太田述正コラム#5176(2011.12.15)
<田中上奏文(その5)>(2012.4.1公開)

3 Bより

 「「田中上奏文」の内容は、東方会議に依拠した中国への侵略計画だった。なかでも著名なのは、次のくだりである。

 支那を征服せんと欲せば、先づ満蒙を征せざるべからず。世界を征服せんと欲せば、必ず先づ支那を征服せざるべからず。(中略)之れ乃ち明治大帝の遺策にして、亦我が日本帝国の存立上必要事たるなり。

→「田中上奏文」の具体的引用がこれだけ、というのでは困ってしまいますが、「明治大帝」が登場した瞬間に偽書の匂いがぷんぷんですね。
 明治天皇の全ての発言、文章(短歌を含む)を探しても、「世界征服」の「世」の字も発見できないはずです。(太田)

 もっとも、「田中上奏文」の全文は、まれにしか通読されてこなかっただろう。なにしろ「田中上奏文」は長文であり、中国語で約2万6000字、邦訳では約3万4000字にもなっている。上奏文とは思えない字数である。その内容は、「満蒙に対する積極政策」から「病院、学校の独立経営と満蒙文化の充実」まで21項目ににも及んだ。・・・

→「日本語」ではなく「邦訳」である以上、「田中上奏文」は、オリジナルが漢語であるということになり、その真偽を論ずるまでもなく偽書だということになってしまいます。
 漢語のものしか発見されていない、ということなのでしょうが、服部はその旨断るべきでした。(太田)

 「田中上奏文」には「附属文書」として、1927年7月25日付けの田中書翰」が添えられた。この「書翰」には、東方会議における「対満蒙積極政策」の経緯が記されており、不可解にも「書翰」は田中から一木喜徳郎宮内大臣に宛てられていた。・・・
 <しかし、>実際に上奏を管轄していたのは、宮内大臣ではなく内大臣であった。そのような「書翰」の不備は戦前から指摘されていた・・・。
 「田中上奏文」は太平洋戦争中にアメリカ映画などに用いられたものの、現在のアメリカでは偽造説が定着している。・・・
 なお、イギリスで「田中上奏文」は、戦前から偽造とされていた。
 ロシアでは戦前はもとより、<ソ連崩壊後の>現在でも「田中上奏文」を本物と考えがちである。・・・
 「田中上奏文」の存在は、モンゴルでもかなり信じられている。モンゴルでは、ノモンハン事件の淵源を「田中上奏文」に求めがちだという。・・・
 韓国で「田中上奏文」は、あまり知られていない。・・・
 しかし、北朝鮮の百科事典には、「田中上奏文」の項目がある。それによると、「田中上奏文」は段階的な侵略計画であり、後の大東亜共栄圏で具体化されたという。・・・
 日本で<は>「田中上奏文」は、戦前から偽造と見なされてきた。・・・
 中国<では、>・・・中国史や世界史の教科書に「田中上奏文」の記述はない。しかし中国の高校では、中国近現代史や世界近現代史の教科書に「田中上奏文」が登場してくる。そこでは、「支那を征服せんと欲せば」という一節が紹介される。脚注で真偽論争が言及されることもあるにせよ、総じて本物と印象づけられる。
 大学で編集された通史にも「田中上奏文」は出てくる。・・・浙江大学日本文化研究所の日本通史をみておきた。それによると、日本の学界では真偽論争があるものの、中国の学会は偽造説の根拠を薄弱と見なすという。・・・」(2〜3、5、9〜10、12〜13、21)

→興味深いのは、旧共産圏においては「田中上奏文」本物説が強く、自由民主主義圏(台湾については下出)では偽造説が強い、ということです。
 前者の中では、モンゴルだけは自由民主主義国になっている・・他方、中共はファシスト国家、ロシアはファシスト的国家、北朝鮮はスターリン主義王朝に変わって現在に至っている・・というのに、依然本物説が強いというのは困ったものです。
 モンゴルの戦前史観を脱共産主義的なものへと変えさせるのは、日本人の役割ではないでしょうか。(太田)

 「<本物説と偽造説のほか、実存説がある。>実存説とは、・・・「田中上奏文」に間違いが含まれると認める一方で、どこかに原本が存在するはずだと主張するものである。つまり、「田中上奏文」が中国に渡って翻訳され流通していく過程で、部分的に不備が生じたと見なすのである。・・・
 中国では本物説も少なくないが、研究者の多くは実存説を採用する。日本とアメリカは偽造説である。・・・台湾の学会動向は注目に値する。台湾の専門家は実存説と偽造説に分かれるものの、1970年代までは本物説や実存説がほとんどであっただけに、偽造説に傾きつつあるといえよう。・・・
 中国<の戦前史観>の根底にあるのは、単に日本が中国を侵略したというだけでなく、侵略の裏側には計画性と一貫性、そして史的構造があったと強調する歴史観である。
 そのような歴史観にとって、「田中上奏文」は格好の材料になってしまう。なぜなら「田中上奏文」は、首相が起筆して天皇も知っていたというものである。侵略の青写真として、これ以上のものはあるまい。このため、流布された「田中上奏文」に誤りを認めたとしても、どこかに原文書が存在するはずだということになる。日本の研究者が、太平洋戦争に至る日本の対外政策を本来の姿からの逸脱と解するのに対して、中国の研究者はそこに必然性をみる傾向にあるといえよう。」(23〜25)

→太田コラムの読者の多くは、服部が言うところの、日本の研究者も中共の研究者も間違っていて、「太平洋戦争に至る日本の対外政策」は、自由民主主義国日本の国民のコンセンサスに基づいたところの、ボトムアップの対赤露抑止戦略の必然的帰結であった、ということをご存じでしょう。
 それは、日本の研究者が解するような「本来の姿からの逸脱」などではありませんし、中共の研究者が解するような、田中らによってトップダウンで策定された「計画性と一貫性、そして史的構造があ」る戦略がもたらした「必然」などでも全くないのです。(太田)

(続く)