太田述正コラム#5278(2012.2.3)
<イギリス史とロシア史が共鳴した瞬間(その8)>(2012.5.19公開)

 「<イギリスの集団と並んだ、>不死性を神性化した集団がボルシェヴィキの「神構築者達」だった。
 彼らは、共産主義者達が、貴族、ブルジョワ、そして叛乱的農民達に至る反動的と目された人々全員を打ち殺すか飢え死にさせることによって、完全な社会が作り出せると一般的に想像したのとちょうど同じように、科学それ自体を利用することで、不死性くらいは克服できると考えたのだ。
 この箇所で、グレイは、トルストイの、人間には超人間的諸能力が備わっているという見方<(注33)>に言及しても良かったのではないか。

 (注33)恐らく、トルストイが、『神の国は汝らのうちにあり(The Kingdom of God is Within You)』で展開したところの、 教会や国の指導ではなく、キリストの教え、とりわけ山上の垂訓(Sermon on the Mount)を守り、喜捨、非暴力等の人生を送るべきであるという考えを指していると思われる。
http://en.wikipedia.org/wiki/Leo_Tolstoy
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AC%E3%83%95%E3%83%BB%E3%83%88%E3%83%AB%E3%82%B9%E3%83%88%E3%82%A4

 この妄想が、将来科学が蘇らせることができるようになった場合に備えて、レーニンの遺体を保全する無益な試みがなされたかを説明している。
 もっとも、彼の大きな脳が同時に細かく細切りにされてそのユニークな天才性を解明しようとしたこともあり、遺体が部分的に青くなったり緑になったりしたからには、それが困難になったことは間違いなかろう。・・・」(D)

 「・・・スターリンは、ミイラにされたレーニンが、聖者達の遺体が腐敗することがないという正教の信条が深く染み込んでいる大衆に感銘を与える、と計算したことは明らかだ。
 この遺体保全努力は、この指導者の墓がメッカやエルサレムより明るく輝くべきであると声をあげたレオニード・クラーシン(Leonid Krasin)<(注34)>にとっては、間違いなく信条に関わることだったのだ。

 (注34)Leonid Borisovich Krasin。1870〜1926年。1919〜20年:運輸人民委員、1918〜20年:通商産業人民委員、1923〜25年(1920〜24年?):外交通商人民委員、1924〜死:党中央委員。
http://en.wikipedia.org/wiki/Leonid_Krasin

 彼は、キリストによってではなく、科学によって遺体群が蘇る日のことを期待して待っていたのであり、レーニンの遺体が健全な状態で再び動き出す時のために保全するという失敗に終わった努力を行った。
 この廟を建てる計画にあたった委員会は、不死化委員会と呼ばれた。
 エンジニア、テロリスト、密輸人、偽造者、人民委員よりも何よりも、クラシンは神構築者だった。
 彼は、マキシム・ゴーリキーが記したところの、「正義と美の奇跡を行う」能力を人間は持っていると信じた思想の一派に追随した。
 レーニンは神構築者達を毛嫌いしていたが、神構築者達のかなりの数が、この信条とボルシェヴィズムとを結合させていた。・・・
 かてて加えて、芸術家のカシミール・マレヴィッチ(Kasimir Malevich)<(注35)>がおり、彼は、レーニンの墓の正四方体の形を、この指導者が「生きていて永遠であること」の象徴と見た。

 (注35)Kazimir Severinovich Malevich。1879〜1935年。ポーランド系ウクライナ人。シュプレマティスムのパイオニアの一人。社会主義リアリズムに反するとして不遇な晩年を送った。
http://en.wikipedia.org/wiki/Kazimir_Malevich

 彼は、レーニン主義者達は、記念の正四方体をそれぞれの自宅で持つべきであると提案した。・・・」(B)

 「・・・<イギリスにおける>心霊研究は、ある程度科学を標榜した(indulged by)けれど、<科学界によって>公認されることは決してなかった。
 <それに対し、>ソ連では、科学それ自体がマルキシズムの科学的見せかけとスターリンの種々の政治的策謀に従属させられた。
 穀物の反当収量増大という、指導部が聞かせてもらいたい話を約束することで、農学者のトロフィム・ルイセンコ(Trofim Lysenko)<(注36)>は、疑似科学を科学に敵対するために、そして魔術への導管として使うことで、遺伝学の評判を悪くした。

 (注36)トロフィム・デニソヴィチ・ルイセンコ(Trofim Denisovich Lysenko 。1898〜1976年)。[ウクライナ出身。]「メンデル遺伝を否定・・・<す>るミチューリン<[Ivan Vladimirovich Michurin]>の理論を発展させ、<[スターリンの庇護の下、]>独自の進化論を述べた<。この>ルイセンコに真っ向から反対したニコライ・ヴァヴィロフは1940年に「ブルジョア的エセ科学者」として解職、逮捕され、1943年に栄養失調のため死去した。」[スターリンの死もあり、さすがに1950年代には、ルイセンコの影響力も衰えた。]「ソルジェニーツィンは『収容所群島』でこのように告発している。
 一九三四年、プスコフの農業技師たちは雪の上に麻の種子を播いた。ルイセンコの命じたとおり正確にやったのだ。種子は水分を吸収してふくれ、かびが生えだし、すべて駄目になってしまった。広い耕地が一年間空地のままにおかれた。ルイセンコは、雪が富農だといって非難することも、自分が馬鹿だとも言うわけにいかなかった。彼は、農業技師たちが富農で、彼の技術を歪曲したと非難した。こうして農業技師たちはシベリア行きとなった。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%83%AD%E3%83%95%E3%82%A3%E3%83%A0%E3%83%BB%E3%83%AB%E3%82%A4%E3%82%BB%E3%83%B3%E3%82%B3
http://en.wikipedia.org/wiki/Trofim_Lysenko (ただし、[]内)

 神構築者達には、マキシム・ゴーリキー、元神智学協会員(Theosophist)<(注37)>で新しいソ連の体制下で教育人民委員に任命されたアナトリー・ルナチャルスキー、そして、通商人民委員のレオニード・クラーシン、エンジニアでロシア神秘主義者(mistic)のニコライ・フョードロフ(Nikolai Fedorov)<(注38)>等がおり、彼らは、死者はテクノロジーによって蘇らせることができると信じていた。

 (注37)「神智学協会・・・は、ロシア帝国生まれのブラヴァツキー夫人<(前出)>が興した神秘思想結社。神智学協会の目的<は、次の通り。> 人種、信条、性別、階級、皮膚の色の相違にとらわれることなく、人類の普遍的同胞愛の中核となること。比較宗教、比較哲学、比較科学の研究を促進すること。末だ解明されない自然の法則と人間に潜在する能力を調査研究すること。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%9E%E6%99%BA%E5%AD%A6%E5%8D%94%E4%BC%9A

 (注38)ニコライ・フョードロヴィッチ・フョードロフ(Nikolai Fyodorovich Fyodorov。1927〜1903年)。ロシア正教のキリスト教哲学者で、ピョートル・ウペンスキー(前出)に大きな影響を与えた。トランスヒューマニズム(コラム#739、747、748、795、1148)の先駆者と目されている。
http://en.wikipedia.org/wiki/Nikolai_Fyodorovich_Fyodorov

 クラーシンは、レーニンの遺体が保全されるべきであるとする諸決定が行われるにあたっての鍵となった人物だった。

(続く)