太田述正コラム#5242(2012.1.17)
<スチュアート王族の歴史(その1)>(2012.5.4公開)

1 始めに

 アラン・マッシー(Allan Massie)の 'The Royal Stuarts' という本が昨年から今年にかけて、かなり英国を中心に書評で取り上げられていることもあり、イギリス史には目のない私め、書評をもとにこの本の中身を紹介し、コメントを付すことにしました。

A:http://online.wsj.com/article/SB10001424052970204012004577070502967313534.html?mod=WSJ_Opinion_LEFTTopOpinion
(12月20日アクセス)
B:http://www.telegraph.co.uk/culture/books/7724980/The-Royal-Stuarts-by-Allan-Massie-review.html
(1月15日アクセス。以下同じ)
C:http://www.guardian.co.uk/books/2011/apr/24/royal-stuarts-allan-massie-review
D:http://keith-perspective.blogspot.com/2011/10/royal-stuarts-by-allan-massie-jonathan.html
E:http://www.british-weekly.com/?p=8390
F:http://www.historyextra.com/book-review/royal-stuarts-history-family-shaped-britain
G:http://www.telegraph.co.uk/culture/books/bookreviews/7800958/The-Royal-Stuarts-A-History-of-the-Family-that-Shaped-Britain-by-Allan-Massie-review.html

 なお、マッシーは、1938年にゴム・プランテーションを経営していた父の下に生まれ、少年時代をスコットランドのアバディーン地区で送り、ケンブリッジ大学を卒業(歴史専攻)したところの、スコットランドのジャーナリスト、コラムニスト、スポーツ著述家、かつ小説家です。
http://en.wikipedia.org/wiki/Allan_Massie

2 スチュアート王族の歴史

 (1)序

 「・・・スチャート家<(注1)>は英国を1世紀ちょっと統治した。
 これは、テューダー家<(注2)>よりも短く、プランタジネット家<(注3)>が支配した期間の3分の1にも満たない。

 (注1)Stuart(Stewert)家は、スコットランドに加えて、イギリスとアイルランドを1603〜1714年、統治した。ただし、1649〜60年はイギリスとアイルランドに関しては空位時代。この間もスコットランドではチャールス2世が即位したため、空位時代はなかったとされる。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%83%86%E3%83%A5%E3%82%A2%E3%83%BC%E3%83%88%E6%9C%9D
 (注2)Tudor家は、イギリスを1485〜1603年、アイルランドを1541〜1603年、統治した。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%86%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%83%80%E3%83%BC%E6%9C%9D
 (注3)Plantagenet(Angevin Plantagenet)家は、イギリスを狭義では1154〜1399年、統治した。「ただし、その後に続くランカスター朝、ヨーク朝ともプランタジネット家の傍系(それも最末期になって分岐した家系)であり、広義」では、「1485年にヨーク朝のリチャード3世がボズワースの戦いで敗死するまで」統治したことになる。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%97%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%BF%E3%82%B8%E3%83%8D%E3%83%83%E3%83%88%E6%9C%9D
 ただし、同家は、12世紀から13世紀初期にかけて、ピレネー山脈からアイルランド東部に至る・・更に、アイルランド西部、スコットランド、ウェールズも事実上支配した・・アンジュー帝国(Angevin Empire)(コラム#96、2055、2210、4529)の統治者となった。
http://en.wikipedia.org/wiki/Angevin_Empire

 <しかし、>アラン・マッシーは、この一家が国王的な存在(royal identity)であった・・・3世紀に及ぶ(F)・・・1371〜1766年の期間全体をこの本で扱う。・・・」(G)

 「・・・スチュワート(Stewart)という、メアリー・スチュアート(Mary Stuart)<(コラム#4278、4280、4282、4300、4312)>がフランス的綴りを採用する前までの姓は、この家のもともとの地位が、<スコットランド>王室の家産(royal revenues)の執事(steward)であったことを示している。・・・」(A)

 「・・・「スチャート的頑固さ」という表現がしばしば登場するし、「矛盾に堪えられるスチュアートはほとんどいない」とも我々は聞かされる。
 しかし、同時に、個人的魅力と「忠誠心を喚起する能力」がスチュアートの特徴であり続けたように見える。
 宗教的大義への揺るぎなき傾倒<もまた、スチュアート家の人々の>共通の特徴だ。
 それがなかったとすれば、チャールス1世もジェームス2世も<、それぞれイギリス内戦と名誉革命で>王座を失うようなことはなかっただろう。
 その一方で、(チャールス1世を唯一の例外として、)性道徳の軽視は<スチュアート家の>業病といったおもむきがある。
 その歴史は、国王の情婦達とその高貴なる庶子達で溢れ返っている。
 そして、同性愛もその中に含まれている。・・・」(B)

 「・・・この本の最後の所で、マッシーは、今日のスコットランドのほとんど大部分の人は、最初のスチュアート家の<スコットランド>国王であったロバート2世の(、その15人の嫡出子と19人の庶子を通じての)子孫である可能性がある、と示唆することによって、<上記>の類いの長期的議論の梯子をはずしてしまう。
 だから、我々としては、一般的な真実として、スコットランド人の若干は頑固であり、若干は魅力があり、若干は敬虔であることを単に認め、慎ましく、それ以上のことには踏み込まないようにしようではないか。・・・」(B)

 「・・・この本には、比較的少ない巻末注しかついていないし、引用された資料源の過半は、軽量級の歴史家達と、とりわけウォルター・スコット(Walter Scott)<(コラム#4177、4197、4414、4885、4924)>のような、よく知られた文学者達によるものだ。・・・」(G)

(続く)