太田述正コラム#5134(2011.11.24)
<世界殺戮史に思う(その12)>(2012.3.11公開)

 ピンカー自身は、この本をめぐるインタビューで、この問題について、以下のように述べています。

 「私は、共産主義は100年を超える期間、暴力の一つの主要な原動力(force)であったと思う。
 というのは、暴力が共産主義イデオロギーに組み込まれているからだ。
 眼目は、進歩が、しばしば暴力的であるところの、階級闘争からもたらされるという点にあり、それは、正義を実現する唯一の方法はこの弁証法的過程を加速させることであって、抑圧された労働者階級がブルジョワ抑圧者達に対する闘争を実行することを認めることだ、という人口に膾炙する信条に導いた。・・・
 ・・・<他方、>暴力と宗教<についてだが、両者が>、しばしば一緒に進行した<ことは確かだ>。
 しかし、両者の間には完全な相関関係はない。
 また、宗教それ自体が変化することから、宗教が暴力と恒久的につながっている必然性はない。
 宗教と暴力は、<人間の>ふるまい<の変化>と完全に無関係ではないのであって、宗教は、暴力を減少させる潮流に応え<て変化す>る。・・・
 ・・・<さて、>特定の諸イデオロギーを危険なものにするいくつかの事柄がある。
 そのうちの一つがユートピアへの展望(prospect)だ。
 ユートピアは、無限に、かつ永遠に良いものなのだから、そのユートピアを追求するためならどれだけの暴力でも正当化でき、そこでは、諸便益が、それでもなお、諸費用を上回る。
 ユートピア<的思考は、>特定の人々・・<すなわち、>支配階級、ブルジョワ、ユダヤ人、不信心者(infidel)、異端者、等々・・を完全な世界<実現>への障碍として悪魔視させがちだ。
 あなたのイデオロギーが、世界の諸病理の主要な源泉を、定義できる集団として特定するに至ると、それは、この世界におけるジェノサイドの始まりを意味する。」
http://www.csmonitor.com/Books/chapter-and-verse/2011/1109/Interview-with-Steven-Pinker-Are-we-getting-better
(11月10日アクセス)

⇒一見、ピンカーは、共産主義より宗教に甘いように見えます。
 それは、彼が、口語ゆえに厳密にしゃべっていないからではなく、キリスト教原理主義社会である米国に生きる人間として、彼の宗教観を韜晦せざるをえないからでしょう。
 その根拠は次のとおりです。
 ピンカーは、「宗教が暴力と恒久的につながっている必然性はない」と言っていますが、それは、現在の日本共産党の例を持ち出すまでもなく、共産主義等のイデオロギーについてもあてはまるはずです。
 また、彼は、「イデオロギーを危険なものにする・・・事柄・・・のうちの一つがユートピアへの展望・・・だ」とも言っていますが、これは、宗教についてもあてはまるはずです。
 そのことは、「ユートピア<的思考は、>・・・不信心者・・・<や>異端者・・・<を>悪魔視させがちだ」というくだりからも明らかでしょう。イデオロギーに関しては、不信心者とか異端者という言葉を普通用いませんからね。
 要するに、広義の宗教について、ピンカーは私と同じ考えである、と言ってよいでしょう。

4 終わりに代えて・・ピンカー批判

 ホワイトは、単に資料を作成しただけですが、ピンカーはホワイトの資料をもとに、種々の加工を行い、評価を下しているだけに、批判も投げかけられています。

 ある一般読者は、(私が紹介しなかった箇所についてですが、)次のように批判しています。

 「第二次ベトナム戦争についてはどうか。そのコストは、160万人の戦闘死亡者であると彼は言う。
 ところが、彼は、勢いよく(briskly)、それを「国家間の戦争」である、と再定義している。
 それ見たか。米国がやった場合は植民地主義じゃないと言うわけだ。
 分かったよ。ピンカーは、米国以外が戦った場合は植民地戦争と認識できると言うんだな。
 ところがだ。(435,000人の戦闘死が生じた)ロシアのアフガニスタンでの戦争については、「ロシアが一方を支援した(bolstered)内戦」である、と再定義している。
 実際のところは、まことにもって明白なことだが、長引いた植民地戦争は、同時に内戦でもあって、そのほとんどの場合は、外国勢力が叛乱者側にも加担しているものだ。
 まさに、米独立戦争<という植民地戦争>においても、それは<内戦、及び外国間の戦争>の両方でもあった。」
http://www.guardian.co.uk/commentisfree/2011/nov/08/steven-pinker-better-angels-of-our-nature
(11月9日アクセス)

 この点については、このようなマクロ的な分析というものは、私自身が繰り返し記したように、「ざっくり」割り切るより仕方がない面があることから、ピンカーの肩を持ちたいところです。
 しかし、ピンカーであれ、この一般読者であれ、そもそも、私のように、第一次、第二次ベトナム戦争を太平洋戦争の延長ととらえたり、更には、19世紀末の米国のフィリピン侵略に始まる東アジア侵略の一環ととらえたりする発想が全く欠落していることの方が問題でしょう。

 私からも一言。
 前掲のインタビューで、ピンカーは次のようにも言っています。

 「私のこの本に収録できなかった最新の・・・研究によれば、レジスタンス運動・・・<で>成功したものは、非暴力的手段によるものが75%で暴力的手段によるものが25%だ。
 だから、暴力が常に機能するというわけでも、非暴力が常に機能するというわけでもない。
 ただし、非暴力の方が成功率が高いように見える、ということなのだ」と。

 しかし、これはナンセンスです。
 レジスタンス運動で失敗したものと成功したものの比率が示されていないからです。
 成功したということは、体制側が暴力を用いなかったか、暴力をレジスタンス側に比べて小規模しか用いなかったからであると考えられるところ、だからこそ、成功したレジスタンス運動には非暴力的手段によるものが多い、ということに他ならないと考えられるからです。

 最後に、ピンカー批判では必ずしもないところの、もう一人の一般読者の感想を記しておきましょう。

 「暴力は歴史が進行するとともに減少してきたというピンカーの論文は、多くの人々にとって直観に反するものだ。・・・
 このデータに対する、予想される、一つの悩ましい反応は、今日の諸悪に対するパングロス的(Panglossian)<(注33)>盲目であり、今なお存在する現実の苦しみに対して目を閉じることだ。

 (注33)ナイーブないし非合理的なまでに楽観的であること。ヴォルテールの『カンディード(Candide)』の登場人物の一人から来ている。
http://ejje.weblio.jp/content/Panglossian
  「『カンディード或は楽天主義説』(・・・Candide, ou l'Optimisme)は、1759年に発表されたフランスの啓蒙思想家ヴォルテールによるピカレスク小説である。・・・
 この作品はゴットフリート・ライプニッツ哲学を風刺した小説であり、・・・ライプニッツ哲学は、カンディードの家庭教師である哲学者パングロスによって象徴される。物語の中で繰り返される不幸や災難にも関わらず、パングロスは「tout est au mieux(すべての出来事は最善)」であり、「自分は le meilleur des mondes possibles (最善の可能世界)において生活している」と主張し続ける。
 本作でカンディードとパングロスがリスボンで遭遇する大地震の場面は、1755年11月1日に発生したリスボン大地震に基づいている。この惨事に衝撃を受けたヴォルテールは、ライプニッツの楽天主義に疑問を抱き、それが本作の執筆につながった。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%B3%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%BC%E3%83%89

 もう一つの危険は、このデータが、若干の人々に、「万人が万人と敵対する」ホッブス的世界から社会を守るために専制国家を擁護させる方向に導くかもしれないことだ。」
http://www.guardian.co.uk/commentisfree/2011/nov/18/steven-pinker-better-angels-final-verdict
(11月18日アクセス)

(完)