太田述正コラム#5150(2011.12.2)
<映画評論31:ニュルンベルグ軍事裁判(その3)>(2012.3.19公開)

3 インターローグ・・事後法について

 まだ、ホンチャンが始まっていないのにインターローグかよってなもんですが、肩の力を大幅に抜いているこの頃なのでご容赦を。

 米国が自国の憲法で禁じている事後法による「裁判」をニュルンベルグでやったと先に記したところですが、実は話はそんなに簡単ではないのです。
 そもそも、英国だって事後法によるこの「裁判」に賛成したわけですからね。

 ニュルンベルグ裁判に係る事後法批判は、次のようなものです。

 「この軍事法廷は「勝者の連合国によって敗者のドイツを裁く」という異例な形式の裁判で、ニュルンベルク原則・・「国際法上の犯罪は人により行われるものであり、抽象的な存在によって行われるものではない。したがって、当該犯罪を行った個人を処罰することによってのみ、国際法上の犯罪規定は履行されうる」<という原則>・・によ<る>・・・という(事実上)前例のないもの・・第一次大戦のさい、トルコ軍のアルメニア人虐殺に対して連合国側の15人委員会が「人道に反する罪」として取り上げようとしたさい、アメリカおよび日本は「これを認めれば、国家元首が敵国の裁判にかけられることになる」として反対した。またアメリカは国際法廷の設置そのものに前例がないとして反対した。15人委員会はアメリカなどの反対を考慮して、よりマイルドな戦犯裁判を提案しドイツ人901名の戦犯リストを作成したが、ドイツは国際法廷ではなくドイツのライプチヒ最高裁で国内法により戦犯を裁くことを提案し、連合国も合意した経緯がある。・・であり、国際慣習法や条約上で確立したとはとてもいえない「侵略戦争を指導する罪」や「ジェノサイドの罪」を創設するなど異例づくめの法廷であり、そのため、欧州大陸法的な常識(法の不遡及)からは「法廷による法の創造」が行われた裁判との批判が当時から現在まで根強くある。リヒャルト・フォン・ヴァイツゼッカー大統領は開戦時の外務次官であった父エルンスト・フォン・ヴァイツゼッカーがニュルンベルク継続裁判で有罪になった件について「侵略戦争を指導した」とする罪状を「まったく馬鹿げた非難だった。真実をちょうど裏返しにした奇妙な話である」・・・と全面的に否定し、裁判の不当性を批判している。」(E)

 ところが、ニュルンベルグ裁判を、「「法廷は法を発見する場所」という、英米法的な「裁判」の<伝統的な>考え方に基いて<いる>」(D)と見ることもできるのです。

 私が以前(コラム#5053で)、「ヘンリー2世(1133〜1189年。イギリス国王:1154〜89年)・・・は、1154年にコモンロー・・・の集積、整理を行いました。その方法ですが、中央から判事を全国の州長官主宰の裁判所に送り、その地の法や慣習に基づいて審理、判決させ、その結果を再びこれら判事に中央に持ち帰らせ、互いに議論をしながら集積、整理を行わせ、全国共通の先例集(stare decisis=precedent)へとまとめあげさせたのです。爾後、判決を下すにあたって、判事はこの全国共通の先例集に拘束されることとなります。これは、換言すれば、この先例集所載の先例に該当しない事案については、自由に判決を下せる、ということであり、その結果はやがて、節目節目における集積、整理を経て先例集に追加的に反映されていくことになりました」と記したことを思い出してください。
 もう一つ参考を付け加えておきましょう。

 「コモン・ローの「ロー」は、日本語の「法」、「法律」とかなり意味合いが異<り、>・・・もともとコモン・ローは、中世の<イギリス>で対立する当事者の申立てを比べあわせて伝統や慣習、先例に基づき裁判をしてきたことに由来するが、・・・できる限り当事者双方に主張立証を委ね、裁判所は伝統や慣習、先例に照らして各論点ごとにいずれの当事者の論証が説得的であるかということに重点を置いてその事案を裁判すべきとされてきた<。>・・・その意味で裁判所は紛争の調停者であるといわれる。このような、裁判所の中での議論を重視する審理態度は、制定法という裁判所の外から与えられる規範への適合性を重視するという、大陸法圏における審理態度と好対照をなしている。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B3%E3%83%A2%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%AD%E3%83%BC

 しかし、英米法系の米国と英国が、大陸法系のドイツに事後法を押しつけたことに罪悪感を覚えた米国の法律家も少なくありませんでした。

 「ニュルンベルク裁判アメリカ検事団長のロバート・ジャクソン連邦最高裁判事の上司で、当時アメリカ連邦最高裁長官だったハーラン・フィスケ・ストーン判事 (Harlan Fiske Stone) は、・・・ニュルンベルク裁判はコモン・ロー〔不文法〕、あるいは憲法の装いの下で罪人を裁いたのであり、これが私を考え込ませています」(E)と述べています。

 ここで、事後法を禁止しているはずの米国憲法をどうしてストーン判事が持ち出しているのか、疑問に思った方もおられるでしょう。
 この点については、米国がイギリス(アングロサクソン)と欧州(大陸)のキメラである、という私の主張を思い出してください。
 実は、欧州にも、近代以降、制定法(や慣習法)以外に法源があって、それを法学者や裁判官は「発見」・・事実上は「創造」・・できる、とする考え方があるのです。

 「自然法主義(思想)とは、神性や自然、人間理性を基礎として存立する永久不変の「自然法」の存在を認め、実定法に妥当の根拠又は基準を与えるものとして、それは実定法よりも高次の規範であるとする思想である。更に、中世自然法主義が自然法の存立根拠にカトリック教会の権威を挙げるのに対して、近代自然法主義はそれを人間の本性(理性)に求めて形而上学的な教義と権力との結びつきを切断し、恣意的な権力の正当性を否定する。
 近代自然法学説の父は、平和思想家として知られるオランダの法哲学者フーゴー・グロティウスHugo Grotius(1583年〜1645年)である。・・・<彼は、>国際法を自然法と実定法の二つの側面から把握するグロティウス学派を生んだ。・・・
 こうして、近代合理主義・啓蒙主義思想と結合した自然法主義は、17世紀から18世紀にかけて西洋法に大きな影響を及ぼし、1776年の「ヴァージニア権利章典」「アメリカ独立宣言」、<(アメリカ憲法が抜けている!(太田))、>1789年の「フランス人権宣言」、更には1794年の「プロイセン普通国法」、1804年の「フランス民法典Code civil(ナポレオン法典)」、1811年の「オーストリア普通民法典」といった諸法は、全て自然法学説を背景に持っている。・・・
 <なお、>19世紀末から20世紀初頭にかけてドイツで興隆した自由法運動(free law movement、自由法論)は、」
http://www.geocities.co.jp/wallstreet/7009/mg010811.htm
「法は固定した概念にとらわれるべきものでなく、条理や社会的現実面に即するように、自由に運用されるべきであるとする主張<であり、>19世紀末から20世紀初めにかけて、ドイツやフランスなどにおいて、従来の概念法学に対する反動として起こった革新的な法学の方法論<である>。」
http://kotobank.jp/word/%E8%87%AA%E7%94%B1%E6%B3%95%E8%AB%96

 つまり、ストーン判事は、特定の米国憲法の条項ではなく、いわばそれ自体が自然法に則った事後法であるところの、米国憲法そのものを持ち出しているわけです。

 いずれにせよ、事後法云々以外にも(その一部を後述するところの)様々な問題点を孕んでいたニュルンベルグ裁判は、それ自体が法を発見した、あるいは法を創造したと言えるのであって、この裁判なかりせば、生まれえなかった国際法廷群や国際法群には次のようなものがあります。

・国際法廷:極東裁判(International Military Tribunal for the Far East)、アイヒマン裁判(Eichmann trial)、国際刑事裁判所(The International Criminal Court)等々
・国際法:ジェノサイド条約(1948年)、国際人権宣言(1948年)、ニュルンベルグ原則(The Nuremberg Principles)(1950年)、戦争及び人道に対する罪に対する時効不適用条約(The Convention on the Abolition of the Statute of Limitations on War Crimes and Crimes against Humanity)(1968年)、ジュネーヴ諸条約(The Geneva Convention on the Laws and Customs of War)(1949年)/その追加議定書(its supplementary protocols)(1977年)
 (以上、Fによる。)

(続く)
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 12月1日にみずほ銀行に会費5,000円を振り込んでいただいた「スズキ」さん。鈴木名は何名もおられるので、どなたか特定できません。
 会員番号か、フルネーム(漢字)をお教えください。
 なお、鈴木さんに限りませんが、自分は会員番号を教えてもらっていない、という方がいらっしゃったらご連絡ください。(太田)