太田述正コラム#4630(2011.3.19)
<ロシア革命と日本(その2)>(2011.6.9公開)

 「2月4日、ウラディヴォストーク市内のヴェルサイユ・ホテルを白昼、武装兵40数名が襲撃して、外国人宿泊者から多額の金品を強奪したという事件・・・が発生した。・・・
 <これ>を見るや、翌2月5日、加藤司令官は中央に陸戦隊上陸を進言する。しかしその要請は海相によって却下される。・・・
 <他方、>ウラディヴォストークでは日本陸軍の謀略活動が1月下旬から開始されていた。・・・<しかし、この謀略活動を踏まえたところの、>中島・・・<参謀本部>第二部長<が意見具申した>謀略工作も、・・・陸軍中央部の承認するところとならなかった。」(24〜26)

→当時の陸海軍中央部は、どちらも米国の反応を心配して極めて慎重であったことが分かります。(太田)

 「<時あたかも、>イギリス<軍部>は<シベリア>干渉の早期実現を目ざし・・・日本の単独出兵を認める方向に方針変更を行なっていた。・・・この・・・イギリス軍部の構想・・・に必ずしも全面的に賛同でないバルフォア外相<(コラム#321、480、994、1465、1634、2303、2305、3630、4270、4279、4540)>は、・・・<米国のウィルスン大統領の側近の>ハウス<大佐>・・・宛に、イギリスの政策転換について了解をもとめる電報を打っていた。それはイギリスの<構想>の狙いは、日独を全面的な衝突に導くことで、日本の膨張を抑止することにあることをいい、また何れにしても日本による沿海州占領は不可避であると釈明していた。」(27〜28)

→本件に限らず、当時の英国は、世界覇権国たる自国にとって代わりつつあったところの、米国に対して腫れ物に触るような対応をし始めていたのでしょうね。(太田)

 「イギリスの<この構想>に対しては、日本の出兵はドイツの政治的に利用するところとなり、ロシア国民を反連合国の立場に結束させるであろうとの判断からランシング国務長官は反対であった。ウィルスンももとより反対であった。・・・
 この時期のアメリカ政府は、対ソ干渉に否定的態度をとっていたばかりか、ソヴィエト政府の承認問題すらその検討の俎上に乗せていたのであ<る。>・・・
 しかし・・・独ソ和平への過程が急速に進むに伴い、アメリカ政府の態度にも微妙な変化が生れてくる。独ソ間の新しい情勢の展開の影響は当然イギリス政府・・にも及ん<だ。>・・・
 珍田<駐英>大使はバルフォアと2月23日会見するが、<日本の出兵>に基本的に賛同の意を表する一方、二つの点<をつけ加えた。>・・・
 すなわち、日本軍の行動範囲については、
 「日本は、なお歩を進めてチェリアビンスク又は少くともオムスクまでその行動を延長することはできないであろうか」
と、バイカル湖以西への日本軍の作戦拡大により、南部ロシアの反革命派への補給線確保と、日本の国力減殺の狙いを秘めた提案を行ない、さらに単独出兵問題については、
 「事実上日本独力をもって行うのが当然の成行きであり、・・・日本の軍事行動に際し他の連合国側において名義的協同の程度なりとも各自少数の兵力を参加せしむることはいかがなものであろうか」
と、アメリカの思惑を顧慮した発言を行な<った。>」(28〜30)

→赤露の潜在的脅威に無頓着な米国が、対独戦の帰趨への憂慮からシベリア出兵への態度を変更した機会をとらえて、英国は積極的に日本の尻を叩くとともに、米国への対応で日本に智慧をつけ始めるわけです。(太田)

 「2月25日、英戦時閣議が開催される。・・・ミルナー Alfred Milner 陸相<(注1)は、>・・・日本軍に少数の連合国兵力を参加させることは大して意味がない、むしろ「肝腎のことは、日本人の心理に巣くっている、われわれの態度への疑惑をとり除くことである」と、単独出兵に何ら条件をつけないことで日本人の信頼感を回復すべきであると説いていた。この戦時閣議は結局二つの決定をする。第一は、イギリス政府は<自国が示唆したところの>チェリアビンスクまでの日本のシベリア出兵の構想を支持するとの方針で、アメリカ政府の同調を求めるよう駐米大使に訓電を発する点であり、第二は、ワシントンでとられる右の措置を日本政府に内報し、日本がそのような行動に出る用意があるかどうか、探りを入れることを裁量に任せるとの訓電を駐日大使に発するという点であった。」(30)

 (注1)Alfred Milner, 1st Viscount Milner。1854〜1925年。エジプトと南アで植民地行政に携わり、第二次ボーア戦争(1899〜1902年)(コラム#754、847、1045、3561、3698、4020)の戦争指導を現地で行った経歴を持つ。第一次世界大戦中、ロイド=ジョージによって陸相に招聘され、閣内でナンバーツーとして重きをなす。
http://en.wikipedia.org/wiki/Alfred_Milner,_1st_Viscount_Milner

→第一次世界大戦当時及びそれ以降の英国においては、親日度は、陸軍、外務省、海軍の順であったとかねてから指摘してきたところですが、このミルナー陸相の発言は、英陸軍を文字通り代表したものであったと考えられます。(太田)

(続く)