太田述正コラム#4945(2011.8.22)
<皆さんとディスカッション(続x1301)>

<太田>(ツイッターより)

 (コラム#4782に関し)一人一人は複雑な思考ができても、集団としてはそうはいかない。
 日本は、明治維新後、初期は集団指導体制、それからは民主主義体制だった。
 だから、日本の戦前史は単純な原理で動いていたと考えるべきだろう。
 人間主義に基づく、横井小楠コンセンサスと英国模範視でもって大部分のことは説明できるぜ。

 次期民主党代表/首相に誰がふさわしいか:前原、枝野、岡田…。
http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2011082101000405.html
 ご存じだとは思うが、それぞれ、X、Xに近い△、xだからね。うち、出る可能性のあるのは前原だけだが・・。
 なお、海江田はxだ。野田は??。後は泡沫。
 よって消去法だと野田かなあ。

<太田>

 もう一つの世論調査結果だ。
 これ、単に知名度の順じゃん。
 前原が出て、当選しそうだな。
 彼が首相になったら、日本国民はものすごーく幻滅することになるだろう。
 そして、確実に次の総選挙後自民党が政権の座に復帰することになるだろう。
 今から予言しとくね。↓

 「民主党代表選に出馬が取りざたされる7人について聞いたところ、40%の人が前原前外務大臣がふさわしいと答えていて、海江田経済産業大臣が10%、野田財務大臣が7%で続いています。」
http://www.tv-asahi.co.jp/ann/news/web/html/210822013.html

<TA>

≫<手嶋龍一氏の>"〜日本は外交・安全保障という国政における最も崇高な部分をワシントンに委ねて〜"は、太田さんのご主張を剽窃した可能性があると思います。≪(コラム#4943。Chase)

 思わず「なるほど!」と膝を打ちました。
 と言いますのも、私自身、手嶋氏に興味がわいたので色々と調べたのですが、考え方に一貫性がないというか理論立てがなされていないというか、とにかく意味が分からなかったからなのです。

 「手嶋氏によると、日米同盟が次第に空洞化しつつあることこそ危機の本質である。
 にもかかわらず、日本の当局者は「戦後のいかなる時期に比べても、いまほど日米関係が良好だったときはない」と言い募ってきた。
 イラクへ自衛隊を積極的に派遣し、経済面でもさしたる貿易摩擦がない、というのがその論拠である。
 しかし実際には、日米同盟の危機の様相は、国連安保理の改革問題で露になった。
 日本の常任理事国入りを実質的に葬り去ったのが、アメリカだったからである。
 日本が常任理事国入りを外交の最優先課題としていることを知り抜きながら、ブッシュ政権は最後まで安保理改革に後ろ向きだった。
 日米の同盟関係が本当に機能していれば起こり得ない事態である。」
http://air.ap.teacup.com/saleswoman/551.html

 8月14日放送のTV番組「たかじんのそこまで言って委員会」でも↑のような趣旨の発言がありました。
 「日米同盟の危機」とやらが、アメリカ側に原因があると考えているということなのでしょう。
 しかし、日米「同盟」と国連の常任理事国の話は全く関係のない話ですので、これはつまり、「こんなにアメリカ様のために尽くしているのに、それに応えてくれないなんて酷いじゃないか!」と考えているとしか思えません。
 日米「同盟」が片務的なもの(「属国」日本のタダ乗り)だと思っていないのでしょうか?

 「・・・戦争を再び繰り返さない日米共同の責務とは、自由と民主主義の理念によって、日米の同盟を東アジア地域の平和と安定の礎にすることを意味しています。
 そのためには、日米安全保障体制は、単に軍事同盟であってはなりません。
 またアメリカは単に軍事力の提供者であったり、日本は軍事基地の提供者であったりするだけでは十分ではありません。・・・
 米ソの冷たい戦争が幕を閉じてはや十数年。しかし冷戦が終わってもなお日本は、超大国アメリカの安全保障の傘の中に、どっぶりとつかっているように思えます。
 私は、戦後の日本が、東側陣営ではなく、西側陣営と連携してきた進路が誤っていたとは思いません。
 しかしながら、アメリカと安全保障の盟約を結んできたことには、やはり光と影があるのです。
 光の部分で言えば、それゆえ日本は経済大国になり、今日の繁栄を築いてきました。
 その一方で、世界の秩序を創り出していくことに、自ら積極的に参画をしていく、一種の志というようなものを摩滅させてしまった側面は否めません。・・・」

 ↑このように実にまともなことを主張しておられるのですが、具体的に何をどうするのかについては、(件の番組内でもそうでしたが、)「国連の常任理事国になれば解決する!」という風にしか聞こえない主張です。↓

 「東アジアにはふたつの大国、日本と中国が並び立っています。しかし、一方の日本は、核兵器も空母機動部隊も持っておらず、中国は核兵器を持ち、空母の建造を進めており、そのうえ国連安保理事会で拒否権を持つ常任理事国です。
 これに対して日本は国連資金の突出した拠出国であるにもかかわらず、常任理事国の椅子を与えられていません。
 国連の構成はいまだに5大戦勝国の支配が続いています。
 こうした現状を変革して、日本が国際社会で応分の発言力を得るには、国連安保理の常任理事国にならなければなりません。
 オバマ大統領は、核なき世界の実現を目指していますが、日本はいまこそ、核を持たない大多数の国を代表して、核なき平和な世界を創造する先頭に立つべき時でしょう。」
http://www.ryuichiteshima.com/archives/2011/a01joseiyuuki.php

 私には手嶋氏の基本的な主張が全く分かりません。
 (それが太田さんからかはともかく、)誰かの主張の聞きかじりか何かなのでしょう。

<まるこう>

 --原子爆弾の計画に関する典拠--

 <べじたんさん(コラム#4943)、>詳細に有難うございました。
 しっかりと整理し、理解の上、子供たちに話すことができそうです。
 有難うございました。

<XXXX>

 <コラム#4929でお約束していた資料、>昨日発送できました。遅くなりました。

 今回、お送りした資料は後藤春美の『上海をめぐる日英関係1925‐1932年』ですが、問題はなぜ1927−1929年までの田中外交期に日英の提携が不発に終わったかにあると思います。
 一義的には幣原外交にあることは本書でも疑いないように思いますが、二義的には当時の駐日大使サー・ジョン・ティリー(1926−31年)にも問題があったのではないかと思います。
 サー・ジョン・ティリー大使の問題点は自らは「二、三の簡単な表現を除いて日本語を学ぶ試みを放棄し」、「首相の田中義一が、英語もフランス語も話せず、いつも通訳を同伴する」事に嫌悪感を表し、日本の「陸軍軍人が英語を話さず、あまり親しみやすくない」という理由で海軍軍人に好意を寄せ、田中には「ほとんど意見がない」と評価しない一方で、自らが「反英的」と評していた幣原の辞任を「彼が完璧に英語を使いこなし、同じように見事に感情を抑制する事ができた上に、彼が口に出した言葉にはすこぶる信用がおけた」と嘆いた事に見て取れると思います。
 更に、前任者のエリオット大使が「日本の状況や日本に関することを外相に説明するのが自分の義務であると信じ、返信を期待せず私的書簡を送り続け」、同時期にマイルス・ランプソン駐華公使が情勢険悪な北京からオースティン・チェンバレン外相と「私的書簡<を>頻繁にやりとり」した事と対照的に、彼はチェンバレン外相とも後任のアーサー・ヘンダーソン外相との「個人的手紙というのは思い出せないし、公信を補う私的書簡もほとんどなかった」という状態であり、彼は重大な時期に日本の内部の状況・・・就中帝国陸軍の認識・・・を上に説明する事を怠ったのではないかと思われるのです。
 いわんや前任者の「エリオットが英国の声望の頽勢をくい止める為に『根気よく努力した』ので」彼の離任を日英関係に打撃を与えたと考えたF・S・G・ピゴットが、1931年ティリー大使が交替した時はうれしかったと、つまり「<後任のサー・フランシス・リンドレー>が東京から発する公信の辛辣な文章を読んで――陸軍省の他の数名と一緒になって――愉快に思ったものである。歯に衣着せずに書いてくれていて、われわれは大いに満足したのだ。」と残しているのは示唆的であると思います。
 本書では(赤露の脅威から)英国との協調を強く望む田中首相に対し、1928年の時点でイギリス外務省はもっぱら経済的要因を主たる理由に「日本との提携は不可能」との結論に達したと明らかにしておりますが、ティリー大使はこのようなボタンの掛け違いを放置してしまったのではないかと疑っています。
 (「」内は後藤春美の『上海をめぐる日英関係1925‐1932年』及びサー・ヒュー・コータッツィ編著『歴代の駐日英国大使1859−1972』から引用)

<太田>

 届きました。

<SA>

 <次の>講演会のテーマは、TAさんの提案<(コラム#4941)>でいいのではありませんか。
 私は賛成です。

<田吾作>

 ・・・たまたま「太田述正コラム#4932(2011.8.15)<米国の20世紀スケープゴート史に思う>」<(未公開)>を読んで、保管していた資料が何かの役に立つのではないのかと考えましたのでお送りします。
 アメリカという国柄のダイナミズムがよくわかると私は考えます。・・・
 以下に少し詳しく引用しておきます。

 「老後なき晩年

 長官への執着

 1964年5月、フーバーの長官就任40周年の祝賀会がホワイトハウスのローズガーデンで行われた。7カ月後の誕生日にはフーバーもいよいよ70歳。
 政府職員としての退職日を迎えるはずだった。
 ところがその席で、ケネデイの後任のリンドン・ジョンソン大統領は、FBI長官への「定年を定めた法令の適用を見合わせる」という、驚くべき発表をした。ジョンソンはフーバーの古い友人であった。
 不正選挙や企業からの多額の献金などうしろめたい過去をもつ彼は、フーバーに対して強い態度に出られず、フーバーも大統領を牛耳ることで、自分の地位を固持したのである。
 その頃フーバーは、公民権運動の指導者マーテイン・ルーサー・キング牧師を共産主義者と決めつけ、執劫なまでに盗聴や監視を行っていた。
 また、ベトナム戦争が長期化するにつれ、アメリカ国内で反戦運動がさかんになると、これを憂慮したジョンソンは、FBIの秘密情報活動に頼らざるをえなくなってきた。
FBIはこうした運動の取り締まりも、大統領の指示で行うようになったのだ。
 ジョンソンは、予想以上にベトナム反戦運動が高まったため、再選出馬を断念。
 ロバート・ケネデイが次の大統領として有力視されていた。
 彼が大統領に就任した場合、フーバーの留任がむずかしいのは確実だった。
 ところが、1968年6月6日、ロバート・ケネデイは兄同様、暗殺され、フーバーはまたもや解任されずにすんだのである。

 機密事項の漏洩

 1968年の大統領選で勝利したのは、共和党のリチヤード・ニクソンであった。
 ニクソンは、74歳という高齢にもかかわらずフーバーを留任させた。
 実は、フーバーはその25年前にニクソンと出会っていて、彼の弱みを握っていたようである。
 もっともニクソンも、政策を進めるうえで問題が起こると、いまや「多くのことを知り尽くしてしいる」この老練な長官に頼らなければならなかった。
 一方のフーバーも、周囲の人聞が虎視耽々とFBI長官の座を狙っていることを承知していた。
 大統領の期待に応えなければクビを切られるという危機感があって、素直に大統領の要望に応えていたのだ。
 ところが1969年、安全保障上の重要な機密事項、アメリカ軍がカンボジアを爆撃しているという情報がニューヨーク・タイムズ紙にスクープされた。
 この記事を読んで激怒した大統領補佐官のヘンリー・キッシンジャーは、「リークした犯人を必ず突き止めよ」とフーバーに命令。
 ホワイトハウス内での大掛かりな盗聴を行わせたが、犯人はついに見つからなかった。
 1970年、75歳になったフーバーはニクソン大統領や議会からついに辞任を要求された。
 疑心暗鬼になったフーバーは、CIAをはじめ、国家安全保障局、国防総省国防情報局、陸海空三軍情報部、財務省秘密検察局など、他の情報機関とFBIの連絡を断絶してしまう。
 ひたすら保身を図る長官の下で、FBIの内部では組織の硬直化が進んだ。
 1971年には再び、機密情報がリークされる事件が起きた。
 犯人を見つけるように依頼されたフーバーが協力を拒否したため、仕方なくニクソンは、独自に「鉛管工」という盗聴組織を編成。
 これが後に、ウォーターゲート事件に発展したのである。
 もしフーバーがニクソン大統領に協力していれば、ウォーターゲート事件は起きなかったかもしれない。

 死の真相

 前日まで執務にあたり、健康状態も良好だったFBI長官の突然死は、当初からさまざまな憶測を呼んだ。
 検視官により判断された死因は「高血圧性心臓血管疾患」。しかし、かかりつけの医師によると、フーバーは軽度の高血圧ではあっても心臓病の兆候はまったくなかったという。
 暗殺や陰謀の時代でもあったから、暗殺の噂が広まるのは早かった。
 フーバーに秘密を握られ、彼を嫌う人々は多かったが、もっとも疑わしかったのは、引退させようと躍起になっていたニクソン政権であった。
 ある報道によると、フーバーの自宅は死ぬ直前、2度も不法侵入の標的になっている。 1度目は書類を回収しようとして失敗。
 2度目は成功したが、目的はバスルームに毒物を忍ばせることであった。
 その毒物は、皮膚の毛穴からでも体内に取り込まれて心臓を停止させるほどの強い致死性があり、しかも、死後一定の時聞を過ぎると解剖でも検出されない、特殊なものであった。
 後にウォーターゲート・ビルに不法侵入したメンバーのひとりがフーバー邸への侵入についても犯行を認める発言をしていたとの証言もある。
 検視官の判断でフーバーの遺体は解剖されなかった。
 もし死亡直後に解剖されていたら前代未聞のスキャンダルが起きていたかもしれない。
 ひとり暮らしの自宅の寝室でフーバーの遺体は発見された。」

 (「エドガー・フーバー J・Edgar Hoover」(『週刊100人』079号 デアゴスティーニ 2004年12月21日発行)P16〜P17 より引用。)

追記

 すでにお知らせ済みかもしれませんが「CIA」に関する資料もお送りします。

 「CIAはアイゼンハワーがソビエトとの冷戦を戦う上での手足ともいうべき存在であったが、その活動はドゥーリトルの69頁にのぼる報告書で追認された形になっている。
 次は「中央情報局の隠密作戦に関する報告書」(Report on the Covert Activities of the Central Intelligence Agency , September 30,1954)からの引用であるが、これは通例「ドゥーリトル報告書」と呼ばれているものである。
 なお、この報告書の内容は当時のアメリカの世論の動向を反映したものであったと言われている。

 「ソビエトの力量と意図に関して、適切に評価することは、現時点での最も重要な軍事的、政治的要件である…合衆国はこの種のゲームにおいては経験が浅く、長年にわたって社会規範と防護施策とが高水準に維持されている警察国家を敵としているために、入手可能な情報が十分に必要を満たしていないという状況にある。
 国家の方策として、もう一つの重要なポイントは、積極的な秘密工作機関を作りあげることであるが、それは心理的、政治的でかつ準軍事的な存在でなければならない。
 そして敵よりもさらに効果的で、独創的で、必要とあらばより酷薄であらねばならないのである。
 こういった組織を早急に有効かつ安全に設立するためには、あらゆる障害を排除しなければならない…今や我々は、手段を問わずいかなる犠牲を払っても、世界を征服せんとの野望をあらわにした執念深い敵と相対していることは明白である。
 このようなゲームにルールはない。つまり、これまで受け入れられてきたような人間的な行動規範はもはや必要とはされないのである。
 もし合衆国の生き延びる道をさぐろうというのであれば、伝統ある「フェア・プレー」の精神は再考を要することになる。
 我々は効果的なスパイ組織と対スパイ組織を二つながら作りあげて、相手よりも優れた有効な方策を用いて、敵を妨害し、打倒し、破壊するすべを身につけなければならないのである。
 アメリカ国民はこの基本的には嫌悪を催すような哲学に馴染んで、それを理解し、支持しなければならない。」

 この報告書の最後の部分の「基本的には嫌悪を催すような哲学」という表現はかなり重要な意味を含んでいるように思われるが、このような言葉を使った背後には、国民の名においていかなることが行われているかを聞き知った時に国民がどのような動きを示すかが問題であり、それをおもんばかったドゥーリトルの気持ちが隠れていると推察されるのである。」
 (ドゥーリトル日本初空襲 1989年 吉田一彦著 蟷鮎米家行 P288-P289 より引用。)

<太田>

 それでは、その他の記事の紹介です。

 事実上、リビア革命は成功した。↓

 「・・・カダフィ大佐派の親衛部隊が・・・トリポリに進撃中の反体制派部隊に降伏、同派部隊はカダフィ氏の次男で有力後継候補と目されていたサイフルイスラム氏を拘束した・・・<こ>のほか、カダフィ氏の長男ムハンマド氏や三男サアディ氏も降伏し反体制派に拘束されたという。・・・」
http://sankei.jp.msn.com/world/news/110822/mds11082208060001-n1.htm
 <この5日間、カダフィ一家はカネ等の資産を外国に持ち出しており、彼らの多くは既にチュニジアへ脱出していて、恐らくアルジェリアに向かうことになりそう。↓>
 ・・・Western intelligence sources・・・say that Moammar Gaddafi’s family has been moving money and other assets outside the country over the past five days in anticipation of the regime’s collapse. According to these sources, Gaddafi has left Tripoli but is still in the country.・・・
 The Gaddafi family, including his three sons, is said by this source to be in Tunisia, perhaps on the way to exile in Algeria.・・・
http://www.washingtonpost.com/blogs/post-partisan/post/gaddafi-appears-to-be-on-his-way-out/2011/08/21/gIQA78lrUJ_blog.html?hpid=z1

 米国の20世紀スケープゴート史の中には、余りに日常的過ぎて登場しない、黒人差別だが、1919年のそれは、(第一次世界大戦参戦の結果としての黒人意識の向上に伴う黒人側の反撃もあって、)激しかったんだねえ。↓

 From April to October 1919, a wave of racial violence swept across the United States. A bloody series of at least 52 lynchings and 25 major riots that began in the South also consumed major Northern cities including Chicago and brought the nation's racial woes, literally, to the gates of the White House.
 Lynchings and white mob attacks on black neighborhoods were nothing new in the U.S., writes Wall Street Journal reporter Cameron McWhirter in his new book, "Red Summer." What was different in 1919, McWhirter notes, was that "African Americans fought back in large numbers. …The economic, social and political dynamics of black-white relations were changing." This was a pivotal moment in the struggle for African American civil rights, and a precipitating factor in these changes in black-white relations was World War I.
 <ミシシッピ州の州知事の当時の恐るべき黒人差別発言は、白人のホンネを率直に吐露したものだろう。↓>
 African American soldiers returned from Europe in a militant mood. "We have helped to gain the Victory for Democracy and we must share the fruits," wrote one black veteran. The willingness of white America to share those fruits can be judged from the comments of Mississippi Gov. Theodore Bilbo after he refused to stop the lynching of an accused rapist in June 1919: "This is a white man's country," he declared, "and any dream on the part of the Negro race to share social and political equality will be shattered."
 <後のFBI長官のフーバーが、意識の向上した黒人達はボルシェヴィキ等にかぶれたんだろうと発言したのも「ご立派」なこった。↓>
 Bilbo blamed the French for putting such dreams in black soldiers' heads. Atty. Gen. A. Mitchell Palmer and his subordinate J. Edgar Hoover insisted that America's Negroes were being stirred up by Bolsheviks and other outside agitators.・・・
http://www.latimes.com/entertainment/news/books/la-ca-cameron-mcwhirter-20110814,0,4809478.story

 「セックスの直後、多くの女性はパートナーに寄り添ったり抱きついてきたりする。一方、大半の男性はすぐにその場を離れたがる傾向がある・・・
 女性は・・・子孫を残していく<ために>・・・父親<となる男を>・・・子どもを育てていく<ことにかかわらせようとするためだ。>・・・その一方、男性は、必要限度数を超えて「無駄に種を撒き散らす」行為が本能的にプログラミングされている。・・・」
http://news.livedoor.com/article/detail/5800168/

 ところが、参照元とされている下掲には、上掲の文章↑中の理由にあたる部分は出てこない。
 他方、上掲の文章中には出てこない以下のような文章が載っていた。
 だけどこれ、男性だって同じじゃないの?↓

 ・・・women are most attracted to men who make their feelings unclear. ・・・
 Perhaps, but only in the beginning.・・・
 too much uncertainty can cause a partner to “get frustrated and quit.”・・・
http://students.brown.edu/College_Hill_Independent/?p=4299
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太田述正コラム#4946(2011.8.22)
<赤露による支那侵略(その4)>

→非公開