくばっていると思いますか」という質問に対して、「他人の役に立とうとしている」と答えた回答者は、アメリカ人47%、日本人19%だった。」(33〜34、279〜280)

 (注1)1948年〜。一橋大学卒、ワシントン大学で博士号取得、同大学研究員を経て、現在、北海道大学教授。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E5%B2%B8%E4%BF%8A%E7%94%B7

 前段については、具体的数値が掲げられておらず、具体性に欠けるので、後段を取り上げることにし、そしてその中でも、最初に出てくる「たいていの人は信頼できると思いますか・・・」に焦点を絞ることにしましょう。
 英語での質問文が載っていませんが、「信頼」は恐らく「trust」か「confidence」と訳されていたことでしょう。
 このような調査を行う場合、注意しなければならないのは、調査対象者が自分達の文明の文脈において質問を受け止めるということです。
 言うまでもなく、日本人は日本人一般を、米国人は米国人一般を念頭に置いて一連の質問に答えたはずです。
 さて、米国人一般は、その大部分がキリスト教徒であり、そのうち半分・・共和党支持者・・は原理主義的キリスト教徒かそのシンパである、ということはご存じですよね。
 一体、キリスト教は「信頼」に関してどんな風に教徒に対して説教をしているのでしょうか。
 検索してみて得られた代表例を以下に掲げました。

 「エレミア(Jeremiah)はこうお教えになった。
 善き人々は、たとえ時には弱く欠陥があっても、キリスト教的信頼(confidence)の対象たる価値がある。
 一人の人に対して、あなたが彼ないし彼女を信頼していることを示すことは大いに激励するもとになる。
 以下のことを考えてみて欲しい。・・・

・コリント(Corinth)の教会では問題が山積していたけれど、パウロ(Paul)は、この教会の人々を、彼らへの信頼を口にすることで激励した。(第二コリント書(Corinthians)1:15。ガラティア書(Galatians)5:10も参照)
・パウロがオネシマス(Onesimus)をその所有者(ピレモン(Philemon)に送り返した時、彼は、後者の人格に対する信頼を口にし、彼の逃亡召使いについて正しく対処するだろうとした。(ピレモン書21)

 <すなわち、キリスト教徒やそれに準じる(?)>他人に対して信頼を示すことは、彼らの精神を素晴らしく鼓吹する<のであるから、あなたも信頼を示しなさい>。・・・」
http://www.christiancourier.com/articles/1312-developing-christian-confidence

 つまり、「たいていの人は信頼できると思いますか・・・」と聞かれた場合、キリスト教徒であれば、「たいていの人」イコールキリスト教徒ないしそれに準じる人々と受け止めた上で、かかる人々は「信頼できる」と答える可能性が高いし、当人が原理主義的キリスト教徒であれば、なおさらそう答えざるをえない、と推認できるのです。
 そうだとすれば、米国人は、口ではそう言うけれど、本当に信頼しているのかどうかなど分かったものではない、ということになります。

 このことの傍証とも言えるのが、以前にも(例えばコラム#5296で)取り上げたところの、無神論者に対する米国人の姿勢です。
 米国人ではなくカナダ人についての研究ですが、下掲のようなものもあります。

 「カナダのブリティッシュ・コロンビア大学から発表された最近の研究で、<キリスト教>信仰を持つ人々が無神論者を嫌う第一の理由が「信頼できないから」というものであることがわかった。また、研究は、状況によって無神論者は強姦犯罪者よりも信頼されていないと指摘している。・・・」
http://www.christiantoday.co.jp/article/3829.html

 つまり、「他人」がキリスト教徒ではなく、おまけに無神論者ともなれば、それだけで「信頼」感などゼロに等しい、と米国のキリスト教徒達は公言して恥じないわけです。
 大変興味深いことに、この鏡像のようなものですが、キリスト教徒は口ではきれいごとを言うが、行動が伴っていない偽善者である、というイメージを日本人一般が抱いているらしいことが、下掲から分かります。

 「・・・「非常に信頼できる」「まあまあ信頼できる」
をあわせた各宗教団体への信頼度は……
 仏教   …68%
 神道   …54%  に次いで
 キリスト教 …40%

 この数字、新宗教の「5%」に比べれば高いとも言えるし、既成宗教の中ではやはり低いとも言える。
 2009年の国内におけるデータだ・・・」
http://yaplog.jp/shinkichi1109/archive/277

 いずれにせよ、一事が万事、山岸流の典拠だけで、松尾のように、「日本人よりもアメリカ人の方が、正直さ、公正さを重視する」なんてことを断言できるはずがないのです。

(続く)