太田述正コラム#5210(2011.1.1)
<阿部泰隆論文を読む(その4)>(2012.4.18公開)

 さて、阿部は、件の海幕内部文書について、「一読してわかるとおり、内容<は>無茶苦茶である。<この>文書の一頁目の一番上には海上自衛隊で「法律の専門家」とされる人々が名を連ねているが、本当に彼らは「法律の専門家」なのか。ごまかしの専門家ではないのか。<私>ははなはだ遺憾に思うところである。」(20)と傲慢にも言い放っています。

 しかし、阿部は「事件や争訟を取り巻く社会事情について無知である、というより関心が欠如している」のに対し、海幕の「法律の専門家」達は、それらに関心があって通じていないはずがないことから、それだけで、阿部こそ、「法律の専門家」としての必要条件を欠いている、と言わなければなりますまい。
 阿部が、私は大学の教師を長らく務めているところのプロの法律家でございます、といくら胸を張ったところで、公理系だけを知っておればよいところの数学者と、法律解釈に係る「公理系」だけでなく法律を取り巻く社会事情にも通じていなければならない法律家とは根本的に違うのであって、後者に通じていない人物はプロでも何でもないのです。
 このように考えてくれば、阿部と海幕内部文書(の作成に関わった海幕の「法律の専門家」達)とでは、むしろ後者の方により信頼性がある、ということにならざるをえません。
 例えば阿部は、「実際上求償権の行使はなされていないとして私見等が引用されているが、私見は、実際上、求償していない例が多いようだと嘆いているものであって、だから、求償しない方で平仄を合せよと主張するものではなく、逆に、求償する方への、本来の求償の義務付けの方へとそろえよと主張しているのである。つまみ食い的に都合の良いように理解されるのは、はなはだ心外である。求償権の行使がなされていないのであれば、加害公務員の対外的個人責任を肯定するように理論構成すべきものである。」(17)と言っていますが、日本の行政権においては、求償は義務ではないのであって、原則として求償はしない、という、おおむね各省庁共通の「公定解釈」がとられているわけであり、かかる「公定解釈」がどうして成り立ちえないのか、成り立たせてはいけないのか、についてきちんとした説明すら怠っているところの、一法学者に過ぎない阿部の「奇矯な」見解より、阿部自身が紹介するかかる「公定解釈」の方に件の海幕内部文書が注目したのはしごくまっとうなことであった、と言うべきでしょう。

 しかし、東京訴訟と新潟訴訟で、件の三佐の行為は違法であったと認定された以上は、何らかの形でこの三佐の責任が問われてしかるべきではないか、と思われる方もいらっしゃるかもしれません。
 ところがです。
 日本の裁判官達の大部分も日本の大学の法学部を出ただけの短大卒相当の人々ですから、その多くが「法律を取り巻く社会事情」に関心を持たず、疎いのは、阿部と同じです。
 そもそも、両訴訟における確定判決は、件の三佐の行為が、防衛庁リスト掲載者たる作家と弁護士のプライバシーをそれぞれ侵害したとしているところ、本当にそうなのでしょうか。
 
 日本では、プライバシーについて、一般に以下のようにとらえられています。

 「プライバシー・・・の権利に関わる事柄には、 「私生活上の事実または私生活上の事実らしく受け取られるおそれのあること」「一般人の感受性を基準にして当該私人の立場に立つた場合公開を欲しないであろうと認められること」、「一般の人々に未だ知られていないことがらであることを必要とし、このような公開によつて当該私人が実際に不快、不安の念を覚えたこと」をプライバシー権に関わることとしてあげている。ただし、公人・公的存在に関しては、幾分ゆるく判断されることがある。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%97%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%90%E3%82%B7%E3%83%BC

 件の防衛庁リストには、情報公開請求をした人の「氏名、職業、郵便番号、住所、電話、その他(例えば、新潟事件の原告たる弁護士の場合では、彼がオンブズマンであるといったこと)」という個人情報が記されていました(18)。
 何だ、その程度の内容の代物かと思われたのではありませんか。
 とにかく、件の三佐は、この防衛庁リストを海幕調査課、同中央調査隊へ配布した行為を咎められたわけです(19)。
 この(程度の内容の)個人情報についての、しかもその組織内での情報の共有が、プライバシーの「<(不特定多数の人々への)>公開」にあたるという、両事件の確定判決における認定に対して、私は、強い違和感を覚えるのです。
 結局のところ、日本の司法権もまた、意識せずして、防衛省背広組の策謀の片棒を担がされてしまっている、ということです。
 
 いずれにせよ、誤解しないで欲しいのですが、私は、単に、件の海幕内部文書を作成した海幕の制服の「法律の専門家」達の方が阿部などよりは信頼性がある、と言っているだけであって、海幕を始めとする陸海空自の「法律の専門家」達に全幅の信頼を寄せているわけではありません。
 というのは、(そもそも、防衛省には、戦前の陸軍や海軍ほど優秀な人材が入ってきていないという点はさておき、)現在のような防衛省の中央組織の在り方では、陸海空自から、全幅の信頼を寄せられるような「法律の専門家」が出現するわけがないからです。(注4)

 (注4)「旧軍では、軍法会議<や軍律法廷>があったこともあって、法務は司法試験に合格した人々(先の大戦直前までは文官)によって担われていた。」(拙著『防衛庁再生宣言』65頁)

 陸海空幕が作成する対外向けのあらゆる文書・・件の海幕内部文書のような法解釈に係るような文書を含む・・は、対外的に用いられるような場合には、内局の背広組の審査を通じ、てにをはを含めてズタズタに直される上、その文書について責任を負ったり、国会で答弁をさせられたりする・・最近では防衛大臣等政治家が答弁するようになっているところ、その答弁資料を作成させられる・・こともないことから、これら文書の完成度を高めた上で内局に持ち込むインセンティブが各幕側において働かない、だから、陸海空自衛官が行政官として鍛錬されない、という問題があるのです。
 こういうところからも、私は、かねてより、「防衛省中央組織の背広組と制服組の混成化」を訴えてきた次第なのです。

(完)