太田述正コラム#5264(2012.1.27)
<第一次性革命はあったのか(その2)>(2012.5.12公開)

3 批判も織り込んだ書評

 「・・・近代物理学の基礎がアイザック・ニュートンによって敷かれたとすれば、色欲と誘惑に関する近代的諸観念は、ニュートンの時期以降のジャーナリスト、宮廷人、放蕩者(rake)、小説家、哲学者、社会改革者の一群(roll-call)によって打ち立てられた。
 <この近代的諸観念の>新しい諸仮定には、性的欲望は自然の衝動であるからして自然のはけ口が追求されるべきであること、婚姻外性交は人生にはつきものであることからセックスの道徳性において同意が決定的な役割を果たしうること、しかし、同時に、女性は生来、より「貞淑」であることから<、この同意形成の>標準的パターンは無辜の女性の男性による誘惑によるものであること、といった諸仮定も含まれていた。
 この結果、不可避的に二重基準が導かれた。
 すなわち、男性が大勢の女性と寝るのは遊んでいる(have fun)に過ぎないけれど、複数の男性と寝た女性は売春婦であって、彼女はその本質的に女性らしいところの本性を放棄している、という二重基準が・・。・・・
 ・・・そうすると、すぐに問題が生じる。・・・<これとは対蹠的な、19世紀の>ヴィクトリア期の抑圧的な性道徳をどう説明するかという問題が・・・。
 ちなみに、この本は、18世紀のそれと異なった姿勢が<性に対して>ヴィクトリア期にとられるようになったことについての説明を行っていない。
 <この本の>現代の読者達は、グラッドストーンが「堕ちた女性達」を捜すために、深夜、ロンドンの街路を徘徊した<(コラム#3798)>と聞いてくすくす笑うかもしれない。
 しかし、堕ちた女性達に憑りつかれることは、ヴィクトリア期の道徳主義の中心的様相であっただけでなく、18世紀・・・(その後永続化するところとなる)良い心を持った身持ちの悪い女(tart with a heart)という近代的フィクションの原型の1740年代における出現・・・の直接的承継物でもあるのだ。 
 上流社会向けの高級売春婦(courtesan)達は、全国的な有名人となり、自分の名声を気味の悪いほど現代的な方法で演出(manage)した。
 宣伝的な離れ業として、<高級売春婦の>ファニー・マレー(Fanny Murray)は、(現在なら2,000ポンドに相当するところの)20ポンド紙幣をサンドイッチに挟んで食べることで、こんな金額は無に等しいと、<少額のカネに対する>侮蔑意識を示そうとした。

→同じ18世紀に、江戸に花魁が登場し、「人気の花魁は「遊女評判記」などの文学作品に採り上げられたり、浮世絵に描かれることもあった」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8A%B1%E9%AD%81
ことを思い起こさせる。(太田)

 このような、売春に対する、<以前に比べて>より寛容な姿勢は、彼女達は<、男性達によって、>そのより善い自然の姿に反して甘言で誘い込まれた、という新しい仮定の下における、この女性達を「救う」ための眦を決した努力、と一対のものだった。
 <こうして、>1750年代には、ロンドンに二つの新しい施設が開設された。
 懺悔した売春婦の教護院(reformatory)である「モードリン病院(Magdalen Hospital)」<(注4)>と、誘惑される危険性があると見なされた貧しい少女達が召使いになるための訓練を受けた「ロンドン保護施設(London Asylum)」<(注5)>の二つだ。

 (注4)1758年にロンドンに開設された。かかる目的のための世俗的な施設としてはイギリス最初のもの。
http://www.jstor.org/pss/3787385
 (注5)インターネット上では、この施設に言及したとおぼしきものは下掲のみ。↓
http://books.google.co.jp/books?id=xlsDAAAAMAAJ&pg=PA146&lpg=PA146&dq=London+Asylum;girl;servant&source=bl&ots=Zc1ekJvOZB&sig=OrzTcOcOIOw1gSZfUqQcpa8lAcg&hl=ja&sa=X&ei=36giT8qQCe6ziQeQn_XhAw&sqi=2&ved=0CFcQ6AEwBg#v=onepage&q=London%20Asylum%3Bgirl%3Bservant&f=false

 いわゆるモードリン・ハウスの方は、すぐに世界の英語圏全体に広まり、その1世紀足らず前には考えられなかったことだが、それは、人気のある慈善活動の中の主要な重点の一つとなった。・・・

→最初から福祉社会であったイギリスの面目躍如たるものがありますね。(太田)

 ・・・<しかし、ダボイワラは、18世紀に性革命が起こった・・ヴィクトリア期にはそれがまた変化したように見える・・というが、イギリス人の性意識には、「第一次性革命」以前から、一貫してそれほど大きな変化はないのではなかろううか。>
 例えば、<「第一次性革命」期とヴィクトリア期の過渡期たる>1800年には、結婚する女性の40%は妊娠していた<、という事実がある>。・・・
 また、この著作の大いなる強みは、社会、文化、文学、及び哲学にわたる全ての種類の要素を渉猟しているところにあるけれど、性に対する姿勢における<第一次>革命の実際の原因を突き止める段になると、それが障害になったとさえ言えそうだ。
 <すなわち、著者は、原因を絞り込むことに成功していない。>・・・
 もう一つの問題は、ダボイワラが援用する諸要因、例えば、1688年の「名誉革命」のイデオロギー的諸帰結<として第一次性革命が起こったとも言える>、というのは、<「第一次性革命」が、まるで>イギリスないし英国特有のことで<あるかのような話で>あるけれど、<このような>性に対する諸姿勢<の変化>は、啓蒙時代の間に残りの欧州で生じた諸変化とほぼ同じようなものである、という点だ。・・・
 この本の最初のあたりで、彼は、女性の方が好色で貪欲な性であると<ずっと>見られていたけれど、それが17世紀末になって、男性が女性を誘惑する傾向があるということが一般の注意を引くに至った、と主張する。
 もとより、私は、何世紀にもわたって、神学者達や医学理論家達が、より劣り、より理性的でない女性の本性について書いてきた、ということに疑いをさしはさむつもりはない。
 しかし、<性についての>研究成果として知識人達が書いたことと、酒場で一般の人々が<性について>思<い語>っていたこととの間に違いがずっとあった可能性もまた、否定できないのだ。・・・」
http://www.telegraph.co.uk/culture/books/bookreviews/9027439/The-Origins-of-Sex-by-Faramerz-Dabhoiwala-review.html
(1月24日アクセス)

(続く)