太田述正コラム#4424(2010.12.8)
<セオドア・ローズベルトの押しかけ使節(その5)>(2011.3.14公開)

 「テディの母親のマーサ・ブロック・ローズベルト(Martha Bulloch Roosevelt)は、南部の華(belle)であり、彼女の家は広大な大農園(plantation)を所有していたが、彼女は、この将来の大統領の世界観を更に規定することとなった。
 彼女が<ローズベルト家に>迎え入れられたのは、ジョージア州のロズウェル(Roswell)<の大農園>からだったが、それは1939年にチェロキー(Cherokee)族から奪取された土地の上につくられたものだった。
 チェロキー族は、米陸軍部隊によって根こそぎにされ、今では悪名高い「涙の道(Trail of Tears)」<(注3)>を辿ったところの暴虐的な旅をさせられてオクラホマへと強制的に歩まされた。」(40)

 (注3)「15,000名いたチェロキー族のうちおよそ4,000名が途上で亡くなった。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B6%99%E3%81%AE%E9%81%93 (太田)

→私の仮説は、南北戦争を経た米国において、奴隷制は廃止されたものの、南部における黒人の差別的隔離が続いた中にあって、セオドア・ローズベルトによるところの、フロンティア消滅に伴う米国の帝国主義の(北米以外の)外国への展開にあたって、米国の人種主義的帝国主義が、北部型(劣等人種絶滅型)から南部型(劣等人種隔離型)へと転換した、というものです。
 これは、ローズベルトが、北部系の父親と南部系の母親・・しかもこの母親は北部的手法で劣等人種を「絶滅」した後の土地につくられた南部的手法の奴隷制大農園所有家族出身・・を持ったことと、密接な関係があったと私は考えています。(太田)

 「<ローズベルト>家の邸宅で甘やかされて育ち、外の世界とほとんど接触がなかったテディは、小中学校や高校に通ったことがなく、家庭教師が彼のところに通った。
 その結果、ハーバード大学は、彼が最初に入校した学校となった。」(43)

→こんな純粋培養人間だったことから、彼が、いわば生きた人種主義的帝国主義者であったところの、父親や母親の影響に深く染まった、ということが容易に想像できます。(太田)

 「フランシス・パークマン(Francis Parkman<。1823〜93年。米国の歴史家。短期間、ハーバード大で園芸学を教えた
http://ejje.weblio.jp/content/horticulturist (太田)
>)はハーバード大学を1845年に卒業し、同大学で教えた。・・・
 セオドア・ローズベルトは、自分の書いた連作本・・・を彼に捧げたことがあるが、このパークマンは、「ゲルマン人種、とりわけそのアングロサクソン分枝は、格別に男性的であり、しかるがゆえに、自治に格別に向いている。それは、理性の導きにその行為を習慣的に委ね、問題の両面を見るという司法的能力(judicial faculty)を持っている。」と記したことがある。
 また、テディのお好みのハーバード教授は、ナサニエル・サウスゲート・シェーラー(Nathaniel Southgate Shaler<。1841〜1906年。古生物学者・地質学者
http://en.wikipedia.org/wiki/Nathaniel_Shaler (太田)
>)だった。
 シェーラーは、ハーバードの自然史学会を創建したが、テディはその副会長に選出された。
 シェーラー教授は、・・・イギリスの人種的遺産に立脚して、白人至上性を教えた。非アーリア系の人々は、正しい「先祖由来の経験」を欠いているので米国化するのは不可能である、というのだ。・・・」(44)

→これだけ、アングロサクソンの至上性を繰り返し叩き込まれたら、その呪縛的偏見から逃れることは不可能だったでしょうね。(太田)

 「ローズベルトは、彼の最初に書いたの本<の中で、>・・・アーリア化した血の純粋性に応じて戦闘者達の能力の異なった水準について記した。
 すなわち、(非常にテュートン的な)北欧人(Norsemen)は「素晴らしい水夫や戦士」となる。
 <他方、>非テュートン的なポルトガル人とイタリア人は、「概して、不実で、ナイフを好んで手を使うことを厭い、機知と勇気のいずれかを切迫した状況下では失いがちであることから、最上の種類の海の男にはなれない。
 あらゆる者のうち最も優れた水夫は、太陽を追って西へ西へと赴いた者であり、厳しい学舎<たる北米>において育った米国人は、より保護されている英国人が持つことは不可能であるところの、独立的思考と行動の習慣を身につけることを強いられた…。
 米国人は抜け目なく、静かで…どちらかというと道徳的だ…。
 戦闘乗組員の資質として、これ以上のものはない。」と。」(45〜46)

→かかる呪縛的偏見は、ローズベルトの頭の中で、論理必然的に、米国のテュートン人(ないしアーリア人)・・さすがにアングロサクソンでは狭すぎる、第一、ローズベルト家ももともとはオランダ系だったといったところでしょうね・・至上性へと純化されて行くわけです。(太田)

 「欧州での休暇から戻ったローズベルトは、ジョン・バージェス(John Burgess<。1844〜1931年。米国の政治学者
http://en.wikipedia.org/wiki/John_Burgess_(political_scientist) (太田)
>)教授の下で法を学ぶためにコロンビア大学に入った。・・・
 バージェスは、「米国憲法…は、ドイツの黒い森々に発しイギリス中と北米中に普及し、マグナカルタ、名誉革命、そして米独立革命の中に自己表現されたところのアングロサクソン--テュートン的政治的天才の現代的表現である」と教えた。
 バージェスは、民主主義を世界中に普及させるのは白人の使命であると教えた。
 また、国家(satate)はテュートン人が発明したものであるので、国家の諸機関は、テュートンの血を持った者によってのみコントロールされるべきであって、より黒い他者によってコントロールされてはならない。」と教えた。」(47〜48)

→ローズベルトが、バージェスの下で学びたかったのは当然だったでしょうね。(太田)
(続く)