太田述正コラム#5214(2012.1.3)
<ダニエル・カーネマンの世界(その2)>(2012.4.20公開)

 「・・・過去35年間にわたって、行動に係る意思決定(behavioral decision)研究、とりわけ諸々の発見的教授法(heuristic)と諸々の偏向(bias)に焦点をあてた研究成果、にずっと投げかけられてきた批判の一つは、これらの研究は、その叙述するところの、魅惑的な諸効果の背後に存する心理学的メカニズムについて、まだ詳細が提供されていない、というものだ。・・・」(H)

 これをより端的に言えば、脳科学的根拠がまだ十分提供されていない、ということでしょう。

 「・・・3つの偏向(再確認(confirmation)、後知恵(hindsight)、結果(outcome)、12の効果(effect)(後光(halo)、枠づけ(framing)、フロリダ(Florida)、マクベス夫人(Lady Macbeth)、その他)、4つの誤謬(fallacy)(埋没費用(sunk-cost)、物語(narrative)、計画(planning)、接続詞(conjunction))、6つの幻覚(illusion)(焦点搾り(focusing)、統制(control)、モーゼ(Moses)、有効性(validity)、技術(skill)、真実(truth))、2つの怠慢(neglect)(分母(denominator)、持続期間(duration))、そして三つの発見的教授法(雰囲気(mood)、影響(affect)、入手可能性(availability))。・・・」(E)

 面白そうですね。
 これら一つ一つについて、説明がなされているネット上の文献があればいいのですが・・。

 (2)二つの自分

 さて、一体、カーネマンの前出の3つのフェーズのどれに該当するのか定かではなく、ひょっとすると第4のフェーズの産物ではないかと思われるのが、この本の題名にも反映されているところの、カーネマンの「二つの自分」についての研究成果です。

 「・・・我々は、この世界を、二つの根本的に異なった思考態様(modes of thought)、すなわち、二つの激しく正反対のやり方であるところの、「システム1」と「システム2」を用いて理解(apprehend)する。
 システム1は迅速だ。それは直観的で連想的で比喩的(metaphorical)で自動的で、印象派的であり、そのスイッチを切ることはできない。
 それが作用(operations)している時は、それをあなたが意図的にコントロールしているという感覚を伴わないけれど、それは、「あなたが行う多くの選択と判断の秘密裏の企画手(author)」なのだ。・・・
 システム2は、遅く、熟慮的(deliberate)であり、<作用させるには、あなたの>かなりの身体的努力が必要(effortful)だ。
 それが作用している時は注意を払うことが求められる・・・。・・・
 システム2は、どちらかと言えば尻込みしつつ(unwillingly)、ことがむつかしくなった場合に<システム1に>とって代わる。・・・
 システム2は、ものぐさであり、(「エゴ枯渇(ego depletion)」と呼ばれるプロセスであるところ、)すぐに疲労してしまう。
 だから、それは通常、システム1が言うことを受け容れる。
 それがしばしば正しいことなのだ。
 というのは、ほとんどの場合、システム1は実にうまくやってのけるからだ。
 システム1は、微妙な環境上の手掛かり、危険の徴表、その他、に関して感受性が高いからだ。
 このシステムのおかげで、我々の遠い昔のご先祖様達は生き延びることができたのだ。・・・
 それは単純化が大好きであり、噂話をし、尾鰭をつけ(embroider)、駄弁を弄する(confabulate)にもかかわらず、WYSIATI(「見えるものが全てだ(what you see is all there is)」)、と決め打ちをする(assume)。
 それは、良い意思決定を行うためにしばしば求められるところの統計的思考の類いについては絶望的なまでに下手であるというのに、結論をいきなり下すし、非合理な諸々の偏向や諸々の干渉効果(interference effects)からなる途方もない連鎖の虜にもなる。・・・」(A)

 「迅速なシステム<1>の二つの根本的様相は、それが損失回避的であることとそれが統計学が不得手だということだ。
 直観においては、「損失は利得よりも大きく見えるからだ」。
 悪いことは、一般に良いことよりも我々にとって印象的なのだ。
 <ある>・・・心理学者は、人間関係が安定的に維持されるためには、悪い相互作用に比べて良い相互作用が少なくとも5倍は必要だと記した。
 このように、<人の人に対する>情熱(passion)においてすら数がものを言う(there is accountancy)のであり、マイナスの得点はプラスの特典よりも重視されるのだ。・・・」(D)

 「囚人達が仮釈放を認められる確率は、裁判官達が食事をした後では約65%だったが、次の食事時間の直前にはゼロ近くまで下がった。
 これは、空腹が裁判官達を復讐志向にしたということではなく、論理的思考にはエネルギーがいるせいなのだ。
 全般的には、仮釈放要求の約35%しか認められなかった。
 つまり、裁判官各自の<思考エネルギーの>蓄電池が空になるにつれて、彼らは、自分達にとっての規定値(default)であるところの仮釈放要求却下へと傾いた、ということなのだ。・・・
 人類の大部分は、その生存中の大部分を疲労しているか空腹であるかその両方であるかの状態で過ごしてきたところ、彼らはかかる条件下においてはとりわけ脆弱だったのだ。
 迅速な思考は、論理的思考に余りエネルギーを割けない状況下で人々が何とかすることを可能にしたわけだ。
 <換言すれば、我々のご先祖様達は、>得られるだけの情報でもっともらしい(coherent)物語をつくることで満足する(suffice)しかなかったということだ。・・・」(D)

 これは、以前(コラム#4974で)触れた話ですね。
 大変興味深く、示唆的な話ではあるものの、これも、残念ながら「脳科学的根拠がまだ十分提供されていな」い仮説的な学説なのでしょうね。

(続く)