太田述正コラム#4838(2011.6.29)
<先の大戦における蛮行(その7)>(2011.9.19公開)

 (10)バーレイ批判

 既に私のバーレイ批判を適宜行ってきたわけですが、ここで、この本の書評等において見られるバーレイ批判をご紹介しておきましょう。
 まず、アジアタイムスの書評からです。

 「バーレイは、その非難の大部分において、単に第二次世界大戦の枢軸国、とりわけドイツと日本を標的としている。
 しかし、一旦それが連合国、とりわけ英国と米国のふるまいになると、バーレイは、最も醜悪な諸事例についてうまく言い繕うとするか、それを宥恕しようとして修辞を彼自身が弄するのだ。・・・
 バーレイは、戦争中に日本が取り囲んだアジアの巨大な領域におけるその統治がいかに暴虐なるものであったか、そして、その捕虜の扱いにおいて日本軍がいかに野蛮であったかを詳述する。

→戦時下の日本の占領統治と、戦争の期間中の1943年のことではあったけれども、全く戦火が及ぶことがなかったところの、ベンガル地方でウン百万人のインド人を餓死させた英国(コラム#27、149、210、315、609、2301、2307、3789、3793、4206、4208、4422、4503、4574、4665)のインド亜大陸統治と比べる発想を、バーレイに求めるだけ野暮というものでしょうね。
 また、日本による英米蘭捕虜の扱いについては、厳密な意味で国際法違反に該当するものがあったかどうか、微妙です。(コラム#省略)(太田)

 これは、この戦争の歴史、及び日本の極端に人種主義的な戦争遂行、に通じている読者にはお馴染みのことだが、バーレイはその分析を更に進める。
 彼は、このふるまいが、日本のエリートの間におけるより一般的な人間の命に対する侮蔑からも来ていることを示す。
 とりわけ寒気がするのは、裕仁天皇と彼の制服の最上官との間の議論の記録だ。
 裕仁は、1941年時点まで10年間にわたって発作的に(in fits and starts)進行してきたところの、日本の支那を征服しようとする試み・・それは既に支那人を何百万人も、日本の兵士を何十万人も殺していた・・が失敗を運命づけられている営みではないかと疑問を発した。

→「日本の支那を征服しようとする試み」なんて、呆れて言い返す言葉さえありません。(太田)

 「そうかもしれません」と日本海軍の長の永野提督<(注9)>は語った。
 しかし、もし「患者が死んだとしても、それは定めだったと言うほかありますまい(one must say that was meant to be)」と。
 裕仁はこれに頷き、議論は次の話題に移った。<(注10)>」

 (注9)永野修身(ながのおさみ)。1880〜1947年。開戦時の(帝国海軍)軍令部総長。その後海軍元帥。東京裁判中に病死。靖国神社に合祀。
 (注10)バーレイは、どうやら、次のエピソードを援用しているようだが、先の大戦が日支事変に置き換わっている等の誤りがある。これは、彼が参照した英訳が不適切であったか、バーレイが曲解したのか、どちらかだろう。(書評子の早とちりという可能性もありうるが・・。)
 なお、以下、二つ引用したのは、日にちが1日違うのと、内容に微妙な違いがあるからだ。
 「杉山元陸軍参謀総長、永野修身海軍軍令部総長が近衛立会のもとで、御前会議の前日<(1941年9月5日)>の「御下問」「奉答」を行うことになった。
 天皇は、・・・戦争の場合の見通しについても詳細疑念のあるところを質した。・・・
 ・・・永野軍令部総長・・・より、『…戦の要素には確実ならざるもの多く、その成功は天佑によらざるべからざる場合もございます。ただ成功の算と申すものはございます。例えばここに盲腸炎にかかれる子供あり。…手術するも七十パーセントまでは見込みなきも、三十パーセント助かる算あることあり。親として、断乎手術するのほかなき場合がございます』と申し上げしところ、御気色和らぎたり。」(参考文献が5冊あげられているが、出典は特定されていない。)
http://www.shimousa.net/menu_tennou.html
 1941年9月6日の御前会議において、永野は以下のように発言した。
 「時機を逸して数年の後に自滅するか、それとも今のうちに国運を引き戻すか、医師の手術を例に申上げれば、まだ、七、八分の見込みがあるうちに最後の決心をしなければなりませぬ。相当の心配はあっても、この大病を治すには大決心を以て国難排除を決意する外はない。思い切るときは思い切らねばならぬと思います。」(出典は瀬島龍三『大東亜戦争の実相』)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B0%B8%E9%87%8E%E4%BF%AE%E8%BA%AB

→「日本の極端に人種主義的な戦争遂行」は、そもそも人種主義と当時の日本は基本的に無縁であったのでナンセンスです。
 ただし、「日本のエリートの間におけるより一般的な人間の命に対する侮蔑」については、バーレイがこのような文脈で持ち出したのは場違いではあるものの、先の大戦において、日本の経済力や軍事力の制約もあり、極端に兵站、とりわけ兵士の給養が軽視される作戦運用がなされたことは事実であり(コラム#省略)、その限りにおいては、「」内はあてはまる面があります。(太田)

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 ここで、コーヒーブレイク的に、このシリーズと関連するニューヨーク・タイムスの記事のさわりをご紹介しておきます。

 「イラク派遣の米海兵隊員の55%と米陸軍兵士の40%は、無辜の非戦闘員を傷つけたり殺したりしたことを知っている、と述べている。
 そして、約10%が、自分自身、一般住民の私的財産を破壊したり一般住民を物理的に攻撃しことがあることを認めている。・・・
 諸研究が示すところによれば、米国の軍隊の歴史の過程で、米軍の兵士たちは次第に殺害への意思が増大してきている。
 第二次世界大戦の時には、歩兵の兵士の15%から20%しか実際に戦闘中に敵めがけて小銃を発射しなかった。
 朝鮮戦争の時にはこの数字は55%まで増えた。
 ヴェトナムの時には90%に達した。
 『殺害について(On Killing)』の著者である退役中佐のデーヴ・グロスマン(Dave Grossman)は、この趨勢は軍事訓練の変化によるものであるとする。
 グロスマンは、「射撃率を15%から90%に増大させた手法は、「プログラミング」ないし「条件付け(conditioning)」と呼ばれている、と記す。
 それは、「大部分の人間には同じ人間を殺すことへの激しい抵抗感があるという単純で検証できる事実」を見据える、ないしは矯正することを意図したものだと・・。」
http://www.nytimes.com/2011/05/01/magazine/mag-01KillTeam-t.html?hp=&pagewanted=print
(4月28日アクセス)

 米国人にしてそうなのですから、その大部分が縄文モードであった戦前の日本の兵士に「敵」を殺害するために小銃の引き金を引かせることがどんなに大変であったか、想像に難くない、というものですね。
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