太田述正コラム#2695(2008.7.28)
<新著・追加執筆分(その1)>(2012.1.31公開)

 (金曜日社から出る新著の頁数が不足しているというので、久保卓也と池田久克という二人の防衛官僚へのオマージュを追加することにしました。)

1 始めに

 少ないながらも、尊敬に値する防衛官僚がかつてはいた。
 その中から、久保卓也元防衛事務次官(1921〜80年)と池田久克防衛施設庁長官(1934〜89年)のお二人を追想してみたい。
 
2 久保さん

 (1)久保さんの思い出

 久保さんが亡くなられてからもう28年近くになる。
 久保さんの生み出した防衛力の整備・維持に関わる基本的考え方である基盤的防衛力構想は、生まれてから三分の一世紀経った現在、なお政府=防衛省の公式見解として基本的に維持されている。
 生み出された当時は世界はデタント時代だったが、その後、ソ連のアフガニスタン侵攻を契機とする第二次冷戦時代となり、やがて冷戦の終焉・ソ連の崩壊を経てもなお有効だというのだから、久保さんの考え方は、少なくともこの日本においては、時代を超えた普遍性を持っていたわけだ。
 1976年の秋、防衛事務次官をお辞めになり、防衛庁顧問に就任されたばかりの久保さんに、防衛研修所(現在の防衛研究所)にあった防衛庁顧問室でお目にかかり、一時間以上お話をうかがったことがある。
 その時のお話のエッセンスは、基盤的防衛力構想なるものは、日本の防衛力についてはそのトータルとしての意味や目標が与えられていないことから、もっぱら防衛力の各機能のレベル以下で目標管理をして行くこととする構想である、というものだったと記憶している。
 例えば、防空機能について言えば、まず一定のシナリオ下における「敵」侵攻機の撃墜目標や当方の防空機能の残存目標を設定し、その目標達成に向けて防空機能の整備・維持を図ることとする。ここで大事なことは、防空機能を担う個々の戦闘機部隊等の練度の達成目標がここから導き出されるということだ。
 具体的な達成目標さえ設定できれば、監察・考査を適切に行い、目標が達成できているかどうかを検証していくことにより、当該組織の弛緩、腐敗を防止し、その健全性を維持することができる・・と久保さんは目標管理の意義について語った。
 それでは、具体的な達成目標を設定できないケースはどうするのか、また、各機能に共通する分野や統合的分野における具体的目標の設定はどうあるべきか、等々久保さんの話は、経営学の蘊蓄を傾けながら続いた。
 当時私は米国のビジネススクール留学から帰ってから防衛庁の内局で人事制度・計画担当の部員(課長補佐にあたる)をしていたところ、防衛研修所の先輩から誘われ、本務とは全然関係のない研究プロジェクト(後述)に参加していたのだが、その先輩が同研究に関する専門的意見の提出を久保さんに依頼し、私が久保さんから直に意見を聴取することになったのだった。 
 未だ27歳の若輩に対し、次官にまで上り詰めた久保さんが、真摯な態度で意見を述べられたことにまず感動した私だったが、その感動はしばらくすると、久保さんの経営学の造詣への驚異に変わって行った。自分は二年間にもわたって米国で最新の経営学を学んできたばかりだというのに、到底太刀打ちできるものではないと舌を巻いた。
 私は防衛庁入庁2年目の見習いの頃に、2〜3回久保さん(当時防衛局長)の鞄持ちを勤めたことがあるが、ある時官用車の中で、「我々内局キャリアは、軍事知識・経験では幹部自衛官に及ばず、行政分野での知識・経験は他省庁からの防衛庁出向キャリアに及びません。一体我々は存在意義があるのでしょうか。」と問うたことがあった。その時警察庁出身の久保さんは、「(君たちにも存在意義は)あるさ。」とただちに答えられた。しかし、残念ながら車が防衛庁についてしまい、それ以上の話は伺えずじまいだった。
 久保さんはその回答をこの時してくれた、と私は受け止めたのだった。

 (2)久保論文

 1999年に昔の資料を整理していた時に、1976年当時に久保さんが執筆中であった論文(手書き原稿の青焼きコピー)が出てきた。この論文は、1976年の7月に防衛事務次官を辞め、防衛庁顧問として防衛研修所(現在の防衛研究所。以下「防研」という。)に一室を与えられていた久保さんが、防研が大蔵省からカネをもらって行ったPPBS(Planning Programming Budgeting System=米国国防省等で実施されていた予算編成システム)の再検証研究の一環として、防研の委嘱を受けて一専門家としての立場で、翌年にかけて執筆したものである。
 その年の秋、防研の久保さんの部屋で、上述のような久保さんのお話を私は伺ったわけだ。 
 この論文は、単に久保さんがPPBSに対する所見を述べたものではない。1976年に閣議決定された防衛計画の大綱(その後何回か改訂)の根底にある「基盤的防衛力構想」がいかなる考え方の下で生み出されたかを明らかにした、瞠目すべき論文なのである。
 久保さんは、「本来安全保障政策が明確化、具体化されていない所に、防衛政策の具体的目標は立て難い。そうであれば実は防衛に関する業務と予算の目的的、効率的管理についての大前提を欠くことになる。」と記している。すなわち、防衛庁は構造的かつ深刻なモラル・ハザードの下にある。このモラル・ハザードの下で、なおかつ自衛隊の士気を維持し、不祥事の発生を回避するにはどうしたらよいかという経営学的課題に答えることこそが、基盤的防衛力構想の最大の狙いであったことを私は久保さんからこの耳でじかに聞いたのだが、そのことは、この論文からはっきり読みとることができる。
 私は、この久保さんの本来の考え方に沿って、防衛計画の大綱(旧)の説明ぶりを抜本的に改めることを、編纂を担当した昭和52年(1982年)防衛白書で試みようとした。ところが、自ら素案を執筆して周到な根回しを行い、担当課であった防衛課(当時)はもとより、統幕及び各幕の同意もとりつけた上で、事務次官主催の、内局の各局長と幕僚長達からなる会議に臨んだにもかかわらず、会議の席上での内局上層部の予期せぬ反対により、この試みは挫折してしまった。このことは、いまだに残念でならない。
 結局、久保さんの本来の考え方は、正しく認識されないまま現在に至っているのだが、それにもかかわらず、久保さんの生み出した基盤的防衛力構想は、防衛庁における士気の維持と不祥事の防止に大きな役割を果たしてきた。その理由もこの論文が解き明かしてくれている。
 問題は、久保さんのように、経営学的視点から防衛行政に携わる人間がその後育っていないことである。遺憾ながら三分の一世紀を経た現在においても、依然、この論文が書かれた当時と同じ巨大なモラル・ハザードの下に防衛庁はあり、さすがに久保さんの遺産の神通力も薄れてきたのではないか。この10年来の防衛庁における不祥事の連鎖は、そのことを物語っているように私には思えてならない。果たしてこれは杞憂であろうか。

 (参考)久保卓也「防衛に関する業務と予算の科学的管理について」(1977.1.17)抜粋

 防衛に関する業務と予算の効率的な管理と運用<に係る>・・・わが国における問題点の所在は、単なる手続論にあるのではなく、政治、行政にかかわる構造的な問題であり、そこにわが国防衛に関する政治、行政の未成熟をみる。・・・
 国の安全と独立、更には国際の安定と平和を進める政策を安全保障政策といい、この中軍事力を中心としてこれを進める政策を防衛政策というならば、わが国では外交、防衛、治安、教育、福祉等個々の政策がばらばらに行われており、これを総合し、肉付けすべき安全保障政策は存在しなかったといってよい。国会、政党、政府レベルでこの立場からする議論が少い・・・。またこのような意味での安全保障政策を所掌すべき政府内の部局も存在していない。・・・従って安全保障政策がそれとして行政的に検討され、政治に提供されるような組織になっていない。
 このようにして広く国の安全保障を図る上で防衛力、防衛政策の占める意義や位置づけが不明確なまま、国民の眼には、政府の安全保障政策が防衛力を中心とするものと映り、ここに防衛力自体についても曖昧さと不満とを感じている。また、折角巨額の防衛費を投じながら、その防衛力を効果的に活用するための施策(防衛関連諸施策)が殆んど講じられておらず、防衛力は対外的にはおつき合いとしての、対内的には国民の漠然たる不安に対する答えとしての意義の範囲を出ないことになっている。このような曖昧な政策がまかり通っているのは、日本が見通しうる将来にわたって平和であろうということに賭けている(政治はそのような判断すら示していないといえるが)のであろうが、それは一方では、外国や国内の一部に情勢見通しの甘さとリスクの危険さを指摘させ、他方で平和に賭けるなら現在の防衛費でも過大であるという野党の批判に一つの論拠を与えることになる。 本来安全保障政策が明確化、具体化されていない所に、防衛政策の具体的目標は立て難い。そうであれば実は防衛に関する業務と予算の目的的、効率的管理についての大前提を欠くことになる。・・・
 防衛政策を建議すべき国会は、社会党、共産党などが自衛隊を違憲の存在としているため、政策論議を進める上で限界がある。野党からの質問と意見は、国の安全とか、平和維持のための政策とかではなく、自衛隊の行動や装備が違憲かどうかが主なテーマになり、そうでなければ人事、教育、装備の調達等防衛庁内部の実務の適否が問題になっているにすぎない。
 野党の主張は、将来の目標や今日の政治闘争のためのスローガンであり、野党の立場からは、現行憲法に適う現実的、具体的な安全保障政策は示されず、況んや憲法解釈上軍事力の保有を認めないのであるから、防衛政策は出て来ない。
 この結果政府及び与党は、無関心の多い国民への顧慮や国会の円滑な運営への配慮から、防衛政策について具体的につめることや軍事力をクローズアップすることを避けようと努めて来た。従来の中期防衛力整備計画や予算の策定がそうであった。
 防衛問題については攻める方が野党で守方が政府であったから、個々の問題にしても、何々してはならないという消極的政策決定はあっても、何々すべしという積極的決定にはなり難かった。非核三原則、徴兵制の禁止、海外派兵の禁止、他国に脅威を与えるような装備の保有の禁止、F-4戦闘機からの給油装置の除去、防衛費はGNPの1%以下とするという決定等々がそれである。
 ・・・政府、与党は、防衛問題について積極的に国民及び国会に訴え説明し、守る立場ではなく、攻めの立場に廻るべきである。政府、与党は、基本的問題の審議より国会運営の円滑を優先すべきではない。そうでないと往々にして防衛政策について歪みを生むことになりかねない。・・・
 日米関係において防衛問題は、少なくとも政治的課題としては日本側からは絶えず避けようという態度が強かった。この問題が日本とって緊急性に乏しく、また国民世論にウケが悪いと思われたからであろう。・・・日本側では、政治が具体的な防衛政策と方針を決定していないから、外務当局は明確な方針や意見を米側に伝えられず、抽象的な表現しかできないことが多い。制服段階の協議で具体的な意見交換ができるとしても、低次元なものはとも角高次元のものになると政策につながって来ない。・・・
 防衛計画の大綱の決定に際し、併せて「当面、防衛費はGNPの1%以内をメドとする」決定が行われた。大綱は目標を示すものであるから、ここ数ヶ年の防衛費について大綱の中で言及するのはおかしいので、これは一応別個の決定になっている。
 防衛費の扱いについては、1次防では全く触れず、2次防では本文の中で「毎年約195億円増乃至215億円増程度と見込まれる」とし、3次防では、計画決定と同時に別個の決定で「防衛関係経費の総額は、2兆3,400億円をめどとし、上下に250億円程度の巾を見込むものとする」と定められている。また4次防では本文中の(備考)として「防衛関係経費の総額は、おおむね4兆6,300億円程度と見込まれる」と参考的に付記したのにとどまった。
 今回は3次防の形式をとりながら、経費についてはGNPに対する比率で表している。本来防衛費をとり上げるならばプログラムに関連して言及すべきであるのに、プランである防衛計画の大綱に関連して決定したのはおかしい。しかもプログラムの内容も検討せず、防衛力の内容を推測させる具体的な金額も明示しないで単に対GNP比率で明示したことは、防衛に関する経済上のシェアを示したものであって、極めて経済関係閣僚会議的であ・・・った。・・・
 3次防までは予算上の実施は比較的順調であったが、4次防段階になってからは、石油ショックによる経済変動等によって、その実施は大きな変化をみた。予算上4次防の主要事業は大きく削減されたし、防衛費の伸び率は、予算の伸び率を下廻るものとして設定された。ここで検討されたのは経済財政政策であって、防衛政策でもなければ財政と防衛政策の調和でもなかった。しかしそれには防衛庁側に理論上の欠点があったともいえる。つまり防衛力整備計画の背景として、防衛庁としては、将来相当に大きな防衛力を整備することを期待し、その概成の暁には防衛上意義のある防衛力を保有できるものと考えていた。しかし現状の整備段階は、目標より遙か手前にあるので、二、三年間防衛力整備が遅れることがあっても五十歩百歩であり、防衛政策上重大な支障がある旨の説明ができなかったろう。この点基盤的防衛力の構想は、なるべく早い時期に概成させるべき性格をもつものであり、この構想との関連の議論なしに防衛費を当面対GNP比1%以内と定められたのは、この意味においても不適当であったと思う。
 ・・・従来の防衛力整備計画では、各幕の計画段階では正面兵力と後方関係のバランスがとれているが、内局の検討段階において経費枠の関係で正面兵力も削減されるが、後方関係はより多く削られることになり、更に大蔵省との折衝の際に同様のことが再度行われる。ところが毎年の予算折衝に当たって、人件費や装備価格の高騰があり、他方で予算枠が逐年窮屈になるため、いきおい予算決定に際しては後方関係を一層圧迫することになっている。このような経過によって正面兵力と後方関係のバランスは大きく崩れ、戦力として防衛力を評価すると益々いびつになって来ている。

(続く)