太田述正コラム#5298(2012.2.13)
<ロジャー・ウィリアムズ(その6)>(2012.5.29公開)

 こんな米国では、宗教がらみの問題が政争の主要争点になるのはめずらしいことではありません。

 現在、侃侃諤々の議論が行われているのが、一、宗教機関による避妊、断種、事後避妊薬の経費負担、二、ある財団による家族計画への資金援助中止、三、連邦下級審によるところの、同性婚を禁止したカリフォルニア州法に対する違憲審決、の是非です。(注13)
http://campaignstops.blogs.nytimes.com/2012/02/07/the-persistence-of-the-culture-war/?ref=opinion
(2月9日アクセス)

 (注13)一、
http://www.nytimes.com/2012/01/21/health/policy/administration-rules-insurers-must-cover-contraceptives.html?_r=2&pagewanted=print
(2月9日アクセス)
http://swampland.time.com/2012/02/10/mired-in-the-sticky-politics-of-health-and-faith-obama-shifts-on-contraception/?iid=sl-main-lede
(2月11日アクセス)
ニ、
http://www.nytimes.com/2012/02/04/health/policy/komen-breast-cancer-group-reverses-decision-that-cut-off-planned-parenthood.html?pagewanted=print
(2月9日アクセス。以下同じ)
三。
http://www.nytimes.com/2012/02/08/us/marriage-ban-violates-constitution-court-rules.html

 一に強く反対しているのは、米国のカトリック教会ですし、二はキリスト教原理主義勢力/共和党の働きかけに屈する形でなされたものですし、三の州法の採択の背景にあるのも、恐らくは、キリスト教原理主義勢力の同性愛に対する嫌悪感であろうと思われます。
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<脚注:キリスト教と避妊>

 最後に、4で言及したところの、一と二に係る、避妊に対するキリスト教の態度の歴史を振り返ってみることにしましょう。

 「・・・キリスト教の教えにおいて、避妊に反対する最初の直接的な意見表明を行ったのは、アレクサンドリアの聖クレメンス(Clement)<(注14)>だった。

 (注14)Titus Flavius Clemens。150?〜215?年。生誕地についてはアテネ説とアレクサンドリア説がある。アレクサンドリア・キリスト教教義学校(Catechetical School of Alexandria)で教鞭をとり、校長も務めたキリスト教神学者。古典ギリシャ哲学・文学に造詣が深いキリスト教への改宗者であり、とりわけプラトンとストア派の影響を強く受けている。
http://en.wikipedia.org/wiki/Clement_of_Alexandria
 アレクサンドリア教義学校は、4福音書の1つの著者とされる聖マルコ創立と伝えられる。校名とは違って神学を中心とする大学という趣があった。1893年にキリスト教コプト派の施設として再建され、現在に至っている。
http://en.wikipedia.org/wiki/Catechetical_School_of_Alexandria
 「ストア派・・・は、ヘレニズム時代に成立した哲学ないしその学派である。・・・禁欲的な思想と態度によって知られる。ヘレニズム時代以降の古代ギリシア・ローマの時代においてはアカデメイア学派、逍遥学派、エピクロス派と並んで四大学派とされていた。ストア派なる名は、ゼノンがアテナイの彩色柱廊(ストア・ポイキレ)で教授していたことにちなむ。とくに古代ローマの共和制末期からキリスト教を認める前までの帝政期における影響は非常に大きく、・・・重要なストア主義者として名を残しているのは、奴隷エピクテトス、「哲人皇帝」として有名なローマ皇帝マルクス・アウレリウス・アントニヌス、大臣セネカである。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%83%88%E3%82%A2%E6%B4%BE

 彼は、191年に、「聖なる慣例(devine institutiion)は人が繁殖することを旨としているからして、精液(seed)を、無駄に射精してはならず、破壊してはならず、浪費してはならぬ」と記した。
 クレメンスは、聖書の様々な一節をこの評決の根拠とした。
 その一つが、創世記の中の「産めよ増やせよ地に充てよ(Be fruitful and multiply.)」だ。
 彼は、オナン(Onan)<(注15)>の話も引用する。オナンは、自分の精液を地面にぶちまけたために死でもって罰せられた。

 (注15)「ユダとカナン人シュアとの間に産まれた2番目の息子・・・。オナンの兄エルが神に処刑されたので、父ユダはオナンに兄エルの妻タマルと結婚するよう命じた。しかし、オナンはタマルによって設ける子が自分の相続人とならない事を知っていたので、性交の際、故意に精液を地に流した<(=膣外射精した)>。この事は神の意に反する事であったので、オナンは神により処刑された・・・。オナンはオナニーの語源ともなっている・・・。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%8A%E3%83%B3

 現代の学者達は、聖クレメンスの受胎調節への反対を、その考え方がキリスト教神学に強い影響を与えたところの、ギリシャ哲学者達の一派であるストア派(Stoics)由来であるとする。
 ストア派の専門的見解は、快楽のためのセックス等の放縦は人を不幸に導く、というものだった。
 聖アウグスティヌス(Augustine)<(注16)(コラム#471、1020、1169、1761、3618、3663、3908、5061、5100)>、。は、彼の5世紀の書簡群の中で、あらゆる形態の避妊法を激しく非難した時、ストア派の思想を利用した。

 (注16)アウレリウス・アウグスティヌス(Aurelius Augustinus。354〜430年)。現在のアルジェリアに生まれ、そのヒッポ(Hippo)で没す。「古代キリスト教世界のラテン語圏において最大の影響力をもつ理論家。・・・<息子をもうけた女性との>同棲は15年に及んだといわれる。当時を回想して「私は肉欲に支配され荒れ狂い、まったくその欲望のままになっていた」と『告白』で述べている。・・・387年に<この>息子・・・とともに洗礼を受け、キリスト教徒となった。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%82%A6%E3%82%B0%E3%82%B9%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%8C%E3%82%B9

 彼の見解では、セックスは不妊の結婚したカップルにとってさえ罪だった。
 というのは、彼らは子供をつくることができないからだ。・・・
 避妊に対する法王による最初の公式表明は1930年に至るまでなされなかった。
 プロテスタント諸派の受胎調節に対する態度は、英国教会を嚆矢とし、次第に甘いものになっていったのに対し、カトリック教会は、パウロ6世の1968年の「humanae vitae(=Of Human Life=人の生について)」<(注17)>において、受胎調節を行うことへの反対を再確認した。・・・」
http://www.slate.com/articles/news_and_politics/explainer/2012/02/obama_birth_control_battle_when_did_catholics_ban_contraception_.html
(2月12日アクセス)

 (注17)副題が「生誕の規制について(On the Regulation of Birthencyclical)」のencyclical(法王が全司教へ送る回勅)。
http://en.wikipedia.org/wiki/Humanae_Vitae
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(完)