太田述正コラム#4848(2011.7.4)
<ナチの逃走(その4)>(2011.9.24公開)

→戦間期から戦後にかけて、カトリック教会は、自らが生み出したところの、第一の鬼子たる共産主義を、第二の鬼子たるファシズム(ナチズム)で掣肘しようと四苦八苦した、と我々は、冷ややかに受け止めればいいでしょう。(太田)

 戦後においては、変化した諸事情といや増しに増してきたところの共産主義の拡大への恐れとが、カトリック教会が世界の中での己の役割をどう理解するかに大きく影響を与えた。
 1944年に連合国の部隊によってローマが解放されると、カトリック教会は民主主義を「発見した」。
 ピオ12世は、同教会は、もしキリスト教の影響力によって純化できるのであれば、民主主義を、君主制と同等の統治形態であると見るであろうと宣言した。
 それより前までは、同教会は、伝統的に、君主制と専制的諸体制は、その他のものより受け入れられると考えて、これらと同盟してきた。
 同教会は、ファシズム、国家社会主義、及び内戦の後に残された真空状態の中で、数少ない争い難い権威の中の一つとして、自らを戦後イタリアにおける安定的な力と見た。
 確かに、同教会は、引き続き、社会において大きな影響力を持っており、この立場を簡単に放棄するつもりはなかった。
 ファシストの「主人人種(Herrenrassen)」、戦争のカルト、極端なナショナリズム、の諸イデオロギーは、欧州を破滅へと導いたところ、キリスト教諸教会は、自分達の社会と政治における至上性を再獲得することでこのような潮を逆転させたいと欲した。
 (反ユダヤ人的人種主義(anti-Semitic racism)と区別されるところの)<カトリック教会の>反ユダヤ教主義(anti-Judaism)は、ナチスの逃亡を助ける役割を果たしたのかもしれない。
 しかし、何よりも、混沌として予測不可能な戦後欧州の状況下における共産主義への反対を指導する決意を含むところの、他の諸要因の方が、よりもっともらしい説明になっているように見える。
 <いずれにせよ、>カトリック「背教者」の復帰を歓迎し改宗プロテスタント達を抱擁するのは、同教会の当時の政策の一環であったと言っても過言ではない。
 この本は、考えられる応報からの逃亡の支援を僧侶に求めたところの、(その大部分がプロテスタントたる)非カトリック教徒のドイツ人達に対し、何人かの僧侶達が、「再洗礼」を施すところまでしばしば踏み込んだことについて、空前の<豊富な>証拠を提示する。
 一時的に「ナチズムの魅力に要撃された」ところの堕落した教会員達の幾ばくかの同教会への復帰もまた、熱情を持って嘉された。
 カトリック教会の一定のメンバー達は、異教のナチ統治の年月の後、欧州を再キリスト教化する機会<が到来した>と見た。
 洗礼を通じた脱ナチ化が、同教会の教義の枠内ぎりぎりのところで実行されたことははっきりしているが、例外的な時期には例外的な諸措置がとられることになった、といったところだ。
 いずれにせよ、そういうことが行われたということは、同教会の中にいたところの、逃亡者達を助けた人々は、極端に複雑な状況に関する彼らの感情のゆらぎを緩和する強力な諸象徴を必要としたのかもしれないことを示唆している。・・・

 ・・・1945年の米戦略事務局(Office of Strategic Services=OSS。中央情報局(Central Intelligence Agency=CIA)の前身)<(コラム#1383、1875、4555)>の解散・・・は、米対諜報軍団(Counter Intelligence Corps=CIC)<(注17)>の職員の著しい少なさと新しく出現しつつあった諸脅威(challenges)への対処態勢の著しい不備を際立たせた。

 (注17)太平洋戦争勃発直後に米陸軍内に設置される。
http://en.wikipedia.org/wiki/Counterintelligence_Corps_(United_States_Army)

 新しい情報源確保の必要に迫られたところの、CICの運用は、しばしばシロウト的でややもすればやけっぱちに見えた。
 この文脈の中で、国際赤十字とカトリック教会の合作(collaboration)の一環として、ナチスが逃亡するのを助けるために形成された地下ネットワークが、連合国自身のためにも役に立つこととなった。
 早くも1947年に、CIC自身が、諜報隠語で言われたところの「段索(ratline)」を使っていた。
 それは、元SS要員で米諜報諸機関に助言を与えるために集められた者達を、オーストリアのソ連占領下の地域や東欧からイタリアへ、そして更に南米へと密輸した。
 CICの観点からは、SS要員やドイツの対諜報エージェント達は、CICの戦後の諸目的に資するところの、ソ連や東欧についての特別な識能を持っていたわけだ。・・・
 振り返ってみれば、CICによって集められた、この芳しからざる新規のエージェント達は、ソ連やソ連の衛星国家群や同盟国軍に関する貴重な情報をほとんどもたらさなかったのだが・・。・・・

→先の大戦末期にようやく赤露の脅威に目覚め始めた米国が、英国の協力の下に自分達が初めて持つこととなった国際諜報機関のOSSを、大戦が終わった瞬間に解散するなどという愚行をやってのけたわけです。
 その後の戦後の米国の共産主義敵対政策、つまりは冷戦政策は、意識的には英国、無意識的には日本のそれまで反共政策を参考にしつつ、慌てふためきながら泥縄式に遂行された、と言ってよいでしょう。(太田)

 <ナチス残党を受け入れた国の代表格である>アルゼンティンが逃亡者達の受け入れ国となった思惑は、他の諸国(とりわけ、名高いところの、米国、英国、ソ連、そしてフランス)において見出される動機と同じだった。
 これら諸国は、すべて、その政治的経歴や戦時中の活動いかんにかかわらず、役立つと目されたドイツ人達とオーストリア人達を三顧の礼で迎えたのだ。
 これは、たまたま何か隠さなければならないことがあったところの、特殊技能を持った人々たる失業したナチ移民者達の巨大な貯水池の助けを借りて国益を追求しようとする欲求がいかほどであったかを物語るものだ。・・・」

 (以上、地の文章は、下掲に拠る。)
http://www.historyextra.com/sites/default/files/uploads/5/9780199576869_intro.pdf
(6月28日アクセス)


 最後に、書評類で補っておきたいと思います。

 ・・・何か問題が起きるたびに、赤十字の係官達は、すぐに、連合国と法王庁が疑わしい<「難民」の>ケースを取り除くことについての究極的な責任を負っている、と言い張ったものだ。・・・
http://www.historybookclub.com/world-war-ii-books/nazi-germany-books/nazis-on-the-run-by-gerald-steinacher-1072283209.html
(6月28日アクセス)

→赤十字、連合国、法王庁の三者が互いにもたれ合った無責任体制を結果として構築していたというわけですが、いくら法王庁が主権国家でもあったとはいえ、連合国・・実質的には米英・・と法王庁に本件で同等の責任を負わせるという赤十字の発想は面白いですね。(太田)

 「・・・米国務省が1984年にフーダル糾弾の声を上げた時、法王庁は激怒した対応を行ったが、ステイナッチャーのこの本が出た以上は、遺憾なことに、当時の期間はまだ法王庁の文書公開の対象になっていないにもかかわらず、ローマが関与していたことにもはや疑いはない。
 だから、現法王が、彼の戦時中における先任者<たるピオ12世>の聖人化に待ったをかけているのは不思議ではない。
 しかし、法王庁よりも重要な役割を米国が果たしていたのだ。
 米国は、出現しつつあった冷戦において、元SS技術者、スパイ、専門家達を、情報と得られる可能性がある助けの源泉と見た。
 彼の地下V-2工場で強制労働者達を死と隣り合わせのひどい条件下で酷使したところの、ロケット技師のヴェルナー・フォン・ブラウン(Wernher von Braun)<(注18)>は、米国のロケット計画の責任者に据えられた。

 (注18)1912〜77年。父親は男爵、母親は父系も母系も欧州の様々な王家(仏、デンマーク、スコットランド、イギリス)につながる。小さいころは作曲家を目指した。ベルリン大学で物理学博士に。その後、ナチ党員にしてSS幹部。戦後米国で、(人類を月に送り込んだ)サターン・ロケットの開発の責任者を務めた。
http://en.wikipedia.org/wiki/Wernher_von_Braun

 ナチスのスパイの元締めのラインハート・ゲーレン(Reinhard Gehlen)<(注19)>は、東欧における彼のスパイ網はまだ生きていると主張したが、米国によって救出され、その後、西独の諜報機関の責任者に据えられた。

 (注19)1902〜79年。ドイツの陸軍大将。
http://en.wikipedia.org/wiki/Reinhard_Gehlen

 ニュルンベルグ戦争犯罪裁判の後、諸<欧米>政府は、ソ連の脅威に直面して、ドイツの自尊心を強化することが正義を遂行することよりも重要である、という決定を下したのだった。・・・

 そして、ホアン・ペロン(Juan Peron)<(コラム#4360、4362、4634)>のアルゼンティンは、技術的ノウハウが喉から手が出るほど欲しく、かつまた、ナチズムを憎からず思っていたところ、彼らは、<こういった連中を>自国が獲得したいという思いが募り、イタリアに係官達を派遣してこういういった連中を集め、アルゼンティンに来てほしいと説得することまでやってのけた。
 元SS要員たるアイヒマン(Adolf Eichmann)<(コラム#2717、3078、3617、4832)>のような人物が逃げるのを助けた他の諸機関同様、ペロンの政府はこの連中が犯した犯罪を十分承知していた。
 ステイナッチャーが記すように、半世紀以上経った現在、振り返ってみて、彼らの道徳的な無関心さには絶句するほかない。・・・」
http://www.guardian.co.uk/books/2011/jun/24/nazis-run-gerald-steinacher-review
(6月25日アクセス)

(完)