太田述正コラム#2235(2007.12.14)
<防衛省キャリアの英語音痴>(2012.1.25公開)

1 始めに

 防衛省キャリアは大部分、パーティー英語もできない、という話をしてきましたが、仕事の面で何が起こっているかをご紹介しておきましょう。
 既に拙著に掲載したエピソードをちょっと敷衍したのが一つ、拙著に武士の情けで載せなかったエピソードがもう一つです。

2 1997年のエピソード

 1997年5月12日、当時の諸冨増夫防衛施設庁長官と在日米軍司令官の会談が行われました。 
 これは、公式非公式を問わず、この二人が行った初めての会談でした。陪席者は米軍側の日本人通訳一人だけ、ということが悲喜劇の伏線になります。
 会談の最大のテーマは、その年の6月末に予定されていたところの、日本政府が経費を負担して行われることになっていた日本本土での移転訓練実施前の米海兵隊の沖縄での最後の射撃訓練の実施の可否でした。施設庁側は、絶対やってもらいたくないし、米軍側は是非ともやりたかったので、日米は角を突き合わせていたのです。
 険悪なムードで始まった会談でしたが、二人は、どちらも相手が自分の言い分を飲んでくれたと思って、笑顔で会談を終えます。
 しかし、それは大変な誤解だったのです。
 15日に、どうも様子がおかしいと思い、私が在日米軍司令部に確認してみたところ、在日米軍司令官が「米側は、after June の訓練を本土に移転すべく努力する」と言った時に、通訳がこの’after June’を「7月以降」と正しく訳さず、「6月以降」と誤訳したらしいことが判明しました。
 諸冨長官は英語がからきし駄目な人であったので、この誤訳に全く気付かなかったのです。せめて、施設庁の通訳ないし、施設庁で英語のできる人間を陪席させるべきであったのだが、後の祭りでした。
 この不幸な会談を契機に、米側の施設庁不信のボルテージは一挙に上がり、既に冷え切っていた施設庁と在日米軍との関係は、ついにいったん断絶するに至ったのです。
 そして、施設庁の案件の米軍との調整をしばらくの間統合幕僚会議事務局が代行する、という前代未聞の展開になったのでした。
 (上記については、拙著『防衛庁再生宣言』13〜14頁をふくらませた。)

3 1999年のエピソード

 私自身が1999年に赴任した仙台防衛施設局で経験したエピソードをご披露しましょう。
 ある職員が三沢の米軍との協定文案の決裁を私に持ってきたおり、その英文を一瞥したところ、‘Director, Sendai Defense Facilities Administration Bureau, represented herein by the Japanese Government’(「仙台防衛施設局長を代表して日本国政府が」ということになる!) というくだりがあったので、私は、前後を入れ替えるべきではないかと指摘しました。
 すると、翌日、「持ち帰って検討しましたが、これまで、この文章で5年ごとの協定更新をしてきていますし、文法的にもこれで正しいと思います。三沢の米軍の担当日本人通訳にも問い合わせましたが、やはりこれで良いとのことでした。」と言うので、今度は、書き換えた上で米軍に再度調整するように強く申し渡しました。
 その翌日になって、ようやく、「米軍が修正文案で結構だと言ってきました。」と一件落着しました。
 この程度の、しかも明々白々な問題の解決に丸二日間を要したことになります。

4 終わりに

 防衛省キャリアが高校英語並の英語力もないからこそ以上のような椿事が起きるのですし、だからこそ、第一のエピソードで分かるような米軍の通訳や、第二のエピソードで分かるような防衛省の英語要員の技量の低下がもたらされているのです。
 なるほど、これじゃ防衛省が商社機能など果たすことができるはずがないですよね。
 山田洋行等が「活躍」するわけです。
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<太田>

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