太田述正コラム#4926(2011.8.12)
<イギリスと騎士道(その9)>(2011.11.2公開)

 (3)騎士道の属性

 騎兵に関する英語ウィキペディアは、中世の文学を通じてうかがえる騎士道の属性は、互いに重なり合うところの、三つ・・一、同郷人(countrymen)及びキリスト徒たる仲間(fellow Christians)への義務、二、神に対する義務、三、女性に対する義務・・であるとしています。
 第一の戦士的騎士道(warrior chivalry)とは、君主(lord)への義務であり、『緑の騎士(Green Knight)』<(注20)>や『ガウェイン卿とラグネルの結婚(The Wedding of Sir Gawain and Dame Ragnelle)』<(注21)>におけるガウェイン卿がその例であるというのです。

 (注20)『ガウェイン卿と緑の騎士(Sir Gawain and the Green Knight)』。この物語の成立は12世紀にまで遡り、その主人公たる、円卓の騎士、ガウェイン卿(Sir Gawain)はアーサー王の甥であり、この物語のテーマは約束を守ることだ。
http://en.wikipedia.org/wiki/Sir_Gawain_and_the_Green_Knight
 なお、対応する日本語ウィキペディアは、筋がきちんと説明されていない等、できが良くない。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AC%E3%82%A6%E3%82%A7%E3%82%A4%E3%83%B3%E5%8D%BF%E3%81%A8%E7%B7%91%E3%81%AE%E9%A8%8E%E5%A3%AB
 (注21)恐らく15世紀に書かれたと思われ、そのテーマは主君の命に従うことであり、そのサブ・テーマは、女性は「自分自身で意思決定を行うこと(sovereynte)」ことを一番望んでいるというものだ。
http://en.wikipedia.org/wiki/The_Wedding_of_Sir_Gawain_and_Dame_Ragnelle
 なお、ガウェイン卿に関する日本語ウィキペディアにおけるこの物語の紹介では、sovereynteを「自分の意思を持つこと」と訳している
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AC%E3%82%A6%E3%82%A7%E3%82%A4%E3%83%B3#.E3.82.AC.E3.82.A6.E3.82.A7.E3.82.A4.E3.83.B3.E5.8D.BF.E3.81.A8.E3.83.A9.E3.82.B0.E3.83.8D.E3.83.AB.E3.81.AE.E7.B5.90.E5.A9.9A
が、いかがなものか。

 第二の宗教的騎士道(religious chivalry)とは、無辜の人(innocent)を守り神に奉仕する義務であり、聖杯(Grail)伝説<(注22)>群の中におけるガラハッド卿(Sir Galahad)<(注23)>ないしパーシヴァル卿(Sir Percival)<(注24)>がその例であるというのです。

 (注22)「漁夫王(いさなとりのおう・・・Fisher King)は、アーサー王物語に登場するカーボネック城の主。本名はペラム王で、またロンギヌスの槍によって癒えない負傷を得たことから、不具の王(Wounded King) などとも呼ばれる。王が病むことにより王国も同様に病み、肥沃な国土は荒野へと変わってしまう。王の病を癒すために勇者たちが「聖杯」を探しに赴き、そのうちの一人が聖杯を探し当て王と王国を癒すことに成功する。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%BC%81%E5%A4%AB%E7%8E%8B
 「漁夫王(または聖杯王)が病み、主人公である聖杯の騎士が聖杯に正しい問いをすることで回復することができるのだが、失敗し、騎士は聖杯探求の使命を与えられる・・・。騎士は数々の試練を乗り越え、聖杯を発見し、漁夫王は癒され国土は再び祝福される。伝説中で聖杯(Holy Grail)は、最後の晩餐のとき用いられた杯、または十字架上のイエスの血を受けたものであり、聖遺物のひとつとされる。発見に成功する騎士にはガウェイン、ガラハッド、あるいは・・・パーシヴァル・・・など諸説がある。いくつかの伝説では、漁夫王と主人公は祖父と孫などの血縁関係にあり、また聖杯を最後に見つける場所は聖杯城とも呼ばれる。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%81%96%E6%9D%AF%E4%BC%9D%E8%AA%AC
 (注23)ガラハッドは、ランスロット(後出)とカーボネックのエレーヌ(Elaine of Corbenic)の間にできた子。アーサー王伝説群の中では最も遅く登場した人物。恐らくはイエスの騎士的顕現。
http://en.wikipedia.org/wiki/Galahad
 (注24)パーシヴァルは、ガラハッドに同道して聖杯城に赴き、聖杯を見つける2人の騎士のうちの1人。彼の息子を白鳥の騎士たるローエングリン(Lohengrin)とする物語もある。リヒャルト・ワーグナーは、それぞれの物語を、楽劇『ローエングリン』、『パルツィファル』に仕立てた。
http://en.wikipedia.org/wiki/Percival

 第三の宮廷愛騎士道(courtly love chivalry)とは、自分自身にとっての貴婦人(lady)、ひいてはすべての女性への義務であり、ランスロット卿(Sir Lancelot)<(注25)のグィネヴィア王妃(Queen Guinevere)への愛<(注26)>ないしトリスタン卿(Sir Tristan)のイソールト(Iseult)への愛<(注27)>がその例であるというのです。(b)

 (注25)「ランスロットの父ベンウィックのバン王・・・(・・・King Ban)・・・は、即位したばかりのアーサー王の後ろ盾となってイングランド統一戦に兵を送ったフランスの領主である。そのためにフランスを長期間留守にしてしまい、そこをクラウダス(・・・Claudas)に攻められて・・・領地を失った。<この父も、そして母も>早くに他界し<たことから、ランスロット>は湖の乙女という妖精に育てられたため、「湖の騎士(Lancelot du Lac)」とも呼ばれる。その後、成人になった彼は武者修行のため・・・ブリテン島・・・に渡り、そこでアーサーと運命的に出会った。そして彼に惚れ、のちに円卓の騎士として名を馳せることになる。・・・騎士としてはランスロットが一等、ガウェインが二、アーサー王は三と評される。・・・ペレス王の娘、カーボネックのエレインは、魔法の薬の幻覚と、家臣らの演技を使って、ランスロットに<アーサー王の妃の>グィネヴィア王妃と誤認させて、彼と一夜を共にする。このとき身篭った子がガラハ<ッ>ドである。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%B9%E3%83%AD%E3%83%83%E3%83%88
 (注26)グィネヴィアは、当初ランスロットを遠ざけていたが、やがて二人は愛人となる。二人の関係を疑った他の円卓の騎士達12人が、同衾しているこの二人のところに踏み込み、ランスロットは逃亡するがグィネヴィアは捕まって、アーサー王によって火刑に処せられようとする。しかし、彼女はランスロットによって救出され、一緒にフランスに逃亡する。その後、アーサーはフランスに渡ってランスロットの城を攻めるがうまくいかない。最終的にランスロットは隠遁生活に入り、グィネヴィアは尼僧となる。
http://www.sir-lancelot.co.uk/Guinevere-Lancelot.htm
 (注27)トリスタンは、トリストラム(Tristram)とも呼ばれ、イソールトは、Yseultとも綴られ、イゾルデ(Isolde)とも呼ばれる。「トリスタンの起源はピクト人≪(Picts。鉄器時代末から中世初にかけて現在のスコットランドの東部及び北部に住んでいた人々)≫の伝承にあるのではないかと思われている。そして、この物語がコーンウォールを経て、ブルターニュへ、そして西洋の各地に移ったと見られる。・・もともと『アーサー王伝説』とは別の伝説であったが、・・アーサー王物語にも組み込まれた。」
 このコーンウォールの王族のトリスタンと(アイルランド王の娘でトリスタンの叔父のコーンウォール王の許嫁、後にその王妃となった)イソールトの不倫愛の話がランスロットとグィネヴィアの物語の成立に影響を与えた可能性が高い。
 ワーグナーが、やはり楽劇『トリスタンとイゾルデ』に仕立てている。
http://en.wikipedia.org/wiki/Tristan_and_Iseult
 (ただし、「」内は下掲↓による。)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%B3
 (また、≪≫内は下掲↓による。)
http://en.wikipedia.org/wiki/Picts

 さて、注に記したところの、一つ一つの物語を丁寧に見て行くと、上記英語ウィキペディアによるこれらの物語の総括の仕方は必ずしも正確ではないのではないか、と言わざるをえません。
 私の見るところ、騎士道とは、女性を含め、個々人が、自由に己の意思に従って行動すべきこと、その個々人が相互に約束を取り交わし、その約束を守ろうとする結果として社会が成立すると考えるべきこと、そして、その社会は、個々人が相互に思いやりを抱きつつ、場合によっては自分を犠牲に供することによってのみ維持できること、を唱えるものの考え方なのであり、言い換えれば、騎士道とは、イギリス的(アングロサクソン的)価値観そのものなのです。
 神がダシに使われているだけのように見えること、男女間の愛は主君の命に従うことよりも優先すると考えているとしか思えないこと、等、まことにもってアングロサクソンらしいではありませんか。

 ちなみに、騎士に関する英語ウィキペディアには、「中世の騎士達は、「弱者(weak)、守るすべのない者(defenseless)、寄る辺なき者(helpless)を保護(protect)し、全ての人々の一般的福祉のために闘う」ことを求められた。・・・
 戦闘において貴族達や騎士達が捕虜になった場合、彼らは命をとられることなく、しばしば、快適な環境の下で身代金が支払われるまで拘置された。
 この行動規範は、非騎士達(射手、小作農、歩兵、等々)には適用されなかったのであり、彼らは、しばしば捕えられた後殺戮されたし、戦闘の最中には、相手方の騎士の所へ行って戦おうとする騎士達に、単なる邪魔者扱いをされた」と記されています。(c)

 この前段の意味は、いまや明らかでしょう。
 なお、この後段については、イギリスは、もっぱらイギリスの外であるスコットランドやフランスで戦ったところ、その際には、非騎士の同道は最小限に抑えざをえなかったと考えられる・・フランスにおいて、イギリス軍の射手が、熟練を要する長弓をもっぱら用いた(コラム#4879、4918)ことからも、彼らは準騎士的な存在であったと思われる・・ことから、イギリス騎士道が、非騎士を多数徴用して戦闘に使ったところのフランス等によって継受された時に、捕虜を殺さないという取り扱いに関しては、騎士道が矮小化的変貌を遂げ、騎士だけを対象とするものとなった、とも推察できそうです。

(続く)