太田述正コラム#4562(2011.2.15)
<日英同盟をめぐって(続)その14)>(2011.5.10公開)

11 ジョン・チャップマン「戦略的情報活動と日英関係--1900〜1918年」

 「英海軍の対米優位は1904年には3対1であったが、1907年には2対1に低下しており、英国がカナダと西インド諸島との防衛協定を縮小した<(コラム#4530)>ことは、米国と日本との間で何らかの問題が生起しても、米国は対英関係で面倒な事態を恐れる必要がなくなったことを意味<した。>・・・
 <当時、英国で、>「米国<は>保有するほぼ全艦艇<について>、・・・大西洋から太平洋に向けて重点地域を移しつつある」とも指摘されている。」(86)
 「消極的な<日英>同盟関係を維持し、最小限の情報しか<日本に>提供しないという1909年の決定は次の10年間継続した。・・・
 第一次世界大戦中、日本はイタリアや、「その他の弱小同盟国」と同列に扱われ、・・・日本<には許可しなかったが>、フランスや米国は<英>海軍省に連絡将校の配属を許可されていた。」(88〜89)

→英国と米仏は正規の同盟関係になかったのに対し、日本とはあったことを考えれば、これは、英国の日本に対するとんでもない差別扱いです。(太田)


12 倉松中「戦間期の日英関係と回軍軍縮--1921〜1936年」

 「1930年代後半にいたるまで、英国を仮想敵国と見なしていなかった日本とは対照的に、英海軍にとっての日本は戦間期を通じて作戦立案上の主要敵国であった。英海軍省は「戦争準備の標準」として「米国はこの目的のためには考慮されない。日本がこれに次ぐ海軍強国であるので、極東有事に必要な一般的基準の準備が必要である」としていた。しかもワシントン条約の防備禁止条項の結果として、「米国がハワイよりも西方に海軍基地を建設しないことに同意した」<(コラム#4526)>ことから、「太平洋の西方地域における日本に対する効果的な干渉という点で彼ら(米国)は計算外となり、日本によるいかなる侵略的傾向に対しても、英帝国が唯一これに海軍力によって対抗しうる」状況を認識していた。」(146)

→英国は、米国が英国を最大の仮想敵国としていたことに気づいていなかったどころか、一方的に米国を事実上の同盟国視していたわけです。
 このような、致命的となってもおかしくないような思い込みも、大英帝国の相対的衰退がもたらした病理現象だったのでしょう。(太田)

 「<1930年の>ロンドン条約によって英海軍が被ったより確かな打撃は、ワシントン条約で定められた10年間の戦艦建造休止期間を5年延長したことであろう。この結果として主力艦の数が減っただけでなく英国の海軍造船産業は大きな打撃を受け、これが30年代後半の再軍備時に大きな障害となった。・・・ロンドン会議後に米海軍はいわゆる「レッド・プラン<(レッド計画)」、対英戦争計画の研究を真剣に検討することを止めたのであり、これはもはや英海軍には米海軍と戦う能力がないと見なしたからであった。」(148〜149)

→このくだりにはにわかに首肯しがたいものがあります。
 米国は、1935年にレッド計画に基づく空前の大演習を米加(≒英)国境近くで実施している(コラム#1621)からです。(太田)


13 ジョン・チャップマン「戦略的情報活動と日英関係--1918〜1945年」

 「1918年・・・<、英国は、>日本<に>シベリア・・・出兵<を>要請<した。>・・・日本陸軍の上級指揮官たちの多くが、ロシア、とりわけ共産主義という急進的体制との戦争を歓迎したが、<日本>海軍は1907年以来拡大してきたロシアとの通商上の利益を損なうような行動を米国から求められたことに反発した。・・・<もっとも、>結果的に英国とフランスは日本の出兵を歓迎したが米国は歓迎しなかった。」(170〜171)

→こんなことからも、帝国海軍が、赤露の脅威について、最初から極めて鈍感であったことが分かります。(太田)

 「英国は日本を仮想敵国としていたが、日本海軍の無線通信の傍受と分析は行っていなかったようである。これに対し米海軍は、中国とグアムそしてフィリピンのカヴィテの3カ所に傍受基地を設けている。さらに、1921年にはニューヨークの日本総領事館に侵入し<て>・・・海軍暗号表の写真撮影<すること>に成功している。一方、オーストラリア<は、>第一世界大戦中のある時点から、太平洋諸島から本土に向けて発信されていた日本の有線および無線通信<を>傍受・・・<し始め>ていた・・・。」(172)

→当時、反日の程度が、米国>豪州>英海軍>英陸軍、の順であったことがここからもよく分かります。(太田)

 「ロンドン駐在の日本海軍武官は、・・・1941年10月に、英国の反日感情がかつてないほど高まっており、イーデン外相周辺のグループが、日本の攻撃に対して米国は即時に参戦を決定するであろうと考えている事実を確認した。」(185)

→このくだりの典拠としてチャップマンが194に掲げたものは、間違いではないかと思われます。
 いずれにせよ、これは英側が日本側に意図的に流したものではないでしょうか。
 米国議会の孤立主義的姿勢からして、1941年12月時点でも、日本が真珠湾攻撃をせず、英国(マレー)だけを攻撃していたとすれば、米国が参戦したかどうかは疑問だからです。(太田)

(続く)