太田述正コラム#4830(2011.6.25)
<先の大戦における蛮行(その3)>(2011.9.15公開)

 (3)英米の対独戦略爆撃

 「英空軍も米空軍も軍事的に重要な目標に対して大規模な精密照準爆撃(precision bombing)をする能力を持っていなかった。
 諸都市全域にに対する攻撃が技術的に可能な唯一の選択肢だったのだ。
 爆撃機部隊だが、当時、それに関わる困難さが過小評価されていたからこそそれに対して巨大な投資がなされたのだった。
 <爆撃機>部隊が展開されたのは、英米(Allies)がノルマンディー上陸の前にドイツ本体に攻撃を行う唯一の方法だったからだ。
 これは、地上戦においてソ連が身の毛のよだつような死傷者を出している時において、<英米が真面目に戦っているかどうかを問われないようにする、という>微妙きわまる問題だったのだ。
 とはいえ、この<爆撃機による>攻勢は、ドイツによる英国の諸都市に対する攻撃と比較して、規模と言い、実際に達成された結果と言い、全くもって均衡のとれていないものだった。
 ナチス空軍によって英国に投下された1トンの爆弾に対し、約315トンが米英の空軍によってドイツに落とされた。
 それによって得られた結果たるや、決して取るに足らないものでこそなかったけれど、当時喧伝されたそれにははるかに及ばないものだった。」(H)

 このバーレイの屁理屈は、米空軍による日本の諸都市の戦略爆撃に関しては、その大部分がソ連が参戦していない時期に行われた、という一点だけで破たんしています。
 もちろん、日本が米国の諸都市の戦略爆撃を一切行っていない(行い得なかった)ことも我々は知っています。
 なお、その効果がやはりあまりなかったという点でも日本に対する戦略爆撃は、ドイツに対する戦略爆撃と大同小異でした。
 違いがあるとすれば、木造建築の多い日本の諸都市に対する焼夷弾を中心とする戦略爆撃は、ドイツよりも相対的にはるかに多くの一般住民を惨殺した、という点でしょう。
 バーレイの屁理屈をそのまま日本に対する戦略爆撃にも適用すれば、日本に対するそれは、全く申し開きの出来ない戦争犯罪である、ということにならざるを得ません。

 (4)フランス(レジスタンス)

 「バーレイによる、反ナチ抵抗運動の動機の描写は秀逸だ。
 例えば、キースリング(Quisling)(注2)体制に反抗せよと促すビラを配ったノルウェー人たちの素朴な愛国心と道徳的勇気についての彼による描写がそうだ。

 (注2)Vidkun Abraham Lauritz Jonsson Quisling 。1887〜1945年。ドイツ軍のノルウェー侵攻中にクーデターを起こし、1942年からドイツの敗戦までノルウェー傀儡政府の首班を務めることで、ドイツに協力し、戦後ノルウェー政府によって銃殺刑に処された。
http://en.wikipedia.org/wiki/Vidkun_Quisling

 しかし彼は、大部分の人々が、結局のところ、多かれ少なかれ<占領ドイツ軍に>協力したことを認める。
 例えば、フランスのワイン製造者達は、ワインを、ドイツ軍部隊のため、あるいは、いずれも何らかの形で生計の資を得なければならなかったところの、「<ドイツ軍の>駐屯地の置かれた町のバーで働く人、客室係の女性、料理人、タイピスト、そしてウェイトレス」のために製造した。
 そして、まことにもって迫力あるくだりなのだが、彼は、反抗それ自体がいかに道徳的堕落をもたらしたかを、中部フランスのレジスタンスの戦士達が、いかに(女性や子供を含む)ドイツへの協力の容疑をかけられた者達を、白熱した鉄棒を「容疑者の肛門に」突き刺したり「内臓摘出をするかのように背中と腹に同時に押し付けたりして」拷問したかを示す。
 これは、単に苛烈なる必要性に基づくものではなかった。
 ある見物人は、「この鍛冶場を運営している人物は自分の仕事を楽しんでいるように見えた」と回想している。」(F)

 まったくいわでもがなのことをバーレイが言っていると言わざるをえません。
 占領下でも人々が生きていかなければならないのは当たり前ですし、「拷問(虐殺)」については、正しいことをやっていると思い込めば、人間は限りなく残酷になりうることを、戦後、米国の人間科学・・ミルグラム実験(アイヒマン実験)やスタンフォード監獄実験(コラム#1303、3421、3607)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9F%E3%83%AB%E3%82%B0%E3%83%A9%E3%83%A0%E5%AE%9F%E9%A8%93
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%B3%E3%83%95%E3%82%A9%E3%83%BC%E3%83%89%E7%9B%A3%E7%8D%84%E5%AE%9F%E9%A8%93
・・が明らかにしているからです。

 「「あなたは彼よりももっとフランス人か」と問うているヴィシー<政権>のペタン(Petain)元帥のポスターに反抗して自由フランスに入った人は1940年には7,000人しかいなかった。」(L)

 (5)日本

 「オーストラリア兵はニューギニアの日本兵を追跡する過程で、無数のサディズムの事例に遭遇した。
 原住民の少年の遺体の頭は火炎弾で焼かれていた。
 <食べるために>一人の女性の左の乳房が死ぬ前に切り取られていた。
 木に括り付けられている民兵の男の遺体には銃剣による傷が両腕にあり銃剣が腹部に突き刺されたままになっていた。
 やがてオーストラリア兵達は人肉食の証拠を見つけるに至り、彼らは敵は人間以下の存在であると考えるようになった。」(D)

 この本でのバーレイによる日本による蛮行の具体的提示が、前出のこの話くらいしかないことが分かります。

 (6)イタリア

 「戦後のイタリアがファシストをパージするのに失敗したことを取り上げる際、バーレイは、「128,837人の公務員のうち、わずか23人の元ファシストが解雇されただけだ」と記している。}(E)

 バーレイがとりあげるに足る蛮行を見つけられなかったということは、イタリアが真面目に先の大戦に関わらなかったことを意味しているのではないでしょうか。

 「ムッソリーニが彼の田舎の大邸宅(villa)を退去することになった日、彼の18歳のピアニストの息子のロマーノ(Romano)<(注3)>は、デューク・エリントン(Duke Ellington)とSaddest Taleを2階で弾いた。」(L)

 (注3)Romano Mussolini。1927〜2006年。ムッソリーニの4男(末子)で戦後ジャズ・ピアニストとして活躍。最初の妻はソフィア・ローレンの姉妹。長女はネオ・ファシスト党の党首で彼が党歌を作曲した。
http://en.wikipedia.org/wiki/Romano_Mussolini

 こんな挿話が登場するのもいかにもイタリアらしいですね。
 イタリアには、ファシストも含め、米国ファンが多かったということでしょうか。
 なお、この曲、ユーチューブでは発見できませんでした。

(続く)