太田述正コラム#2613(2008.6.16)
<新著序文(改)>(2012.1.30公開)

 (本篇は、更に手が入ることになろうかと思いますが、新著が出版されるまで公開しません。)

 所属していた組織を、辞めてからとはいえ、公然と批判することを潔しとしない美学が日本にはある。
 確かに、その組織が民間企業であれば、当該企業がらみの違法行為を告発することまではよしとしても、仮に問題が山積していたとしても、法に触れない問題まで明るみに出すのはいかがなものか、という指摘は分からないでもない。批判するまでもなく、問題だらけの企業は市場によって早晩淘汰され、つぶれるはずだからだ。
 しかし、それだって企業によりけりだ。
 政官業の三位一体的癒着構造の一端を担っている企業は、官需の優先的発注や補助金や規制面での手加減等のおかげで、容易にはつぶれないからだ。
 いわんや官僚機構の場合は、つぶれることがありえない以上、問題があれば、辞めてからはもちろん、在職中だって、意見具申して埒が明かなければ、できる限り問題を明るみに出すべきではなかろうか
 私は官僚が、官僚機構において、税金が違法あるいは不当な使われ方をしているのを知っていて何もしないのは、納税者たる国民に対する公僕としての責任の放棄だとさえ思っている。

 もっとも、私自身、最近ブームと言ってもよい官僚批判には違和感を覚える部分もある。
 官僚機構の批判を一歩も出ない批判、より端的に言えば大衆迎合的な官僚バッシングが横行していることだ。
 官僚機構もまた政官業癒着構造の一端を担っているわけだが、この構造の主役ではなく、政治こそがこの癒着構造の主役であり、官僚機構は単に日本の政治システムの下位システムに過ぎないのだから、私は、官僚批判は官僚批判で終わってはならず、政治批判を展開するための出発点でなければならないと思っている。
 日本の戦後政治は基本的に自民党政治であったのだから、政治批判とは自民党批判に他ならない。
 このような思いから、2001年に私は防衛庁を依願退職して民主党から参議院議員選挙に立候補(比例区から立候補して落選)したのだし、昨2007年来、私の防衛庁同期の守屋前防衛事務次官に対するバッシングをたしなめる一方、名誉毀損で訴えられる危険を顧みず、私の防衛庁在職中の自民党系議員達の口利きを実名を挙げて批判してきたのだ。

 では一体、私はいかなる観点から自民党批判を展開しているのか。
 それは、自民党結党以前の吉田茂首相(当時)の安全保障政策を自民党が吉田ドクトリンとして金科玉条のように守ってきたことが最大の問題だ、という観点だ。
 これについては、前著の『防衛庁再生宣言』(日本評論社2001年)で詳述したところだが、一言で言えば、吉田ドクトリンとは、現行憲法と安保条約を堅持し、米国に外交と安全保障の基本を委ね、米国の保護国(属国)たることに甘んじ続けるという国家戦略であり、これは国家としてのガバナンスを自ら放棄するという買弁的戦略であって、現在の政治、官僚機構、ひいては政府依存度の大きい大企業における構造的な退廃・腐敗はその論理的帰結である、ということだ。
 このような見解に私が到達したのは、私が、戦後日本の吉田ドクトリンの矛盾を集約したような官庁である防衛庁に30年近く在職したからこそだが、だからといってこのような見解がバイアスがかかったものであるとは考えていない。

 ところで、勘違いしてもらっては困るのであえて申し上げておくが、官僚批判にせよ自民党批判にせよ、これらは私の裏芸であって表芸ではない。
 7年近くにわたって書き綴ってきた私のブログ(http://blog.ohtan.net/)をご覧になればすぐお分かりになるように、私の表芸は比較政治論であり国際安全保障論なのだ。
 しかし、残念ながら日本の現状においては、私が比較政治論や国際安全保障論をどれほど論じようと、それらが日本の政治、日本の安全保障に活かされることはありえない。なぜなら日本にガバナンスが欠如しているからだ。
 だから、やむを得ず、私は官僚批判や自民党批判を行い、日本が米国から自立を果たし、ガバナンスを回復するために戦っている、とお考えいただきたい。
 この本が、前著『防衛庁再生宣言』とともに、このための皆さんのお役に少しでも立てば私の喜びこれに過ぎるものはない。

 最後に、私がブログ上で常日頃典拠をつけることの重要性を訴えてきたにもかかわらず、この本に典拠をつけなかった理由を申し上げておく。
 この本の内容は、私の日記か、私が直接体験したこと、あるいは日本の新聞にニュースとして載ったことに拠っているが、日記や直接体験は典拠としてつけようがないし、新聞にニュースとして載ったことはバックナンバーにあたれば誰でも容易に確認できることから典拠としてつけるまでもないと考えた次第だ。