太田述正コラム#4822(2011.6.21)
<イギリス人の起源をめぐって(その3)>(2011.9.11公開)

 なお、この学説については、2006年7月18日にBBCが電子版で報じています。
http://news.bbc.co.uk/2/hi/science/nature/5192634.stm

3 イギリス人=アングロサクソン説A(多数渡来説)

 以上、ご説明した「イギリス人=アングロサクソン説B(少数渡来説)」と、今から触れる「イギリス人=アングロサクソン説A(多数渡来説)」、及び、その後で言及する「イギリス人=バスク人説」の三つを公平に紹介しているのが、2009年12月17日にアップされた下掲のサイト↓です。
http://heritage-key.com/britain/genetic-britain-how-roman-viking-and-anglo-saxon-genes-make-uks-dna

 このサイトは、ブリテン諸島に人間が最初にやってきたのは700,000万年前だが、継続的に住み着いたのは、最後の氷河期が終わった12,000年前頃であったとした上で、かねてから、英国人の遺伝子構成が侵攻者達によって大いに影響を受けたとする説(注10)と、ほとんど変わらなかったとする説(注11)とがあったとします。

 (注11)多数説。大量のアングロサクソンの侵攻があったからこそ、イギリスは欧州とは異なり、制限王政と自由への愛で特徴づけられるところの、異なった発展を遂げたとする。
http://en.wikipedia.org/wiki/Anglo-Saxon_settlement_of_Britain
 (注12)少数説。例えばローマ史で有名なギボン(Edward Gibbon)がそうであり、だから、イギリスにはブリトン人由来のものが大幅に残ったとする。
http://en.wikipedia.org/wiki/Anglo-Saxon_settlement_of_Britain 上掲

 そして、最近の学説として、まず、2002年に打ち出された、ロンドン・ユニヴァーシティー・カレッジ(UCL)の研究者達による「イギリス人=アングロサクソン説A(多数渡来説)」(本シリーズにおける学説のネーミングは、私が仮につけたもの)を、概略次のように紹介します。
 
 彼らは、現在の、イギリス中部の男性達のY染色体をオランダのフリースランド(Friesland)地方・・アングロサクソンの原住地であったと考えられている・・の男性達のそれとを比較した。
 その結果、この二つの集団が著しく遺伝子的に似通っていることが分かり、「大量の移住」が暗黒時代に起こったに違いないという結論を下した。
 他方、イギリスとウェールズの人々は遺伝子的には似通っていないことから、アングロサクソンはウェールズまでは席巻しなかったという結論も下した。
 そして、以上を説明するためには、侵攻勢力は約500,000人という、当時としては莫大な数であったはずだと指摘した。

 (このサイトは、次に、同じUCLで、今度は2006年に打ち出されたもう一つの学説である、「イギリス人=アングロサクソン説B(少数渡来説)」を説明しています。
 これまで出ていなかった話で補足しておきますと、アングロサクソンは、わずか15世代でイギリスを席巻したとし、そのあおりで、暗黒時代に、敗れたブリトン人達がブリテン島から逃げ出し、フランス北西部のブルターニュ地方(ブリトン人からその名前が由来している)とスペイン北西部のガリチア(Galicia)地方に流入した、というのです。
 これに加えて、ユスティニアヌスの疫病(plague of Justinian)(注12)が暗黒時代において顕著な人口減少をもたらされたと信じられているとします。

 (注12)東ローマ帝国を中心に541〜542年に起こり、約1億人を病死させた史上最大の疫病。原因は腺ペストであり、14世紀の黒死病(Black Death)と同じ。
http://en.wikipedia.org/wiki/Plague_of_Justinian
 なお、600年前後にインドから欧州に広がった天然痘の影響もあるとする説がある。
http://en.wikipedia.org/wiki/Anglo-Saxon_settlement_of_Britain 前掲

 なお、イギリスの住民の遺伝子構成は9世紀のヴァイキング、11世紀のノルマン人の到来によって新たなインプットが生じたけれど、アングロサクソンとその後の侵攻者達のY染色体を区別する方法を見出していないので、これらのインプットがどれほどのインパクトを与えたかは分からない、というのです。)

4 イギリス人=バスク人説

 最後に、上記サイトは「イギリス人=バスク人説」を紹介しています。
 この学説は、私が以前(コラム#1687で)紹介済みであり、2007年3月にオックスフォード大学と関わりの深いスティーブン・オッペンハイマー(Stephen Oppenheimer)
http://en.wikipedia.org/wiki/Stephen_Oppenheimer
・・その折には言及しなかったが、共同研究者がいて、オックスフォード大学のブライアン・サイクス(Bryan Sykes)教授
http://en.wikipedia.org/wiki/Bryan_Sykes
がそうだ・・が発表したものです。
 つまり、この学説は、イギリス人の起源に関する最新の学説なのです。
 当時の紹介との重複を厭わずに、このサイトにおけるこの学説の説明を要約しておくと以下のとおりです。

 イギリスに人間が継続的に住み着いてからというもの、彼らの遺伝子構成はほとんど変わっていない。
 現在のアイルランド人とウェールズ人は、バスク人と遺伝子的に80%が共通しているのに対して、イギリス人は65%が共通している。
 だから、イギリスの住民はケルト系であるとは言えない。
 このことは、英語にケルト系の言葉がないこと、また、ケルト系の地名がないことからも明らかだ。
 ローマが到来した時、イギリス南部は、ガリアのベルギー地方とつながりのあるゲルマン系の言葉をしゃべる部族であるベルガエ人によって占領されていた。
 アングロサクソンに関しては、そのDNAはイギリス人の男系(male lines)の5%にしか発見されておらず、女系においてはほとんど発見されていない。(注13)

 (注13)この学説は、Y染色体とミトコンドリアDNAとベースにしている
http://en.wikipedia.org/wiki/Anglo-Saxon_settlement_of_Britain 前掲
が、「イギリス人=アングロサクソン説B(少数渡来説)」のY染色体のみをベースにした数字と大きな違いがあるが、どなたか、その違いが何に由来するのかを、原データにあたって究明していただきたいものだ。

5 終わりに

 その後、Y染色体ハプログループ(Y-chromosome haplogroup(注14))のR1bが、イギリス中部・南部、ウェールズ、アイルランド、フランス北西部及びスペイン北部において、80%の男性に存在することが発見され、これにより、「イギリス人=バスク人説」は、更なる裏付けを得た、ということになりそうです。
 (以上、特に断っていない限り、下掲による。)
http://en.wikipedia.org/wiki/Anglo-Saxon_settlement_of_Britain 上掲
http://en.wikipedia.org/wiki/Haplogroup_R1b
http://en.wikipedia.org/wiki/File:R1bmap.JPG

 (注14)「父系で遺伝するY染色体のハプロタイプの集団のこと」。
http://ja.wikipedia.org/wiki/Y%E6%9F%93%E8%89%B2%E4%BD%93%E3%83%8F%E3%83%97%E3%83%AD%E3%82%B0%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%83%97
 「現在は限定的な意味として、同一染色体上で統計学的に見て関連のある、つまり遺伝的に連鎖している多型(一塩基多型[SNP]など)の組合せをいうことが多い。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%97%E3%83%AD%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%83%97

 このように見てくると、やはり、イギリス人の起源については、「イギリス人=バスク人説」が最も最新の学説であり、かつ、最も説得力がある、と言えそうです。
 ですから、冒頭の話に戻りますが、現在のドイツが依然としてイギリスに対して強いコンプレックスを抱いていることから、ドイツのシュピーゲル誌が、意趣晴らしのためにあのようなおかしな記事を掲載したとしか考えられない、と私は思うのです。
 
(完)