太田述正コラム#5160(2011.12.7)
<映画評論32:初恋のきた道(その3)>(2012.3.24公開)

ところで、率直に認めなければならないのは、米国におけるこの映画の評論においても、糸井のそれと同工異曲の部分があることです。

 「中共の政治的激動(upheaval)<にも触れられているが、>それが詳しく描写されることはない。
 これは甘美な(sweet)物語だが、この映画の本当の主人公は、<主役を演じた女優の>チャン・チーリンなのであり<(注2)>、カメラが熱慕するところの、この映像のミューズ(muse<=詩歌・音楽・舞踊・歴史の芸術・学問をつかさどる九女神
http://ejje.weblio.jp/content/muse
>)なのだ。」(F)

 (注2)英文は、単にZhangと記されているので、それがチャン・イーモウである可能性も完全には排除できない。仮にそうだとすると、「・・・この映画の本当の主人公は、<この映画の監督である>チャン・イーモウなのであり、そのカメラは映像のミューズ<であるチャン・チーリン>を敬慕しているのだ」となり、この映画評子は、この部分で糸井と完全に同じことを言っていることになる。

 「とりわけ、フラッシュバック部分が共産主義支那の最も激動の(turbulent)、かつ恐ろしい(ghastly)時期に設定されているという事実にもかかわらず、チャン・イーモウは部外の出来事には関心を持たない。
 <主人公の恋の相手で後に夫となる>チャンユー<先生>の突然の旅立ちの理由はついに明かされることはないが、それは明らかに政治的粛清の一環だ。
 また、学校の壁にペンキで描かれている温和なスローガンを除き、この<映画の>制作設計(product design)には、1950年代の物語に通常付きまとうがらくた(paraphernalia。横断幕、標語、其の他)などほぼ完全に登場しない。
 あらゆるものが、中心となる恋愛物語、より具体的には<チャン・チーリン演ずる主人公の>ディに焦点をあてられており、彼女の眼と感覚を通じて我々は二人の関係の力を観察させられる。
 この力は、「現在」において葬列が準備されるところの、この映画の最終部分に至って大いなる意味を持つことになる。」(G)

 しかし、この二人の米国の映画評子は、それぞれ、次のようにも記しています。
 
 「チャン・イーモウは、我々が、この映画のヒロインに、伝統的な親が決める結婚ではなく恋愛結婚をする方策を見つけさせてやりたいという気持ちにさせる。・・・
 この映画が終わる頃には、我々は、どうして<40年後のディである>老婦人があんな風に思うのかを理解できるようになる。
 彼女の求愛に対し、この国の政治的激動の時期に大きな横槍が入った(hit a major bump)、ということを聞かされたあとでは、特にそうだ。」(F)

 「恋物語が始まったばかりのところで、チャンユー<先生>は突然<村を>去るよう命ぜられる。・・・
 チャンユーは、ついに一日だけ、監視の目を逃れて<村に>戻って来るが、彼がとどまるように命ぜられていたところの「町」に再び連れ戻されてしまう。そしてこの二人はその2年後まで再会を果たすことができないのだ。」(G)

 また、米国の第三の映画評子は、次のように記しています。

 「息子にとっては、<主人公ディの「現在」である>彼の母親の、文化大革命以来顧みられなくなったところの<、家から離れた場所で死亡した人間の魂は、その遺骸を歩いて連れ帰ってやらないと家に戻れなくなってしまう、という>古い言い伝えへのこだわりは、迷信以外のなにものでもなかった。
 しかし、悲嘆にくれるしわくちゃ婆さんは自分の考えを決して譲らず、その結果、何が起こるかというと、息子は、次第に、伝統の価値を学び家族の名誉を他のなにものよりも重んじるようになるのだ。・・・
 私は、この映画の半分を占める「現在」の部分を、そして、この当惑した息子と彼の年老いた母親・・・の間で交わされる場面の単純明快さが気に入った。」(E)

 つまり、米国の映画評論子達は、糸井らとは違って、多かれ少なかれ、政治が主人公達の人生の足を引っ張ってきたこと、それに対して主人公達が抗ってきたことにも着目しているわけです。

 糸井達は手の施しようがなさそうだけど、米国の映画評論子達はほんのちょっと後押しをしてあげればよい、といった感じです。

 それでは、私なりのなぞ解きをしておきましょう。

 ディは自由に選び取った相手に対する打算なき異性愛を、そして彼女の恋人であり夫となるチャンユーは純粋な公への献身を象徴しているのです。
 「40年前」の支那は、日支戦争、内戦、朝鮮戦争を経て、中国共産党政府の下で、「百花斉放百家争鳴」が叫ばれ、そのどちらも貫くことができる自由が、支那の歴史上、初めて可能になったと思われた時代だったのです。
 だからこそ、チャン・イーモウは、この時代をカラーで描いたのです。
 ところが、中国共産党政権は、チャンユーを査問するためにディから彼を引き裂き、愛も献身も妨げられてしまうのです。
 チャンユーは、暗転を示唆するために、二人が(1日間の再会は別にして、)再会する場面すら見せてくれないのです。
 その後、大躍進があり、チャン・イーモウ自身がひどい目に遭った文化大革命が起こり、支那の時間は止まり、後退します。
 1978年から改革開放が始まり、
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%94%B9%E9%9D%A9%E9%96%8B%E6%94%BE
ようやく時間は再び前進を始めます。
 しかし、30年間にわたる停滞は、何と大きな苦しみを支那の人々に与えたことでしょうか。
 実に40年間にわたって、チャンユーがたった一人で教鞭をとり続けた村の校舎・・村人が総出で建てた粗末な小屋・・は建て替えられず、ほとんど廃屋状態になっており、彼は、厳寒の中を町に赴き、町の当局に村の建て替え資金の不足分を拠出してもらうべく画策している最中に急死するのです。
 一方のディの受けた辛酸は、彼女の老醜に表れています。
 計算上は58歳のはずですが、到底そんな年には見えない老女として・・チャン・チーリンとは似ても似つかない女優が演じています・・、彼女はモノクロ画面の中に立ち現れるのです。
 しかし、チャンユーが急死した直後、(そのこともあって?)ようやく、町の当局が建て替え資金を出す決定を下します。
 改革開放で、ついに支那は長いトンネルから抜け出すことができたのでしょうか。
 チャン・イーモウは全くそうは考えていないようです。
 なぜなら、ディとチャンユーの唯一の子供・・一人っ子政策が影を落としている!・・たる若者は、こんな二人の薫陶を受けて人となったはずなのに、しかも、師範大学を卒業させてもらいながら、教師になって欲しいとの両親の強い希望に反して、民間の大企業に勤務している、つまりは、公への貢献から背を向けてしまっているからです。
 また、チャンユーの遺骸を町から村に連れ帰るのにも、その担ぎ手を確保するためのカネ勘定に大わらわにならざるをえない、という有様です。
 改革開放は、カネが全てのエゴイスト達ばかりの社会に支那を変貌させつつあることをチャン・イーモウは示唆しているわけです。
 当然のことながら、そんな社会では、無償の恋などありえず、男女関係は、打算的な関係へと堕落しつつあるはずです。
 しかし、支那はまだ堕落しきってはいませんでした。
 生前のチャンユーの教育を通じての公への貢献に感謝の気持ちを抱いていたところの、彼の教え子達が、意外なことに、支那全土から駆けつけ、彼らが無償で担ぎ手をやってくれたおかげで、件の若者はカネを使わなくて済みます。
 これに感ずるところのあった彼は、勤務先に戻る前に1時間だけ、父親が40年間教鞭をとった廃屋的校舎で、父親の手作りの教科書を用いて教鞭をとります。
 私が紹介した日米の映画評子達のうち誰一人指摘していませんが、この映画の最後の校舎の場面で、「40年前」(モノクロ)と「現在」(カラー)が頻繁に切り替えられるところ、一瞬、「現在」がカラーで表示されます。
 これは、件の若者が、一時間だけ公のために貢献を行ったからなのでしょう。
 しかし、最終的にモノクロでこの映画は終わります。

 支那の夜明けはまだ遠いことをチャン・イーモウは訴えているのです。

(完)