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太田述正コラム#5023(2011.9.30)
<皆さんとディスカッション(続x1338)>

<太田>(ツイッターより)

 石川議員(被告)の証言は、当然聞かれることについてさえ、弁護士がまともな想定問答を作成していなかったことを示している。
http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110928/trl11092807580000-n1.htm
 日本では弁護士の数が少なく競争原理が働いていないので、弁護士が依頼人の代理人(≒部下)たる研鑽を積んでいないってことだ。

 今頃「たかじん・・・」疲れが出てきて、食欲がなくなってかったるいなあ。
 トシのせいか。
 読者の皆さんもお疲れのようで、ぱったり書き込みが減っちゃったね。
 気力を奮い立たせてと、10月15日(土)は東京講演会(オフ会)だよ。
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<TA>

 『日米同盟vs.中国・北朝鮮 アーミテージ・ナイ緊急提言』(リチャード・L・アーミテージ、ジョセフ・S・ナイJr、春原剛)という著作(春原がアーミテージとナイへのインタビューをまとめたもの)をご紹介します。↓

 「春原 もうひとつ、日米同盟体制を巡る根本的な問題に触れたいと思います。それは日米同盟、あるいは在日米軍が日本の再軍備を防ぐための「瓶の蓋」<(注)>であるという論についてです。

 ・・・

 アーミテージ 一時期、確かに「瓶の蓋」論は流行しました。ここではっきりと言っておきたいのですが、レーガン政権は「瓶の蓋」論に与しませんでした。レーガン大統領自身も我々、政権内部の人間もむしろ、日本のより多くの防衛努力を求めることを基本的な政策としていたのですから。「瓶の蓋」論はもはや、古い考え方です。同時に日本に対しても失礼な話ですよ。

 春原 とはいえ、ある時期まで米国内でも日米同盟を「瓶の蓋」と見る空気が主流だったのではないですか……。

 アーミテージ 共産・中国と国交正常化に踏み切る頃、確かにそうした考えはありました。しかし、一九八一年一月(のレーガン政権発足)の時点で消え去りました。・・・」(170〜171頁)

 (注)「「瓶のフタ論」は米太平洋海兵隊司令官ヘンリー・スタックポール中将が在沖縄米四軍調整官時代の1990年、「日米安保条約は、日本の軍国主義を封じ込めるための瓶のフタ」と発言したことで外交・安全保障の表舞台に登場したが、米外交・国防関係者の一部に長い間流れている潮流である。」
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/print/politics/diplomacy/495693/

 「春原 日米同盟の進化・発展に向けて、日本がクリアすべき課題とは何でしょう。

 アーミテージ それは日本人が自ら決めることですね。それが第一に言えることです。次に憲法九条と集団的自衛権の問題は、この同盟関係にとって阻害要因となっています。それが二番目。三番目に言いたいのは、何も日本は憲法を改正する必要はないということです。ただ、内閣法制局による(憲法九条の)解釈を変えればいいのです。第四のポイントは繰り返しになりますが、ソマリア沖での自衛隊による活動(海賊対策)は集団的自衛権の行使と何ら変わりはないということです。
 中国が宮古海峡や尖閣諸島の周辺に海軍の艦船を派遣して日本をいら立たせているのに、なぜ、日本はリスク・フリーの切符を中国に易々と与えているのでしょうか?

 ・・・

 春原 ということは、憲法九条についてアーミテージさんは「改正」を望んでいるというよりも「解釈」の変更を求めている、ということですか?

 アーミテージ そうです。解釈変更です。憲法の条文はすでにそこにあります。日本はただ、自縄自縛に陥っているだけです。何度も言いますが、ソマリアやジブチで日本が行っていること(と「憲法九条で禁じられている」と日本人が信じている軍事活動)に何の違いがあるのですか?二十一カ国と共同で海賊対策にあたっている日本の行動は集団的自衛権の行使以外の何物でもないのです。

 春原 それは「国家的偽装(Disguise)」だと?

 アーミテージ そうでしょう。

 春原 ただ、戦後、GHQから与えられた平和憲法を純粋に信じた日本人、特に知的、あるいは「進歩的」と言われるエリート層には「平和憲法が集団的自衛権の行使も禁じている」と感覚的、あるいは絶対的に思いこんでいる部分がまだあるのも事実です。

 アーミテージ それが時として便利でしたからね。つまり、我々の陰に隠れていればよかったのですから。

 春原 ナイ教授は改憲と解釈変更のどちらが日本にとって望ましいと思いますか?

 ナイ 個人的な見解ですが、「九条改正」という戦いに精力を注ぐよりも「解釈改憲」で行くべきだと思います。私は日本が集団的自衛権を有していると考えています。そのためには憲法改正という「大戦」に臨むよりも、その解釈を変えることで集団的自衛権を可能にする方が得策でしょう。」(270〜272頁)

 見事なまでに太田さんの主張(「日本が自分から属国になっているだけ」)そのままです。
 あとついでに、先の「たかじん・・・」で共演された岸さんに関係するような記述もあったので、こちらもご紹介します。↓

 「アーミテージ ・・・八〇年代末期から九〇年代にかけて米国で「日本株式会社(ジャパン・インク)」論<(注)>が席巻していた頃、多くの日本の官僚たちも非常に尊大にふるまっていました。とても尊大に、です。

 春原 通商産業省(現・経済産業省)、大蔵省(現・財務省)、外務省といったところですか。」(167頁)

 (注)「・・・「日本株式会社」論は<、戦後日本の高度経済成長の原因を>分析<する>中で主として海外で提唱されるようになった概念である。・・・<その>概念を最初に提唱した・・・ジェームズ・アベグレン(当時ボストン・コンサルティング・グループ日本支社長)<は、>・・・日本において政府と企業が緊密な協調関係にあり、この関係が経済発展を促進したとする主張を行なった。・・・
 その後・・・、1980年代初頭にはチャルマーズ・ジョンソンが通商産業省主導の産業政策が高度成長に果した役割を重要視する研究を打ち出し、注目を集めた。さらにプラザ合意以後、日本経済が一段と世界での存在感を増し、米国との貿易摩擦を拡大させた1980年代末には、<多くの者によって>日本経済が極めて異質なシステムを持つとする日本異質論が展開されることとなった・・・。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E6%A0%AA%E5%BC%8F%E4%BC%9A%E7%A4%BE

 太田さんはコラム#2975で、「米国陰謀論<(太田さんの属国論)>はウソだ」とおっしゃる岸さんに対し、「そもそも、経産省の仕事自体が、(米国の商務省や通商代表の地位の低さが示しているように、)国の仕事としては「軽い」上に、ご本人の、安全保障に関する感度がにぶい、ということでしょうね。」と断じてます。
しかし、岸さんが経産官僚だった頃の日本経済の独自性と強さ、そしてそれを官僚として主導したという自負を持つ者にとって、「日本はアメリカの属国だ」と言われても納得できないのは、無理もないことだと思います(岸さんが「属国」の指す意味を理解していないのは、太田さんの説明不足にも原因があるのではないかと想像します)。
この点を勘案すれば、酌量の余地は十分にあるのではないでしょうか。

<太田>

 最後の話の方から行きましょう。
 まず、単なるケアレスミスでしょうが、「「米国陰謀論<(太田さんの属国論)>はウソだ」とおっしゃる岸さん」は、「「米国陰謀論<(太田さんの属国論とは真逆)>はウソだ」とおっしゃる岸さん」でなきゃいけませんでしたね。
 その上で、もう少し、よくお考えいただきたかったなあ。

 日本は自発的に米国の属国になっている、というのが私の属国論(=吉田ドクトリン論)であり、他方で、戦後経産省(通産省)は吉田ドクトリンの第二の司令塔であり続けてきた(コラム#5013)(注1)と私は指摘しているのですから、そんな省で勤務している経産官僚達の大部分は、自発的属国の官僚として、米国政府の意思を忖度して自主規制的言動を行うことが習い性となっている、というのが私の見立てです。

 (注1)「佐橋滋さんは・・・元通産次官。彼は最後まで非武装中立を貫いた。彼は軍隊で、歯の根があわないほど殴られる体験をしている。「攻められたらどうする」に対して「じゃ、軍隊があれば大丈夫なのか」と切り返していた。」
http://blogs.yahoo.co.jp/jidaiokure2000/39617564.html
 元通産官僚堺屋太一の商人国家論:「<彼>が言っているのは、武家というのは全く進歩を止めたんですね。そこの中で改革の意識を持っていたのが商人で、実際に江戸時代では、いろいろな形で改革して世の中を引っ張っていたのは商人で、そこに富がどんどんたまっていったというようなことを言っていますね。」
http://www.riu.or.jp/document/nlp20.pdf
wikipedia.org/wiki/%E5%A0%BA%E5%B1%8B%E5%A4%AA%E4%B8%80

 また、少々、経産官僚達による米国政府の意思の忖度ぶりが不十分であった場合でも、米国にしてみれば、「経産省の仕事自体が、(米国の商務省や通商代表の地位の低さが示しているように、)国の仕事としては「軽い」」ため、経産省に対して具体的「指示」を行う労を取ることは控えてきた、と思われるのです。
 それでも、米国内政治上の理由(=理不尽な非経済的理由)で、経産省の仕事(の一部)が例外的かつ一時的に「重」くなる場合がありえます。
 その典型的な例が、ニクソン政権下の日米繊維交渉です。
 この時、日本が米国の要求通り、繊維の対米輸出を規制・・ただし、自主規制の形をとった・・することで決着しています。
A:http://www.marino.ne.jp/~rendaico/kakuei/giyoseki_nitibeisenikosyo.htm
B:http://sakura.canvas.ne.jp/spr/h-minami/note-masatu.htm
 岸君は、Aが示唆しているように、日米対等の立場で、日本側が、マクロの日米貿易全体を救うために個別貿易を犠牲にする決断をしたのだと主張するのでしょうが、Bが示唆しているように、米国が、日米不対等の立場で、(日本がどう思っているかにかかわらず、)グローバルスタンダード的により「重い」ところの、外交・安全保障事項である沖縄問題・・経産省が関知するところではない・・をちらつかせるだけで、より「軽い」ところの、外交・安全保障事項である貿易問題、その中でも特に軽い個別貿易問題で言い分を通した、というのが実態なのです。

 結局、米国政府としては、経産省所管事項で経産省に対して具体的「指示」をする必要がなく、だから、岸君を始めとする経産省の官僚達「の大部分」が米国を宗主国だと意識させられる場面がなかった、ということだと私は思っています。
 「の大部分」としたのは、岸君らと違って、例外的に「安全保障に関する感度がにぶ」くない経産官僚もいて、彼らは米国が宗主国であると認識していることを、私は知っているからです。             

 では、どうして「国の仕事としては「軽い」」事柄を所管している経産省のステータスが戦後日本の国内では高かったのでしょうか。
 これは、日本型政治経済体制下の特殊事情であったことは、あなたも理解しておられるようですね。
 経産省(通産省)が日本型政治経済体制の産業政策(マーケティング)面での中枢的役割を担ってきたからです。(大蔵省は金融行政(財務)面での中枢的役割を担った。)
 もっとも、この中枢がどれだけ実質的な役割を果たしたのか、単に神輿に担ぎ上げられていただけじゃないか、的な議論もあるところであり、
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E7%B5%8C%E6%B8%88%E8%AB%96%E4%BA%89#.E3.80.8C.E7.94.A3.E6.A5.AD.E6.94.BF.E7.AD.96.E3.81.AE.E6.98.AF.E9.9D.9E.E3.80.8D.E3.80.80.EF.BD.9E1980.E5.B9.B4.E4.BB.A3.EF.BD.9E
私は後者の説にどちらかと言えば与しています。
 いずれにせよ、日本型政治経済体制の風化、解体により、経産省のステータスは急速に低下しつつあり、経産省のステータスがグローバルスタンダード並み近くまで低下する日は目前に迫っている、と私は考えています。
 岸君は、さすがにこの点は認識していたからこそ、若くして「民間」へと「転身」されたのであろう、と想像しています。
 
 さて、肝心の部分についてです。
 「アーミテージ 共産・中国と国交正常化に踏み切る頃、確かに・・・日米同盟を「瓶の蓋」と見る・・・考えはありました。しかし、一九八一年一月(のレーガン政権発足)の時点で消え去りました。・・・」は舌足らずな発言です。
 ご承知のように、ニクソン政権は、米国の政権としては久しぶりに対日再軍備要求をした(ニクソンドクトリン。コラム#5010)わけですし、後継のフォード政権の後のカーター政権も、その末期の1980年に、改めて対日再軍備要求を行っています(コラム#30)。
 他方、「瓶の蓋」論は、キッシンジャーが中共と国交正常化秘密交渉を行った際に用いた、中共に媚びたレトリック(注2)であり、それをニクソン政権の公式政策であったと見ることは、ニクソンが公表していた歴とした公式政策(上出)と矛盾することからも無理があります。

 (注2)「周<恩来>首相が「日本は米国の『核の傘』に守られている。巨大な力と同盟関係にあるからこそ経済発展と軍備拡張が可能なのだ」と日米安保条約破棄を暗に求めたのに対し、<キッシンジャー>補佐官は「中立とは強い軍事力を背景にしたものか、あるいは周辺国に保証されてしか存在しない。日本を(中立で)解き放てば手に負えなくなり、後悔することになる」と日米安保が日本を抑制する役割を果たしているとの見方を示してはねつけた。」
 なお、この直前の「中国は伝統的に世界的視野があるが、日本は部族的で視野が狭い」というキッシンジャー発言は、再軍備要求に応じない日本への苛立ちの率直な表明である、と私は受け止めている。
 (ニクソン大統領の訪中準備のため一九七一年に行われたキッシンジャー米大統領特別補佐官(当時)と中国の周恩来首相(同)の会談録より)
http://nippon-senmon.tripod.com/tairiku/chuugoku/kiken_na_nippon.html

 (米国政府関係者の一部の間では一貫してあったにせよ、)キッシンジャーのこんなアドリブ的「瓶の蓋」論に暗に言及しつつ、アーミテージが、「レーガン政権発足・・・の時点で消え去りました」と麗々しく語った真意が私には解せません。

<文十郎>

 最近の流れとは繋がっていないので申し訳ないのですが、教えていただきたい事があります。
 太田さんは、ブッシュ政権のイラク戦争を支持していたと思いますが、私は、「大量破壊兵器が無かった」事のみでイラク戦争は間違っていたと思っています。
 再度、太田さんがイラク戦争を支持する理由を教えて下さい。
 よろしくお願いします。  

<太田>

 アングロサクソン諸国政府が対イラク戦争を行った主要な目的は、戦争前の論議の中で既にあげられていた二つ・・大量破壊兵器の除去<とサダム・>フセイン体制の変革・・であり(コラム#65)、私もこの考え方を支持していたところです。
 ところが、実際には大量破壊兵器が存在せず、フセイン体制打倒後の変革計画もお粗末なものであったわけです。
 前者は、米国の諜報能力の想像を絶するお粗末さ、及び英国の諜報能力も甚だしい劣化、また、後者は、米国の想像を絶する異民族統治能力の低さ、及び、英国の異民族統治能力の甚だしい劣化、並びに、米国が英国の意見に耳を傾けることがなかったこと、によります。
 しかし、前者を主要な目的として掲げたことで、爾後、新たな核保有国の出現はほとんど不可能になった・・現にリビアのカダフィ政権は大量破壊兵器保有計画を撤回しましたし、イスラエルによるシリア原子炉爆撃への国際世論の反発はほとんどありませんでした・・し、夥しい犠牲を払った後ではあったけれど、イラクでの体制変革は一応成功し、現在のアラブの春は、このことと無関係ではないでしょう。
 ですから、私は、現在でも対イラク戦を支持しています。


 それでは、記事の紹介です。

 また原発がらみの癒着が露呈。↓

 「原子力の研究や立地対策を目的とする政府のエネルギー対策特別会計(エネ特会)の電源開発促進勘定の半分以上が、二〇〇八年度に経済産業省や文部科学省など官僚OBが役員を務める独立行政法人や公益法人、民間企業などに支出されていたことが本紙の調べで分かった。電力料金に上乗せされ、知らないうちに徴収された資金が、補助金や事業委託などの名目で、原発推進を旗印に多額の税金が天下り法人に流れ込んでいた。・・・」
http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2011093090070531.html

 オメデトウ・・なんだろうね。↓

 「9月29日、イグ・ノーベル賞の授賞式が行われ、「わさび火災警報装置」を開発した日本人7人が「化学賞」を共同受賞。・・・
 日本人の受賞は5年連続だという。」
http://news.livedoor.com/article/detail/5901386/

 共感は道徳的行為の原動力としては弱いとよ。↓

 ・・・ we are living in the middle of an “empathy craze.” There are shelfloads of books about it: “The Age of Empathy,” “The Empathy Gap,” “The Empathic Civilization,” “Teaching Empathy.” There’s even a brain theory that we have mirror neurons in our heads that enable us to feel what’s in other people’s heads and that these neurons lead to sympathetic care and moral action.・・・
 <道徳的行為にコストがかかる場合は特にそうだって。↓>
 <However,> empathy is not a major player when it comes to moral motivation. Its contribution is negligible in children, modest in adults, and nonexistent when costs are significant.・・・
 <道徳的行為に結びついたとしても、依怙贔屓が起きやすいって。↓>
 Moreover・・・empathy often leads people astray. It influences people to care more about cute victims than ugly victims. It leads to nepotism. ・・・
 <内面的規範を持っておれば、それは強くかつ適切な道徳的行為の原動力になるってさ。↓>
 Empathy is a sideshow. If you want to make the world a better place, help people debate, understand, reform, revere and enact their・・・ some religious, military, social or philosophic ・・・codes. ・・・
http://www.nytimes.com/2011/09/30/opinion/brooks-the-limits-of-empathy.html?_r=1&ref=opinion

 どうも↑、ルース・ベネディクトの、欧米の罪の文化と日本の恥の文化との対置論をちょっと思い出しちゃうな。
 これじゃ、人間主義が否定されてしまうのでは?
 この話は、機会があったらまた取り上げなくっちゃね。

 女性は男性と違って、X染色体が2つあるので、免疫機能が高いんだとさ。↓

 ・・・the secret to women's super immune systems lies in their extra X-chromosome. These chromosomes are packed with molecules called microRNAs, which just so happen to be key in regulating the immune system.・・・
 When one of a woman's X-chromosomes is compromised, the other one is quick to kick in and pick up the slack — kind of like a back-up player for your body.・・・
 ・・・in humans, as well as other mammals, females live longer than males and are more able to fight off shock episodes from sepsis(化膿症), infection(感染) or trauma(外傷)・・・
 <その代わり、女性は男性より自己免疫疾病に罹りやすいとよ。↓>
 ・・・there are a few negatives to women's superhuman immunity: It can also lead to severe responses to infections, meaning that women are more likely to develop autoimmune diseases and have serious bouts of the flu.・・・
http://newsfeed.time.com/2011/09/29/the-x-chromosome-factor-women-truly-are-the-tougher-sex-study-finds/
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太田述正コラム#5024(2011.9.30)
<映画評論27:ボー・ジェスト>

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