太田述正コラム#4864(2011.7.12)
<米国の戦後における市場原理主義について(その3)>(2011.10.2公開)

3 リバタリアニズム

 「・・・リバタリアニズムがあらゆるところにある現在、1970年代には、どこにも見つけることができなかったことを思い出すのは困難だ。
 かつて、H・L・メンケン(H.L. Mencken)<(注11)>等の頭の良い一群のならず者(rogue)達の信条であったリバタリアニズムは、第二次世界大戦後、ほとんど姿を消していた。

 (注11)Henry Louis "H. L." Mencken。1880〜1956年。ドイツ系米国人たるジャーナリスト・随筆家・雑誌編集者・風刺家・米国の生活および文化の辛辣な批評家・米国英語学者。ドイツ贔屓にしてニーチェ崇拝者で反宗教で反民主主義者にして反ニューディールで反フランクリン・ローズベルト。アイン・ランドの最初の小説を絶賛。彼自身は高卒。
http://en.wikipedia.org/wiki/H._L._Mencken

 一体何が起こったのか。
 一つの、史上最も包括的で中央で計画された、調整された政府活動が起こったのだ。
 第二次世界大戦は、ファシズムを打ち破ることに加えて、リバタリアンを含め、それを通過することで、ほとんど誰も変化しないではおれなかったところの、は素晴らしい篩として機能した。
 (一つの例をあげよう。戦前における最も著名な反ケインズ主義者であるライオネル・ロビンズ(Lionel Robbins)<(注12)>は、英国の戦争内閣の経済部門の長官を務めた。そして戦後、ロビンズは英国の高等教育制度の巨大なる拡大を掌った。)

 (注12)Lionel Charles Robbins, Baron Robbins。1898〜1984年。英国の経済学者。ケインズ主義者に転向。
http://en.wikipedia.org/wiki/Lionel_Robbins,_Baron_Robbins

 1950年代になると、自由で繁栄した、幸せな、そして重税を課されたところの、西欧と米国において、リバタリアニズムはその遍歴者的なならず者的魅力を失っていた。
 それは、遍歴者的風狂人(crank)達の世界観(Weltanschauung)となっていた。
 ロナルド・レーガンがムース・ロッジ(Moose Lodge)<(注13)>を盛り上げ、アイン・ランドが彼女の土曜の夜のおべっか者に催眠術をかけ(mesmerize)、リーダーズ・ダイジェストの経済学者がオーストリアの<経済学の>血統を褒めちぎった<、という具合に・・>。・・・
 
 (注13)米国を中心とする、会員制の友愛・互助団体の宿泊施設。
http://en.wikipedia.org/wiki/Moose_International

 そこに立ち現れたのがロバート・ノジック(Robert Nozick)<(注14)(コラム#3622)>だった。
 
 (注14)1938〜2002年。ユダヤ系米国人たる政治哲学者。下出の本を1974年に出版した。
http://en.wikipedia.org/wiki/Robert_Nozick

 私が知っているところによれば、その息を飲むようなリバタリアニズムの擁護であるところの『アナーキー、国、そしてユートピア(Anarchy, State, and Utopia)』を書くにあたって、ノジックは、彼の雇用主であるところの、ハーヴァード大学の哲学科以外からは一銭たりとも受け取っていない。
 (ただし、彼がそこでこの本の最初の方の数章を書いたところの、「個人主義的アナーキーぎりぎりの、最小限度しか統制がとれていない学術機関である」<スタンフォード大学の門前市である>パロ・アルト所在の高等行動科学研究センターから、彼にカネが流れていない限り・・。)・・・
 ノジックの議論は、社会主義に対してのみならず、あらゆる種類の富の再分配に反対するものだった。・・・
 ・・・彼は、(自由は諸価値中の根本的価値であって最大化されなければならないという)規範的主張を、(財とサービスを配分する最も効率的な方法は市場経済であるという)経験論的(empirical)主張から切り離すことができた。・・・
 ノジックは、ヒューマニストが最も抱懐している信条・・イマニュエル・カントから来るところの、それ自体を目的とする個々の人間の不可侵性・・を狩り出した(enlisted)。
 「ノジックにとっては、人々相互が分離されていること(separateness)という原則はほとんど聖なる事柄だった。・・・個々人は不可侵なのだ。」
 私は、ノジックが『アナーキー』を出版した時、堤防が決壊し、フェビアン的(Fabian)コンセンサス<(注15)>が崩壊し、しかるがゆえに、短期間で、1974年にハイエク、75年にはミルトン・フリードマンがノーベル経済学賞を獲得し、そして同年にサッチャーが英野党の党首となり、次いでカリフォルニア州とマサチューセッツ州で税金叛乱が起こり、極め付きだがレーガンが大統領に選出され、そして…どこまでそれが続いたか、誰にも分からない・・が生起した、と考えたい。・・・

 (注15)1884年にロンドンで創設されたフェビアン協会(Fabian Society)は、民主社会主義を漸進的に、すなわち革命的手段によってではなく改革によって推進しようとした。
http://en.wikipedia.org/wiki/Fabian_Society

 マーガレット・サッチャーの悪名高い挑発・・「社会なんてものは存在しないのよ」・・を、人間というものは暴虐的に競い合うところの原子群以上のものではないという示唆とともに例として取り上げておきたい。
 さて、ここで、その原初形態<たる『アナーキー』に記されていること>に耳を傾けようではないか。
 『アナーキー』に、「しかし、価値(good)を有する社会的実在物で、それ自身の価値のゆえに何らかの犠牲を忍ぶものは存在しない。それぞれ自分自身の個人たる人生を送るところの、個人たる人々、異なった個人たる人々、しか存在しない」とある。
 このトーンは、ホッブス的ではなくカント的で<ある点でそれまでの個人主義哲学とは>異なっている。かつまた、その道徳的強調点も<それまでの個人主義哲学とは>異なっている。
 すなわち、<ホッブスが主張したように>個々人が野獣的(brutish)だからではなく、<カントが主張したように、>彼らが威厳を有している(dignified)が故にこそ、社会なるものは非現実的な<(=現実には存在しない)>のだ。・・・
 私が米国史を勉強すると、歴史的偶然(accidents)の濃密な塊のおかげで、米国が、一種のロック的(Lockean)楽園(paradise)であって、自由をその最高の(paramount)価値として掲げることにユニークにも適合的であるのはどうしてかを、私は理解することができる。・・・」

(続く)