太田述正コラム#4932(2011.8.15)
<米国の20世紀スケープゴート史に思う>(2011.11.5公開)

1 始めに

 ジェイ・フェルドマン(Jay Feldman)の 'Manufacturing Hysteria: A History of Scapegoating, Surveillance, and Secrecy in Modern America' の書評を読んだら、米国の第一回目の赤狩りの話が出てきました。
 私の想念を追う形でコラムにしたものをご披露します。

A:http://www.csmonitor.com/Books/Book-Reviews/2011/0811/Manufacturing-Hysteria-A-History-of-Scapegoating-Surveillance-and-Secrecy-in-Modern-America
(8月12日アクセス。以下同じ)
B:http://www.publishersweekly.com/978-0-375-42534-9
C:http://en.wikipedia.org/wiki/Red_Scare
(8月15日アクセス。以下同じ)
D:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%96%E7%95%8C%E7%94%A3%E6%A5%AD%E5%8A%B4%E5%83%8D%E7%B5%84%E5%90%88

 なお、ジェイ・フェルドマンはニューヨークのブロンクス生まれでカリフォルニア大学バークレー校で演劇のPh.Dを取得した、市井の著述家であり、その興味深い経歴は、下掲を参照。
http://www.jfeldman.com/about.html

2 米国の20世紀スケープゴート史

 (1)序

 「1918年4月のイリノイの片田舎でのお話だが、社会主義者でスパイであると目されたドイツ移民のロバート・ポール・プレーガー(Robert Paul Prager)をコリンズヴィル(Collinsville)の良民達がリンチした。
 プレーガーの殺害は、次の大統領、ウォーレン・G・ハーディング(Warren G. Harding)の有毒なる愛国主義(patriotism)を証明するものだ。
 彼は、「ドイツの惨めなスパイ達にとっての唯一の場所は…壁際だ(against the wall)」と語った。・・・
 かかる姿勢(attitude)が、爾後の90年余にわたって、1世及び2世の、ドイツ人、メキシコ人、そして日本人の迫害をもたらした。
 <迫害の動き>が最初に結晶化したのは、1918年の扇動法(Sedition Act)の採択だった。
 この法は、言論の自由を制限し、その結果、通称ウォッブリーズ(Wobblies)の世界産業労働組合(Industrial Workers of the World=IWW)<(注1)>の瓦解がもたらされた。

 (注1)「アメリカ合衆国オハイオ州シンシナティに本部を置く国際的な労働組合。1905年創設。最盛期の1923年には10万人の組合員を擁し、30万人の労働者を傘下に持った。1924年に内部対立と政府の圧力から分裂。現在も2000人のメンバーを擁する小規模組合として存続している。すべての労働者は一つの組合の下に団結することと、賃労働の廃止を主張としている。1905年6月シカゴにおいて、サミュエル・ゴンパーズ率いるアメリカ労働総同盟(AFL)の保守的な傾向に反対していた・・・200人の労働運動家やAFLから排除されていた社会主義者、無政府主義者によって結成された。AFLは労使協調を主張してストライキや革命運動に反対しており、IWWはこれに対して戦闘的な組合だった。・・・社会主義者は、IWWの目標である労働者の解放には、政治的な行動が一番の道であると訴えた。これに対し・・・無政府主義者はストライキやプロパガンダ活動、ボイコットなど直接行動で闘うべきだと主張し、激しい論争が戦われた。 結局・・・<無政府主義者>が論争に勝利し、1908年、<社会主義者>は離脱した。」(D)

 (2)第一次赤狩り

 フェルドマンは、第一次世界大戦は、「監視国家の生誕」の兆しとなり、武器製造業者達に「政府に対する巨大な影響力」を与え、「政府の秘密<の保持>」を「運用規範(operational norm)」とした、と記す。
 このすべてが、「赤狩り(Red Scare)」への道を開き、それは、小さな米国共産党の粉砕、及び、ボルシェヴィキのシンパの嫌疑がかけられた人々の国外追放(deportation)、をもたらしたところの、パーマー(Palmer)による累次のガサ入れ(raids)によって頂点に達した。」(A)<(注2)>

 (注2)「赤狩りという言葉は、1919年から1920年にかけての第一次赤狩りと、1947年から1957年にかけての第二次赤狩り、という明確に区別される米国で行われた二つの反共産主義的期間を指す。・・・
 「<第一次>赤狩り」は、「米国におけるボルシェヴィキ革命・・教会、家庭、結婚、礼儀(civility)、そして米国的生活様式を変える革命・・が差し迫っている、という高まる恐れと不安によって掻き立てられたところの、全米を覆った反急進派ヒステリー」だった。・・・
 唱道者<(≒対象者)>は、やってきたばかりの欧州からの移民達・・・だった。
 また、世界産業労働組合(IWW)は、1916年と1917年にいくつかのストを支援したため、新聞は、それを、左翼の外国の手先たる扇動者(provocateur)によって鼓吹されたところの、米国社会に対する急進的脅威である、と描いた。
 かくして、新聞は、正当なストを、「社会に対する犯罪」、「政府に対する陰謀」、そして、「共産主義を確立する陰謀」であるという偽りを伝えた。
 1919年4月、当局は、米国の政界と経済界のお歴々・・J・P・モルガン(Morgan)、ジョン・D・ロックフェラー(Rockefeller)、最高裁判事のオリヴァー・ウェンデル・ホームズ(Oliver Wendell Holmes)、米司法長官のアレキサンダー・ミッチェル・パーマー(Alexander Mitchell Palmer)、そして入国管理官達・・に36個の爆弾が郵送される陰謀を暴いた。
 <また、>1919年6月2日には、8つの都市で、8つの爆弾が同時に爆発した。
 その標的の一つは、米司法長官のパーマーの自宅であり、爆破犯が爆発で死んだ。
 証拠は、彼がイタリア系米国人たるペンシルヴァニア州フィラデルフィア出身の過激派であることを指し示していた。
 その後、パーマーは、米司法省に、累次のパーマー・ガサ入れ(1919〜21年)を行うよう命じた。
 もっとも、これらの爆弾事件が起きる前の1918年に、ウィルソン大統領は、米議会に圧力をかけて、反移民、反アナーキストで、政治的に好ましくないと推定される人々を国外追放することによって戦時の士気を守るための1918年扇動法を制定させていた。
 法学教授のデーヴィッド・D・コール(Cole)は、ウィルソン大統領の「連邦政府は、執拗に、外国人の過激派を標的にし、真の脅威をイデオロギー的な反体制派(dissidents)と区別する努力をほとんどせずして、その言論と集団への所属状況だけで、彼らを国外追放した」と報じている。・・・
 やがて、パーマー・ガサ入れは、(将来の最高裁判事の)フェリックス・フランクファーター(Felix Frankfurter)・・・を含む12名の公的に著名な法律家達によって憲法違反であると批判された。・・・
 ・・・不法に逮捕され国外追放された米在住外国人は数千人に及ぶが、そのうち証拠によって裏付けられているのは600人を下回る。
 <また、>1920年9月1日には、フェデラル・ホール(Federal Hall)とJP・モルガン銀行付近のウォールストリートが爆破された。
 この爆破に責任ありとしてアナーキストと共産主義者双方に嫌疑がかけられたが、最終的には、この38人が死亡し141人が負傷した爆発について、起訴された者は一人も出なかった。・・・
 ・・・赤狩りは、共産主義、社会主義、あるいは社会民主主義の違いなど顧慮しなかったのだ。」(C)

 「フェルドマンは・・・、20世紀初頭からの、連邦政府による、「異議申し立て(dissent)に対する、立法、プロパガンダ、そして監視からなる三本立ての全面攻撃」について、いかに「我々の自由の保障(safeguards)が、自由に公然と反対する者達によってではなく、自由を信奉すると称しながらそれが自分の目的にそぐわないと見ると自由を無視することを厭わない者達によって、危機に瀕している」か、と1919年の<第一次>赤狩りの最中にウィリアム・ボラ(William Borah)上院議員が見解を述べたことを引き合いに出して、描く」(B)

 (3)その他のスケープゴート事件

 「1930年代初期に、数万人のメキシコ人がテキサス州とカリフォルニア州から国外追放された。
 そして大不況が深刻化すると、「不法滞在の外国人が、米国市民が就くはずの仕事に就いている、という観念がどんどん高まって行った」とフェルドマンは記す。・・・
 1940年代に、FBIと軍部によって「第5列」<による陰謀>が差し迫っていると吹き込まれたフランクリン・ローズベルトは、大統領令9066号(Executive Order 9066)を発し、1世と米国生まれの2世の日系人を西海岸から収容することを許可した。
 どちらの場際も、人種主義的原住民保護主義的(racist nativist)スタンスを標榜しつつも、農業的利害が主要な役割を演じた。」(A)

 「マッカーシー時代<・・すなわち、第二次赤狩り時代・・>において、リベラルも保守も、民主党支持者も共和党支持者もすべてがスケープゴートづくりに参加したため、米国の人々は、再び、政府の言い分に同調してしまった。・・・
 1960年代におけるブラック・パンサー党(Black Panther Party)<弾圧の時にも同じことが起こった。>」(B)

3 終わりに

 フェルドマンは、20世紀における米国国内の迫害対象は、ドイツ系→共産党系→メキシコ系→日系→共産党系→黒人過激派系、と変遷した、と言っているわけです。
 最後のものは脇に置くとすると、第一次赤狩りと第二次赤狩りは、対象が特定の民族ないし人種ではなくイデオロギーであった点で、フェルドマンのように、赤狩りとそれ以外のものを一緒くたに扱うのことには違和感を覚えます。
 いずれにせよ、私が最も腑に落ちないのは、第一次赤狩りの期間の短さと、第二次赤狩りが始まるまでの27年間、米国民がむしろ親共産主義へと「転向」していた点です。
 そのおかげで日本は対米開戦へと追い込まれ、その結果、日系人虐待が米国政府によって公然と行われるに至ったわけですから、米国が第一次赤狩りをすぐ止め、「転向」し、長らく「再転向」しなかった点について、それが、現実に立脚しないヒステリー現象だったからだから、で片づけるのは安易すぎるのであって、我々日本人としては、もう少し深いレベルで、その原因を解明する必要があるし、解明する責任があると思うのです。