太田述正コラム#4814(2011.6.17)
<映画評論25:わが命つきるとも(その3)>(2011.9.7公開)

 『ユートピア』で書いたことを何一つ実践はしなかったモアでしたが、一つだけ実践したことがあります。
 男女が全く同じ教育を受けるという点です。
 これは、当時、一般的な考え方では全くありませんでしたが、女性も男性同様学問することができると信じ、モアは自分の娘達に、息子同様、古典学の教育を施したのです。
 (以上、Cに拠る。)
 しかし、一つだけであれモアが実践したものがあるということは、その他のことも、実践したかったけどそれができない事情があったと考えることもできるでしょう。
 モア自身が、『ユートピア』の中で、哲学者達は白紙的に自分が正しいと思うことをやろうとすべきではなく、既存の欠陥ある制度の枠内で、政治的にうまく立ち回って次第に自分が正しいと思うことに近づけていくべきだ、という趣旨のことを記していることは示唆的です。
http://en.wikipedia.org/wiki/Utopia_(book) 前掲

 (3)ヘンリー8世の協力者としてのトマス・モア

 1520年にマルティン・ルター(Martin Luther)は立て続けに三つの著作を発表し、恩寵のみによる救済を唱え、カトリック教会の堕落を攻撃しました。
 これに対し、ヘンリー8世は、モアの助けを借りて、ルターを批判する著作を発表したところ、ヘンリー8世がルターの異端たる諸説と戦ったとして、法王のレオ10世は、ヘンリー8世に「信仰の擁護者」という称号を与えました。
 すると今度は、ルターが、ヘンリー8世を攻撃し、彼を「豚、うすのろ(dolt)、嘘つき」呼ばわりしました。
 そこで、ヘンリー8世の求めに応じて、モアは反撃の著作を1523年末に出します。
 その中で、モアは、法王庁の至上性、秘蹟(sacrament)、そしてその他のカトリック教会の様々な伝統を擁護したのです。
 そして、モアはルターに対してお返しの罵声を浴びせます。いわく、「猿、酔っ払い、汚い矮小な修道士」等々・・。

 1529年にモアはヘンリー8世によって大法官に任ぜられ、1532年の5月に辞任するまで務めるのですが、それまでイギリス史上、異端として焚刑に処せられた者が約30人いたとはいえ、モアの短い任期中に彼は6人ものプロテスタントを異端として焚刑に処したのです。
 (以上、Cに拠る。)

 (4)トマス・モアの刑死

 このあたりから、映画の描くところとなるのですが、アン・ブーリン(Anne Boleyn)と結婚するために1527年から求めていた、王妃キャサリン(Catherine of Aragon)との結婚無効の法王による承認がなかなか得られなかったところの、大法官のウルジー(Wolsey)に見切りをつけたヘンリー8世は、1530年位ウルジーが病死すると、トマス・モアをその後任に起用します。
 最初のうちは、モアは、国王に協力し、ウルジーを議会で非難するとともに、キャサリンとの結婚無効を宣言したりするのですが、ヘンリー8世が法王の権威を否定するようになると、それについていけなくなります。
 1532年に入り、英国王がカトリック教会に対して優越することを規定する諸法が議会に上程され、成立するのですが、モアは大法官を健康上の理由をあげて辞任します。
 その年の暮、ヘンリー8世はアン・ブーリンと秘密裏に結婚し、翌1533年5月に、カンタベリー大司教がキャサリンとの結婚無効とアンとの結婚を正式に宣言します。
 1934年には、反逆法(Treason Act)によって、英国王の至上性を否定することが反逆罪とされるに至ります。
 (以上、下掲に拠る。)
http://en.wikipedia.org/wiki/Henry_VIII_of_England

 1535年、モアは、英国王の至上性を否定している廉で投獄されます。
 枢密院の筆頭メンバー(First Minister)であり、モアの友人でもあったトマス・クロムウェル(Thomas Cromwell)は、モアをロンドン塔の獄舎に何度も訪れて宣誓の上、国王の至上性を認めるよう促すのですが、モアは拒否します。
 1535年7月1日に裁判が行われます。
 
 モアは法的先例及び法諺「沈黙は同意とみなされる」に拠り、国王が教会の至上の長であることを明示的に否定しない限り有罪とはならないと考え、本件に係る質問に答えることを拒否します。
 ところが、法務次官(Solicitor General。法務長 (attorney general) に次ぐ職位)
http://ejje.weblio.jp/content/Solicitor+General
のリチャード・リッチ(Richard Rich)が、ロンドン塔でモアが否定する発言を行った際に居合わせたという偽証の疑いの強い証言を行います。
 同じくその場に居合わせた二人がどちらもそのことを否定し、モア自身が、もともと信用していないリッチのような人物の前でそんな重大なことを発言するはずがない、という趣旨の反論を行ったにもかかわらず、陪審員達は、わずか15分の協議でモアに有罪評決を下すのです。
 これを受け、刑が宣告される前に、モアは、生身の人間が精神の世界における長となることはできない旨、彼の本心を陳述するのです。
 1535年7月6日にモアの断頭刑が執行されます。

(続く)