太田述正コラム#4818(2011.6.19)
<イギリス人の起源をめぐって(その1)>(2011.9.9公開)

1 始めに

 昨日、今からご紹介する、シュピーゲル誌の記事を読んであわてました。
 イギリス人の起源の話なのだけれど、バスク人説に何の言及もないし、そもそも、根本的にバスク人説と相容れない内容だったからです。
 さっそく、調べてみたのですが、私の結論は、こんな一方的な記事を載せたことで、シュピーゲル誌は決して高級誌なんぞではないことが露呈してしまったというものです。
 どうやら、ナチスドイツばりのドイツ人至上主義に(恐らく意識せずして)シュピーゲルの編集陣は毒されている、ということなのでしょう。

2 イギリス人=アングロサクソン説B(少数渡来説)

 まず、この記事が紹介しているところの、イギリス人の起源に関する学説のあらましをご披露しましょう。
 どうして、表記のような説と言えるのかは、おいおい分かってきます。

 「・・・英リーディング(Reading)大学の考古学者の<ドイツ人、>ハインリッヒ・ヘルケ(Heinrich Harke)は、<ブリテン島への>移民の動きの量的推計値に到達した。
 彼は、「せいぜい200,000万人の」移民が北海を渡ったと想定している。
 この<、しかし>大量の人々の動きは、明らかに、病んだローマ帝国がその軍隊の多くをブリテン島から撤退させた407年を契機に始まった。
 その直後に、ローマは兵士達に給与を支払うのを完全に止めてしまった。
 その結果、残った最後の兵団達が出て行った。
 これにより、ブリテン島の防御態勢は消滅したが、欧州大陸の飢えた人々がこの機会を見逃せるはずがなかった。
 アングル、サクソン、そしてジュート族が、北欧州の湿地帯の中の泥でできた(mound)住まいと広い豆畑を後に残し、群れをなしてやってきたのだ。・・・
 こうして新しく到来した人々は、410年頃に、オックスフォード近くのドーチェスター(Dorchester)に最初の墓をつくった。・・・
 推定<上限>200,000人の侵入者たちは約100万人<以上>の圧倒的な数のブリトン人と対峙したけれど、侵攻者達が勝利した。
 東アングリア(East Anglia)、ウェセックス(Wessex=西サクソニー)、エセックス(Essex=東サクソニー)といった諸王国<(注1)>がすぐに形成され、シゲリック(Sigeric)やキネウルフ(Cynewulf)(注2)といった強力な首長が<これら諸王国を>統治した。

 (注1)いわゆるアングロサクソン7王国(heptarchy)。主要4か国:ウェセックス、東アングリア、マーシア(Mercia)、ノーサンブリア(Northumbria)。その他の3か国:ケント(Kent)、サセックス(南サクソニー)、エセックス。
http://en.wikipedia.org/wiki/Anglo-Saxon_England
http://en.wikipedia.org/wiki/File:British_kingdoms_c_800.svg
 (注2)シゲリックについては確認できなかったので、この記事を書いた記者の勘違いではないか。キネウルフは、757年から786年までウェセックスの王であった人物。
http://en.wikipedia.org/wiki/Cynewulf_of_Wessex

 ケルト人達はこれらの乱暴者達にはかなわなかった。
 ローマ人達は、彼らにリラの弾き方や大量のワインの飲み方は教えたけれど、この地域の民衆はパックス・ロマーナ(ローマの平和)の下にあり、武器を持つことを禁じられていた。
 その結果、この地の人々は刀にもはや馴染みがなくっており、<慌てて刀をとったものの、>次々に戦いに敗れ、この島の端へと追い立てられた。
 古のイギリスの英雄譚である『ベオウルフ』<(コラム#2269、2271)>は、この異教徒たる征服者達がいかに荒っぽく互いに戦いに明け暮れていたかを示唆している。
 彼らは、すぐにイギリスの東部と中部を占領した。
 アーサー王の有名な伝説は、やはりこの時代に、一種の反プロパガンダとして、起源を持つ。
 歴史家達は、この作品について、キリスト教徒たる原住民達・・聖杯(Holy Grail)は恐らく聖餐式(holy communion)用の杯を象徴している・・によって生み出された「防衛的神話」であると考えている。
 恐らく、アーサー王伝説<(コラム#461、462、463、3137)>は、500年前後にバドン山(Mount Badon)<(注3)>において勝利をあげたところの、神話上のケルト人の王をもとにできたのだろう。・・・

 (注3)The Battle of Mons Badonicus。6世紀中頃に僧侶のギルダス(Gildas)が、ラテン語で、44年前にブリトン人とアングロサクソンとの間の戦いがあり、前者が勝利したが頽勢の挽回にはつながらなかった、と記した。9世紀にこの話がアーサー王伝説と結びつけられた。
http://en.wikipedia.org/wiki/Battle_of_Mons_Badonicus

 ロンドンの遺伝学者のマーク・トマス(Mark Thomas)は、大陸からやってきた征服者達が、ウエセックスのイネ(Ine)王<(注4)>の(695年前後の)諸法によって裏付けられているところの、アパルトヘイトに似た社会構造を維持していたことを確信している。
 この諸法は、ブリトン人の6つの社会階層を規定しているところ、そのうち5つは奴隷だ。

 (注4)688年から726年までウェセックスの王。694年頃に諸法を制定したことで有名。
 しかし、イネに関する英語ウィキペディアのこの諸法の説明には、この記事の「6つの階層」云々の話は出てこない。
http://en.wikipedia.org/wiki/Ine_of_Wessex

 このような過酷な従属により、負け組のブリトン人達の繁殖は明らかに抑えられ、一方で勝者達は大勢の子供達を持った。
 その結果は現在の英国の遺伝子構成において、依然として明白だ。
 「イギリスの田舎出身の人々は、彼ら同様の田舎出身者たるウェールズやスコットランド人達に比べて北部ドイツ人により<遺伝子構成的に>近いのだ」とヘルケは説明する。・・・」
http://www.spiegel.de/international/europe/0,1518,768706,00.html
(6月17日アクセス)

 この学説ですが、ゲルマン人が、イギリスの支配者となり、原住民を人種的にもゲルマン人化したとか、原住民をアパルトヘイト式に統治したとか、しかも、ドイツ人の学者が主唱しているとか、と来れば、いかにもドイツ至上主義者の気持ちをくすぐることだろうて、と思いませんか。

(続く)