太田述正コラム#5249(2012.1.20)
<イギリス史とロシア史が共鳴した瞬間(その1)>(2012.5.7公開)

1 始めに

 かねてからお馴染みの著者によるある本の書評に約1年前に接しながら、私にとって、この本の指摘が余りにも思いがけないものであったために、封印をしたまま現在に至っていました。
 その本とは、ジョン・グレイ(John Gray)(コラム#3218、3676、4242)の 'The Immortalization Commission: Science and the Strange Quest to Cheat Death' です。
 「思いがけな」さについては、さしあたり、このシリーズのタイトルから想像を逞しくしていただくこととして、早速、書評をもとに、この本の内容のさわりをご紹介を始めることとし、適宜、私のコメントを付したいと思います。

A:http://www.guardian.co.uk/books/2011/jan/29/healthmindandbody-history
(2011年1月29日アクセス)
B:http://www.independent.co.uk/arts-entertainment/books/reviews/the-immortalization-commission-science-and-the-strange-quest-to-cheat-death-by-john-gray-2196191.html
(2012年1月19日アクセス。以下同じ)
C:http://www.independent.co.uk/arts-entertainment/books/reviews/the-immortalization-commission-science-and-the-strange-quest-to-cheat-death-by-john-gray-2198284.html
D:http://www.telegraph.co.uk/culture/books/8269448/The-Immortalization-Commission-by-John-Gray-review.html
E:http://www.spectator.co.uk/books/6665908/perchance-to-dream-.thtml
F:http://www.guardian.co.uk/books/2011/jan/08/john-gray-immortality
G:http://www.nytimes.com/2011/05/08/books/review/book-review-the-immortalization-commission-by-john-gray.html?pagewanted=all
H:http://philosophynow.org/issues/86/The_Immortalization_Commission_by_John_Gray
I:http://www2.macleans.ca/2011/05/12/review-the-immortalization-commission-science-and-the-strange-quest-to-cheat-death/

2 イギリス史とロシア史が共鳴した瞬間

 (1)序

 「・・・グレイの人生は、彼がノーマン・コーン(Norman Cohn)<(コラム#3212、3218、3678)>の『千年王国の追求(The Pursuit of the Millennium)』を読んで変わってしまった。・・・
 この画期的な著作において、コーンは、中世の時代における千年王国の諸運動と20世紀の諸世俗的全体主義とはアブラハム系諸宗教と基本的諸性格を共通にしている、と主張する。
 彼らは、歴史を目的論的に見た。
 それだけではない。
 彼らは、歴史は直線的に進む、従って方向性と目的地を持っている、と考えた。・・・」(C)

 「・・・英国の哲学者であり、かつ自由奔放なる知識人として、ジョン・グレイは、哲学を面白くて読んで楽しいものにする深刻なる危険を醸成している。・・・」(G)

 「・・・この本は、二つの部分から成り立っている。
 前半では、グレイは、ヴィクトリア時代末とエドワード時代の知識人達で、自分達の心霊分野の研究を通じて死者との交信が可能であると推定した者達について記す。
 この幻想に、イギリス社会の上澄みの人々は感染したが、いまだ死後の世界の存在についての具体的証拠は得られていなかった。
 後半では、グレイは、ボルシェヴィキの神構築者達(God-builders)のお馴染みかつ陰惨なる物語を説明する。
 彼らもまた、科学が、死すべき人類という運命を克服できる、という信条でもって、同様に活気づいていた。
 レーニンの遺体を保全するためのばかげた機関が設立されたことは、このプロジェクトの絶頂であり、ここからこの本の題名がとられている。
 この二つの世界をつないでいるのが、H.G. ウェルズ(Wells)<(コラム#380、3710、4148、4717)>であり、彼が、ユートピア論者であることや、そのマキシム・ゴーリキー(Maxim Gorky)<(注1)(コラム#573、5112)>の三番目の妻との交情について、グレイは素晴らしいルポをものしてくれている。・・・」(C)

 (注1)1868〜1936年。社会主義リアリズムの創始者。「1905年、ボリシェヴィキ組織に入り、・・・1905年から1907年までの革命<の際>には、・・・巨額の援助をしたとされる。第一次世界大戦の際には、ペトログラードのゴーリキーのアパートはボリシェヴィキの事務室になった。しかし、・・・十月革命の2週間後の手紙にはこう書いている。「レーニンもトロツキーも自由と人権についていかなる考えも持ち合わせていない。彼らは既に権力の毒に冒されている」。・・・1921年、結核の療養のためイタリアのソレントに移り住んだ<が、その後、>・・・イタリアでの暮らしに困って・・・1932年に・・・ファシスト政権のイタリアから・・・ロシアに戻った。・・・彼はレーニン勲章を受け、モスクワの邸宅(現在はゴーリキー博物館・・・)と郊外の別荘を贈られる。このとき、モスクワのトヴェルスカヤ通りがゴーリキー通りと改められ、生地のニージニー・ノヴゴロド市もゴーリキー市と改称された(1990年まで)。ゴーリキーはソビエト作家同盟を設立し、その議長に就任する。<しかし、>1934年、・・・スターリンによる粛清が始まると、ゴーリキーは自宅に軟禁されるようになった。1935年、息子・・・を亡くした翌年、1936年にモスクワで没する。両者とも毒殺された疑いがある・・・。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%82%AF%E3%82%B7%E3%83%A0%E3%83%BB%E3%82%B4%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%82%AD%E3%83%BC

 「・・・この本の本質は、ヴィトゲンシュタイン<(コラム#814、5236)>の著書 'the Tractatus' の有名な一節であるところの、「仮に可能なあらゆる科学的問に答えが出たとしても、人生の諸問題の<問の>大部分は残る、と我々は感じる」に対する返答なのだ。・・・」(H)

 (2)イギリス

・総論

 「・・・<上出のイギリスの>知的指導者達は、誰もが、愛する人が死んだことを受け容れることを拒否し、霊媒(medium)の自動筆記を通じてその<死んだ>者が<自分に>接触してくれる、と信じていた。・・・」(D)

 「<この本では、我々は、まず、>チャールズ・ダーウィン、フランシス・ゴルトン(Francis Galton)<(注2)>、そしてジョージ・エリオット(George Eliot)<(コラム#474、3038、3292)>が出席した1874年の降霊術の会(seance)<を紹介される。>

 (注2)1822〜1911年。「イギリスの人類学者、統計学者、探検家、初期の遺伝学者。・・・優生学と近代統計学の父・・・チャールズ・ダーウィンは従兄・・・。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%B7%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%82%B4%E3%83%AB%E3%83%88%E3%83%B3

 その数頁後には、我々は、ウィリアム・ジェームス(William James)<(注3)(コラム#3937、3976)>、アンリ・ベルグソン(Henri Bergson)<(注4)>、ジョン・ラスキン(John Ruskin)<(コラム#81、176、471、2314)>、テニソン卿のアルフレッド(Alfred, Lord Tennyson)<(注5)>、そしてW. E. グラッドストーン(Gladstone)<(コラム#310、312、590、1202、1757、3222、3798、4087、4442、4782)>等を会員とする心霊現象研究学会(Society for Psychical Research)<(注6)>・・創設者は、フレッディー・マイヤーズ(Freddie Myers)とヘンリー・シジウィック(Henry Sidgwick)<(注7)>(E)・・・を紹介される。

 (注3)ウィリアム・ジェームズ(William James。1842〜1910年)。米国を代表する哲学者・心理学者。パースやデューイと並ぶプラグマティストの代表として知られている。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%83%A0%E3%83%BB%E3%82%B8%E3%82%A7%E3%83%BC%E3%83%A0%E3%82%BA
 (注4)アンリ=ルイ・ベルクソン(Henri-Louis Bergson。1859〜1941年)。「ポーランド系ユダヤ人を父、イギリス人を母として、パリ・・・で生まれる(妹のミナは、イギリス<人>・・・と結婚し<た。>・・・。誕生後数年は、家族とイギリス・ロンドンで生活を送る。母によって、早くから英語に慣れ親しんだ。彼が9歳になる前に、彼の家族は、フランス・・・に移<った>。・・・ハーバート・スペンサーの著作を熟読して受けた実証主義・社会進化論の影響のもとに、自己の哲学を形成する。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%AA%E3%83%BB%E3%83%99%E3%83%AB%E3%82%AF%E3%82%BD%E3%83%B3
 (注5)Alfred Tennyson, 1st Baron Tennyson。1809〜92年。ヴィクトリア朝時代のイギリス詩人。哀れな水夫の物語詩『イノック・アーデン Enoch Arden』(1864年)等で知られる。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%83%95%E3%83%AC%E3%83%83%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%86%E3%83%8B%E3%82%B9%E3%83%B3
 (注6)「1882年にケンブリッジ大学トリニティ・カレッジの(フレデリック・マイヤーズを含む)心霊主義に関心のあった三人の学寮長によって設立された」。会長は、初代シジウィック、二代A.J. バルフォア(後出)、三代ウィリアム・ジェイムス(前出)と続いた。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BF%83%E9%9C%8A%E7%8F%BE%E8%B1%A1%E7%A0%94%E7%A9%B6%E5%8D%94%E4%BC%9A
 (注7)1838〜1900年。イギリスの 哲学者、倫理学者。女性の高等教育の促進への貢献で知られる。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%98%E3%83%B3%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%82%B7%E3%82%B8%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%83%83%E3%82%AF

 かかる多くの超自然的な諸調査を突き動かしていたところの、これら知的指導者達の中心的関心事項は、果たして死後の生が存在するのか、という決して取るに足らないとは言えない問いかけだった。・・・
 いわゆる自動筆記を通じて生み出された、来世から来た「手書き文(script)」を極めてしばしば伴ったところの、心霊調査は、シグムンド・フロイト<(コラム#471、496、1078、1122、2870、2974、3318、3517、3820、4887、5236)>、カール・ユング(Carl Jung)<(注8)(コラム#701、3489)>、ウィリアム・バトラー・イェイツ(William Butler Yeats)<(注9)>、エズラ・パウンド(Ezra Pound)<(注10)>、オルダス・ハックスレー(Aldous Huxley)<(コラム#1105、3529、4107、5126)>、そしてアンドレ・ブルトン(Andre Breton)<(注11)>等の、20世紀前半の何ダースもの大知識人達によって実施され、議論された。・・・」(G)

 (注8)Carl Gustav Jung。1875〜1961年。「スイスの精神科医・心理学者。深層心理について研究し、分析心理学(通称・ユング心理学)の理論を創始した。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%82%B0%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%95%E3%83%BB%E3%83%A6%E3%83%B3%E3%82%B0
 (注9)1865〜1939年。「アイルランドの詩人、劇作家。・・・神秘主義的思想をテーマにした作品を描き、アイルランド文芸復興を促した。日本の能の影響を受けたことでも知られる。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%83%A0%E3%83%BB%E3%83%90%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%82%A4%E3%82%A7%E3%82%A4%E3%83%84
 (注10)1885〜1972年。米国生まれだが1908年から英国、1920年からフランス、1920年代中ごろからイタリアに居住。ムッソリーニを熱狂的に支持したため、戦後米国に送還されて反逆罪による告発を受けたが、精神障害と判断され、12年間を精神病院で過ごした。「詩人、音楽家、批評家であり、T・S・エリオットと並んで、20世紀初頭の詩におけるモダニズム運動の中心的人物の一人・・・。・・・パウンドの一見奇矯な理論と政治的活動とを解く鍵は、近年、彼のオカルト及び神秘主義への興味にあるとする説も出てきている。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%82%BA%E3%83%A9%E3%83%BB%E3%83%91%E3%82%A6%E3%83%B3%E3%83%89
 (注11)1896〜1966年。「フランスの詩人、文学者、シュルレアリスト。・・・第二次世界大戦中にはアメリカ合衆国のニューヨークに亡命していた・・・。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%AC%E3%83%BB%E3%83%96%E3%83%AB%E3%83%88%E3%83%B3
 「彼が<シュルレアリスト>宣言前後から行っていた詩作の実験がオートマティスム(自動筆記)と呼ばれている。・・・」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%87%AA%E5%8B%95%E8%A8%98%E8%BF%B0

(続く)