太田述正コラム#5260(2012.1.25)
<第一次性革命はあったのか(その1)>(2012.5.10公開)

1 始めに

 「イギリス史とロシア史が共鳴した瞬間」シリーズを書き綴っていて、何となく陰陰滅滅たる気分になってきたので、「明るい」シリーズを、途中で挿入して生気を取り戻すことにしました。
 ネタは、ファラマーズ・ダボイワラ(かな?)(Faramerz Dabhoiwala)の『セックスの起源--第一次性革命の歴史(The Origins of Sex: A History of the First Sexual Revolution)』です。
 近々公刊されるこの本の抜粋、この本の主張に対する批判も織り込んだ書評、そして批判一辺倒の書評、のそれぞれのさわりを順次ご紹介し、私のコメントを付そうと思います。

 なお、ダボイワラは、1969年にイギリスのブリストルで生まれ、様々な国を転々としつつも、主としてアムステルダムで育ち、その後イギリスに戻り、ヨーク大学とオックスフォード大学に学び、後者で博士号を取得し、そのオール・ソウルズ校(All Souls College)を経て、現在エクセター校(Exeter College)で歴史学の講師を務めています。
 この本は、彼の初めての本です。
http://www.history.ox.ac.uk/staff/postholder/dabhoiwala_f.htm
http://www.dabhoiwala.com/Home.html

2 本の抜粋

 「・・・1600年代においては、イギリス、スコットランド、北米、及び欧州全般では、人々は、まだ姦通罪で処刑されていた。
 欧米のすべてで、婚姻外のセックスは違法であり、教会、国家、及び一般の人々は、それを暴き処罰することに巨大な努力を傾注していた。・・・
 イギリスのアングロサクソン<時代>の国王達の諸法典においては、女性を動産(chattel)扱いするとともに、既婚の男性が自分の奴隷と姦淫することを禁じ、私通男(fornicator)達は公的に辱められ、財産を没収され、その耳や鼻を切り落とされるものとされていた。
 このような厳しさは、キリスト教の教会の、セックスを危険なまでに汚染性のある力とする見解、及び女性は男性よりも好色で道をはずれがちであるという家父長的通り相場、を反映していた。
 中世末期においては、ロンドン、ブリストル、そしてグロースター(Gloucester)といった場所では、有罪と決したところの、売春婦達、売春宿経営者達、私通男、姦婦(adulterer)は精緻なる儀式的処罰の対象となった。
 すなわち、彼らは、髪の毛が剃り落されたり、特別に卑しめられた出で立ちをさせられたりして、ひどく鞭打たれ、晒し台か檻で晒し者にされ、公的に屈辱を与えるために引き回され、コミュニティから永久に追放された。
 宗教改革は、これらの態度の一層の強固化をもたらした。
 最も熱心なプロテスタント達は、姦通等の性的犯罪に対して聖書に基づく死刑を再び科すべく激しく運動をした。
 ピューリタンの原理主義者達が権力を掌握した所・・ジュネーブ、ボヘミア、スコットランド、ニューイングランドの植民地群、そしてイギリスそれ自体・・全てで、彼らはこの目的を追求した。
 ピューリタン達がイギリス内戦で議会側を勝利に導き、国王を処刑し君主制を廃止すると、彼らは、1650年の姦通罪法を採択した。
 爾後、姦通者達と度し難い私通者達と売春宿経営者達は、それまでの男色者達と両刀使い者達同様、単純明快に処刑されることとなった。・・・
 17世紀の・・・婚外子達の数・・・は極めて低かった。
 1650年にはイギリスで生まれた子のわずか約1%しか非嫡出子はいなかった。
 ところが、1800年においては、<教会の>祭壇の前に<イギリスの>40%近くの花嫁が妊娠して現れ、最初の子供達全員の約4分の1は非嫡出子だった。・・・
 そして、1800年までには、男と女の間の同意によるセックスの大部分の形態は、法の領域外の個人的なものとして扱われるようになった。・・・
 <しかし、>特に、同性愛の行為は、次第に暴力的な度合いが増大する形で迫害されるようになった。
 18世紀を通じて、男色に対して日常的に処刑が行われた。
 1830年にはこの罪を犯したものが絞首刑に処されることはなくなったが、その後においても、何千人もの男達が、その自然に反する倒錯に対して晒し台で公的に屈辱を与えられるか刑務所にぶちこまれた。
 オスカー・ワイルド(Oscar Wilde)<(注1)>が1895年に重労働付きの2年間の投獄に処されたのは、単に最もよく知られた例に過ぎない。・・・

 (注1)Oscar Fingal O'Flahertie Wills Wilde。1854〜1900年。「アイルランド出身の詩人、作家、劇作家。・・・出獄後、失意から回復しないままに没した。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%82%B9%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%AF%E3%82%A4%E3%83%AB%E3%83%89

 男色は世界の最も偉大なる諸文明全てにおいて受け入れられている、というのが若き僧職たりトマス・キャノン(Thomas Cannon)<(注2)>の『古代と現代の対少年鶏姦(Ancient and Modern Pederasty)』(1749年)の主題の一つだった。

 (注2)イギリスの18世紀の著述家。最初の近代的性愛文学たる『ファニー・ヒル(Fanny Hill)』・・原書で読めば英語の勉強に絶好!・・
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%8B%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%92%E3%83%AB
の著者のクレランド(John Cleland)は、キャノンの借金を返さなかった廉で投獄され、獄内でこの小説を執筆するも、その間も両人の関係は更に悪化し、出獄してから、クレランドはキャノンを男色等で告発したため、キャノンは3年間国外逃亡をする羽目となり、結局、帰国後、キャノンは再び執筆等の活動をすることなく生涯を終えることとなる。
http://en.wikipedia.org/wiki/Thomas_Cannon

 「ちょっとした通(dabbler)なら誰でも、自分が読んだ古典を通して、少年愛は啓蒙的な時代のほとんどにおいて、最高に洗練された行為だったことを知っている」と彼は指摘する。
 ヨークシャーの淑女たるアン・リスター(Anne Lister。1791〜1840年)<(注3)>がその日記の中で英語によるものとしては初めてレスビアン愛を完全に正当化したこと、そして、当時の最も影響力ある改革者であったベンサム(Bentham)が数えきれないほどの個人的議論や何百頁もの覚書や論文で同性愛者の権利を擁護したこと、によって、同種の議論が体系的に発展せしめられた。・・・

 (注3)地主、日記作家、登山家、旅行家。日記の6分の1にあたるところの、自分の性愛を赤裸々に描いた部分は、代数と古典ギリシャ語を組み合わせた暗号で書かれていたが、これが1930年代に解読された。彼女は、しばしば、最初の近代的レスビアンと呼ばれる。
http://en.wikipedia.org/wiki/Anne_Lister

 欧米文明の夜明け以来、女性は男性よりも好色であると見なされてきた。
 女性は、メンタルに、道徳的に、そして肉体的に男性よりも弱いために、自分の情熱をコントロールする能力が低く、男性よりももっと、(イヴのように)他者を誘惑して罪を犯させる存在である、というのだ。
 しかし、1800年までには、そのまさに正反対の考えが根強くなった。
 今日では、男性は、女性よりも生来的に性衝動が強く、女性を誘惑しがちであると信じられている。
 女性達は、男性に比較してデリケートで性的に防御的で男性の強欲に対して常に警戒を怠ってはならないものとされる。
 女性達の相対的な性的受動性の観念は、欧米世界全般の性的動態にとって基本的なものとなったのだ。
 このことの効果は遍在的なものとなったが、今もなおそうだ。・・・
 近代的思考方法において同じく重要なのは、<特定の>人種と階級の次第に募る性欲化(sexualisation)だ。
 下層階級と非白人女性が性的により抑制的ではないとの仮定は、調査事項兼心地よい興奮(titillation)事項とあいなったのだ。・・・」
http://www.guardian.co.uk/books/2012/jan/20/first-sexual-revolution
(本の抜粋。1月22日アクセス)

(続く)