太田述正コラム#4681(2011.4.12)
<トマス・バティとヒュー・バイアス(その5)>(2011.7.3公開)

<補注>

 「<満州事変勃発後の>1931年9月、・・・<外国人>ジャーナリストの間のコンセンサスは、この事変は<日本陸軍の>かなり長期にわたる計画の結果であるという線で固まりつつあった。バイアスは、孤立無援ながら、NHKラジオで、この事変に関する彼の見解を語った。それは、外務省情報局が書いたものと言っても良いほど日本に好意的なものだった。」(H)
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 バイアスは、ニューヨークタイムスに、「現在の危機が皮肉なのは、日本が条約上の諸権利の侵害への苦情を支那に対してつきつける十分な根拠があるというのに、外国から見ると、日本陸軍の、とりわけ、日本政府が事態を悪化させることはしないと誓った後に錦州を爆撃するという高圧的な政策によって、この根拠が半ば突き崩されてしまったことだ」と記しました。
 実際、その通りであって、スティムソン米国務長官は、ケロッグ・ブリアン条約(不戦条約)・・米国も締約国・・を援用することで日本の反米感情をかき立てることを避けつつも、米国が非加盟国ながら、その理事会での議論に出席する含みで、国際連盟に対し、日本に圧力を更にかけることを求めるに至ったのです。

 これに対し、ロンドンタイムスは、論説で、一定の領域を占拠して力の立場から支那と交渉をする日本の姿勢を古い方法論(old method)とし、それは、ケロッグ・ブリアン条約や国際連盟規約に背馳するものである、としつつも、同紙もニューヨークタイムスも、日本が支那に対してたくさんの「深刻な苦情」があることと、これらの諸問題を平和的手段で解決しようとしない支那に言及しつつ、国際連盟は世界を満州事変に関して日本と敵対させるようなことは避けるべきであると主張したのです。
 そして、バイアスは、バティの国際関係観に基づき、ニューヨークタイムスの1931年11月1日付の記事の中で、満州事変は、連盟規約やケロッグ・ブリアン条約をつくった人々が回避しようとしていた戦争のタイプには該当しないと指摘しただけでなく、支那は連盟の一員ではあっても国家であるとは言えないので、戦争の当事者たりえない、とさえ指摘したのです。
 そして、「連盟規約とケロッグ条約は、喩えて言うならば、一つの都市全体をカバーしている保険証券のようなものだ。しかし、都市の内部には、所有者が保険をかけようと思っても拒否され、保険がかけられないような古い構造物がある。国際連盟もケロッグ条約も政治的契約であって商業的契約ではないが、支那はそれらに加入はしている。しかし、これらの合意は、その署名者を拘束し、裏書き人達が自分達の利害に応じて補償金を支払う義務があることから、支那は保険など全くがかけることができないはずなのだ。支那なる構造物は余りにも燃えやすい。革命、内戦、そして反外国煽動が恒常的に起こっている。支那は極めて古いビルで朽ち果てるままにされており、それが再建されるまでは保険をかけることができないのだ」と記したのです。
 これを受けた形で、11月10日、ニューヨークタイムスは、論説で、国際連盟の理事会が支那の肩を持つようないかなる行動をもとってはならないものとし、期限を決めて貿易ボイコットを発動するような強要的手法を回避するよう求めました。
 それどころか、この論説は、保険のアナロジーでもって、国際連盟はまともな国に対してのみ平和を保証すべきであるとさえ主張したのです。
 また、ロンドンタイムスは、11月7日論説で、日本の軍部の満州での動きについて、「警察業務の延長」に過ぎず、国際協定の下で通常許されていることのかなたにあるものなのであって、かかる行動をもって交戦状態(belligerency)と規定することが可能であろうかと疑問を提起しました。そして、「いずれにせよ、[支那の]主権が効果的でない時、果たしてその主権が侵害されたと言えるかどうかは興味深くかつ困難な法的問題である」と指摘したのです。
 更に11月23日付の論説では、国際連盟における委任統治委員会(mandate commission)が提示したところの、委任統治領が独立した主権国家として認められるための5つの必須要件に言及しつつ、現在の支那の政府が、国際連盟加盟国である上に、当時理事国にも選出されていたにもかかわらず、これらの要件をどれだけ満たしているか疑問であるとし、その上で、日本の行為が「侵略」に該当するのか、慎重に判断すべきであるとしたのです。

 英国の外相のジョン・サイモン(John Simon)(注6)と英外務省も、以上のような見解に傾いていました。

 (注6)John Allsebrook Simon, 1st Viscount Simon。1873〜1954年。英外相:1931〜35年。その後、内相、蔵相、大法官を歴任。
http://en.wikipedia.org/wiki/John_Simon,_1st_Viscount_Simon

 しかし、スティムソン米国務長官は、こういった見解には与しませんでした。
 彼にとっては、日本は侵略者であり、国連規約、平和条約、及び9カ国条約の違背者であったのです。

(続く)