太田述正コラム#5238(2012.1.15)
<煮え切らない無神論について(その1)>(2012.5.2公開)

1 始めに

 アラン・ド・ボトン(Alain de Botton)の 'Religion for Atheists: A Non-Believer's Guide to the Uses of Religion' を、その書評と本からの抜粋をもとに紹介、私のコメントを付そうと思います。

A:http://www.guardian.co.uk/books/2012/jan/12/religion-for-atheists-de-botton-review
(書評)(1月13日アクセス。以下同じ)
B:http://www.penguin.com.au/products/9780241144770/religion-atheists-non-believer-s-guide-uses-religion/72563/extract
(本からの抜粋)

 ボトンは、1969年にチューリッヒで生まれたユダヤ系スイス人であり、8年間スイスで初等教育を受けた後、イギリスの寄宿舎学校に入り、ハロー校を経てケンブリッジ大学を卒業し、ロンドンのキングスカレッジで哲学の修士号を取得、更にロンドン大学でフランス哲学の博士号を取得し、その後も引き続きイギリスに住み、TVプレゼンター、企業家として活躍する傍ら、一般向けの本を出版してきた、という人物です。
http://en.wikipedia.org/wiki/Alain_de_Botton

2 煮え切らない無神論

 「・・・煮え切らない(reluctant)非信心(non-belief)ははるかな昔からある。
 マキアヴェッリ(マキャベリ=Machiavelli)<(コラム#471、544、568、3403、3813)>は、宗教的な諸観念は、どれほど空虚であろうと、群衆を震え上がらせる(terrorise)有用な方法であると考えた。
 ヴォルテール(Voltaire)<(コラム#516n801、996、1079、1254、1255、1256、1259、1665、1865、2382、2454、2502、3413、3559、3684、3702、3722、3754、4023、4443、5134)>は、キリスト教の神を拒絶したけれど、自分の懐疑主義で自分の召使い達を感染することを防ぐ心配をした。
 無神論は、選良にとっては結構だけれど、大衆の間に異議申し立て感情を醸成するかもしれない、というわけだ。
 18世紀のアイルランドの哲学者のジョン・トーランド(John Toland)<(注1)>は、売春婦と堕落した僧侶の庶子であると噂された人物だが、自分自身は「合理的(rational)」宗教に執着しつつ、下層階級の人々(rabble)は自分達の種々の迷信を信じ続けるべきであると考えた。

 (注1)1670〜1722年。合理主義哲学者にして自由思想家で時折の風刺家でもあり、政治哲学と宗教哲学の本やパンフレットを多数書いた。アイルランドのカトリック地区かつアイルランド語地区に生まれたが父母は不祥。グラスゴー、エディンバラ、ライデン、そしてオックスフォードの各大学で学び、ジョン・ロックの影響を受けた。
http://en.wikipedia.org/wiki/John_Toland

 金持ちのための神とは別の神が貧乏人のためにはあるというわけだ。
 エドワード・ギボン(Edward Gibbon)<(注2)(コラム#858、1768、2138、2882、3483、4822)>は、あらゆる時代を通じての最も悪名高い懐疑主義者の一人だが、彼は、自分が軽蔑していた宗教的諸教義も、なお社会的には有用でありうる、と思っていた。

 (注2)「父親は若かりし頃の彼が信仰<が>・・・カトリック教会へ傾きかけた時、不安に思った。その頃のオックスフォード大学では宗教論争が激しく、イギリスで紳士階級の人間がカトリックへ改宗するというのは18世紀の当時、人生においてとてつもな<く悪>い意味を持っていた。紳士階級社会の多くからは排斥されるであろうし、また昇進が望めるような門は閉ざされる、ということである。それを恐れた父親は息子を大学から追い出し、彼をスイスのローザンヌに住むプロテスタントの牧師であり個人教授も行っていたパヴィリアード(M. Pavilliard)の元へ送った。彼がローザンヌで受けた教育は終世、彼に大きな影響力を持った。彼は覚え書きにこう書いている。「我が教育の成したものがなんであろうと、それらは私をローザンヌへ追いやった幸運な追放のたまものである<、と>。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%89%E3%83%AF%E3%83%BC%E3%83%89%E3%83%BB%E3%82%AE%E3%83%9C%E3%83%B3
 パヴィリアードはカルヴィン派の牧師であり、英語がほとんどできなかったが、ギボンがフランス語を身に着けることで意思疎通ができるようになり、ギボンは、彼から、ラテン語のほかギリシャ語も少々、そして論理学、数学、形而上学、法理学を学んだ。
http://www.freefictionbooks.org/books/e/44100-encyclopaedia-britannica-11th-edition-volume-11-slice-8-germany-to-gibson-william?start=207

 今日においては、ドイツの哲学者のユルゲン・ハーバーマス(Jurgen Habermas)<(注3)>がやはりそうだ。

 (注3)1929年〜。ドイツの社会学者、哲学者。「1929年・・・デュッセルドルフに生まれた。少年期をナチス政権下で過ごし、ドイツ少年団、ヒトラー・ユーゲントに組み込まれていた。・・・1954年にボン大学で博士号を習得した。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A6%E3%83%AB%E3%82%B2%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%8F%E3%83%BC%E3%83%90%E3%83%BC%E3%83%9E%E3%82%B9
 「ハーバーマスは、マックス・ヴェーバーの合理化論に起源を持つところの近代概念に関する著作で知られる。彼は、米国のプラグマティズムや行動理論(action theory)、更にはフランスのポスト構造主義(poststructuralism)の影響を受けつつも、その思想の諸教義(tenets)において広義のマルクス主義者であり続けた。」
http://en.wikipedia.org/wiki/J%C3%BCrgen_Habermas

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<脚注:構造主義とポスト構造主義>

 「構造主義とは、狭義には1960年代に登場して発展していった20世紀の現代思想のひとつである。広義には、現代思想から拡張されて、あらゆる現象に対して、その現象に潜在する構造を抽出し、その構造によって現象を理解し、場合によっては制御するための方法論を指す言葉である。・・・
 フェルディナン・ド・ソシュールの言語学や文芸批評におけるロマーン・ヤーコブソンらのロシア・フォルマリズム、プラハ学派、アレクサンドル・コジェーヴのヘーゲル理解などを祖とする。1960年代、人類学者のクロード・レヴィ=ストロースによって普及することになった。レヴィ=ストロースはサルトルとの論争(この論争により、事実上、サルトルと実存主義は葬られた)を展開したことなども手伝ってフランス語圏で影響力を増し、ロラン・バルト(文芸批評)、ジュリア・クリステヴァ(文芸批評、言語学)、ジャック・ラカン(精神分析)、ミシェル・フーコー(哲学)、ルイ・アルチュセール(構造主義的マルクス主義社会学)など人文系の諸分野でその発想を受け継ぐ者が現れた。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A7%8B%E9%80%A0%E4%B8%BB%E7%BE%A9
 「構造主義は、人間やイデオロギーを細分化し客観的で普遍な構造を追求していたが、人間が絶対的な構造に支配されているという絶望感により政治や社会への参画に冷ややかであると考えられていたため目の前の現実に対処する力を持たなかった。デリダによると人間が言葉(ロゴス)によって世界の全てを構造化できるという構造主義の発想も西欧形而上学から抜け出せておらず、構造主義によって形而上学を解体しようという試みもまた形而上学にすぎないと指摘した。そこでデリダは脱構築を行<った。>」(ポスト構造主義のウィキペディア前掲)
 「ポスト構造主義は1960年後半から1970年後半ごろまでにフランスで誕生した思想運動の総称である。アメリカの学会で付けられた名称であり当のフランスではあまり用いられなかった。・・・明確な定義や体系は存在しない。構造主義、アンチヒューマニズム、ポストモダンとそれぞれ関係があり啓蒙思想を否定する。・・・代表的な思想家はジャック・デリダ、ロラン・バルト、ジャン=フランソワ・リオタール、ジル・ドゥルーズ、ミシェル・フーコーなど。ただしこれら思想家の間には思想的な共通性や関連性は必ずしもな<い>・・・。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9D%E3%82%B9%E3%83%88%E6%A7%8B%E9%80%A0%E4%B8%BB%E7%BE%A9
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 ディドロ(Diderot)<(コラム#496、516、1257、1259、3329)>は、フランス啓蒙主義の最古参者(doyen)だが、キリスト教の福音は、イエスがカナ(Cana)の結婚式<(注4)>で花嫁付き添いの若い女性達の乳房をもてあそんだり、聖ヨハネ(John)<(注5)の尻を愛撫したりしておれば、もうちょっと明るいものになっただろう、と記したものだ。
 しかし、そんな彼もまた、宗教は社会的統合のために不可欠だと信じていた。

 (注4)新約聖書のヨハネによる福音書で、イエスが、使徒達とともにカナでの結婚式に出席していた時、ワインがなくなったところ、水をワインに変えるという最初の奇跡を行ったと記されている。
http://en.wikipedia.org/wiki/Marriage_at_Cana
 (注5)6?〜100?年。イエスの12使徒の一人で使徒の中で最も長生きした。新約聖書中のヨハネによる福音書、黙示録等の著者とされる。
http://en.wikipedia.org/wiki/John_the_Apostle

(続く)