太田述正コラム#4350(2010.11.1)
<重光葵の世界観(その2)>(2011.2.19公開)

 「重光は、一体どのような対外戦略を構想したのだろうか。
 重光の言葉を用いれば、それは「赤露包囲政策」というべき戦略である・・・。重光は「日本の現在必要な事は東亜の安定を確保すること」であり、「其目的の為に満州国を建設」したが、「其満州国は赤露に依つて包囲されて」おり、「赤露は外蒙古を占領し、内蒙古を越えて支那の攪乱に努力して居る」と言う。「一体東亜の安定を害するものは今日何処であるかと云ふと、赤露の軍備であり政策であり思想」であって、「この危険を如何にして除くかと云ふことが外交上の大問題」だと重光は言う。ここでは、日本の国益である「東亜の安定」に対する最大の脅威は、ソ連共産主義と考えられている。
 しかし、その政策は「自己の侵されんとする安全を防護すると云ふ意味」をもつのであつて、対ソ戦争を想定するものでは全くない。」(XXXIX頁)

 ここで重光が語っていることは、前段は当時の日本人の大部分が抱き、指導層においてはコンセンサスであったところの「赤露」、すなわちロシア/共産主義との対峙戦略であり、後段は、この対峙の方法論としての、陸軍の統制派と共通するところの「赤露」抑止政策です。

 「このような重光の戦略が奏功すれば、どのような国際関係が描かれるであろうか。まずヨーロッパでは英(仏)独(伊)のある種の提携・・・。他方、極東では、日中間の緊密な提携・・・。勿論、南北アメリカ大陸ではアメリカの勢力圏が確保されている。そして、こうした地域ごとの勢力圏が確定されることを前提に、互いが様々な方法でユーラシア大陸の西と南に領土を拡大しようとするソ連を封じ込め・・・る。その結果、ユーラシア大陸、欧州大陸、そして南北アメリカ大陸をそれぞれ跨いで、ソ連を包囲する緩やかな多国間システムが出来上がる・・・。
 つまり、1930年代の重光は「ソ連脅威論」に基づく「冷戦」的な国際秩序観を先取りしているだけではなく、日本がそのような秩序形成の主導的立場に立つべきとする積極的な対外戦略をもっていたのである。」(XL頁)

 ここは重光の構想力と先見の明を褒めるべきでしょう。
 問題は、「赤露」を包囲する多国間システムを束ねる共通の価値観を重光が提示していなかった、というか、提示できていなかったところにあったのではないでしょうか。
 自由民主主義という言葉は使いづらかったでしょうから、これを日本国内的に無難な言葉に言い換えることを考えるべきだったのです。

 「重光の戦略思考には、・・・批判的に議論すべき点も指摘できる。
 その一つは、重光のソ連観であろう。そもそもソ連は、重光戦略の中で最も関心を払うべき対照である。重光のソ連観は、第一に成長しつつある大国というものである。重光は「赤露は今後遠からずして世界の大なる構成分子となる。否今日既にそうであるけれども、一般にその認識が欠げ<(ママ)>て居る丈である」(特にアメリカの認識不足を重光は指摘している)と鋭い観察を残しているが・・・、同時に重光のソ連イメージは、一貫して積極的に世界を混乱させる「陰謀家」「攪乱者」としてのそれである。それはソ連を第一の仮想敵と想定することから必然的に生じる結果でもあろうが、この点については利用可能となったソ連関係の文書や近年長足の進展を見せるインテリジェンス研究などとの比較検討が必要だろう。」(XLI頁)

 ここは、武田のにぶさを指摘せざるをえません。
 武田は、重光が「赤露」を強力な仮想敵と想定したから「赤露」を悪としたと言っていますが、そうではなく、悪でかつ相当強力な存在であるからこそ、重光は「赤露」を仮想敵と想定したのです。

 「N・チェンバレン首相は独伊との妥協(いわゆる「宥和政策」)を目指していたが、イーデン外相は国際聯盟派であり、親ソ親中派であって、チェンバレンと対立している。重光は外交意見書で一貫してイーデン外交への強い警戒心を持っているが、実際に38年2月にイーデンがチェンバレンと衝突して辞職し、ハリファックスが外相に就任した後・・・、チェンバレンは、仏ソ及びチェコとの同盟という「英国の関知せざる他国の政策に依りて、英国が当然戦争に加入する義務は之を負担し得ず」とし、また「国際聯盟は今日其用をなさず」として、「保守党伝来の模範的な」外交に復帰したと見ている・・・。
 ・・・重光が考える本来のイギリス外交なるものは、第一に、ソ連に対する強い警戒心を背景に持つことを特徴とする。・・・粛正運動<(パージ)>下のソ連政治が国際的な批判を受けることで(またイーデンが辞職することで)、38年に入りそれが再び自覚されるようになつたと重光は見ている(その意味でこの段階での英ソ提携の可能性は極めて低いと予想される)。・・・
 イギリスも結局はその巨大な帝国の維持を「不確実性の時代」の国策としているのであって(自国の国益に敏感な重光は、外交意見書で他国の国益も繰り返し定義している)、重光はそれが彼の言う「模範的」な保守党外交の第二の特徴であるとする。つまり、チェンバレン・ハリファックスの外交は、イギリス帝国の結合を堅持し、軍備を整え、フランスと結んでドイツ西進の際の本国及び植民地の防衛を図るが、東欧からは手を引いて、中欧方面ではドイツの進出に対し、勢力均衡を意識した仲裁的態度を維持しようとするとされる。言い換えれば、たとえ独ソ戦争が勃発するとしてもそれはかえって英国の利益であるから放任し、西方への戦乱の波及を考慮してフランスと共に防衛をあつくし、また、独伊には妥協を持ちかけて勢力均衡を保ちつつ、必要な場合は仲裁者として彼等の優位に立つという態度であり、極めて現実的な外交であるとされる・・・。」(XLIV〜XLV頁)

 このような当時の英国の国益についての認識は秀逸。
 ただ、重光が、英国の、その歴史に根ざす欧州での強国出現への過大な警戒心を考慮に入れていなかったようであることは画竜点睛を欠くと言うべきでしょう。
 結局チェンバレン的グローバリズムはイーデン/チャーチル的リージョナリズムに敗北することになります。

 「そして、・・・重光は極東における日英妥協の可能性を引き出そうとしている・・・。・・・また、この傾向は、重光以外にも、1930年代前半から日英関係に携わる者に共通してみられるものであり、研究史上にも、1930年代における対独宥和ならぬ対日宥和の可能性が論じられてきた。」(XLV〜XLVI頁)

 上記のような重光の英国国益認識からすれば、このように考えたのは当然です。
 しかし、残念ながら、重光の英国理解は不十分であり、それに輪をかけて米国理解は不十分であったのであり、英国(更には米国)に対日宥和策をとらせようというのであれば、強力な対英、そして何よりも対米工作が必要だったのです。 

 「また、重光は、アメリカについて、その外交の本来の形は「モンロー主義」すなわち「孤立主義」であるとし、ルーズベルト政権成立後(1933年)になって「全く本来の姿に帰った」と認識している・・・。だから、ルーズベルトが地政学的に遠いヨーロッパに関する経済会議にさえ参加することは「殆ど信ずることが出来ぬ」と考えていた・・・。しかし、日中戦争が起きると(1937年7月)、アメリカの態度は一変する。駐英大使時代の最大の懸案の一つであった天津租界事件(1939年4月〜8月)が起きると、アメリカはイギリスを援助する目的を持って日米通商航海条約破棄を通告してくる(同年7月)。重光のアメリカ外交批判は激しい・・・。しかし、重光がアメリカの政策の矛盾や、その極度に厳格で且つ「力」を背景とした「正義感」を批判する一方で、外交意見書ではこのアメリカ外交への対処法が欠落している。重光のような伝統的な「妥協」の外交手法に親しむ外交イメージからは、アメリカ外交におけるいわゆる「法律家的・道徳的アプローチ」(ジョージ・ケナン)は極めて異質のものと認識される他ないのかもしれない。」(XLVI頁)

 米国の「孤立主義」≒モンロー宣言ととらえれば。それは、人種主義的帝国主義の米国がアメリカ大陸を自分の勢力圏として固めるにあたって欧州諸大国(英国を含む)からの干渉を拒否するとの宣言に過ぎなかったことを、明らかに重光は理解していません。
 従って、英国の商業的帝国主義がグローバルに展開されたように、米国の人種主義的帝国主義もまた、アメリカ大陸が米国の勢力圏として固まれば、引き続き東アジアを含むところの世界へと必然的に展開されて行く、ということを、重光は認識できていなかったのでしょう。
 米国の「法律家的・道徳的アプローチ」は、利権が乏しい東アジア等へ人種的帝国主義を展開するにあたって、「孤立主義」に代わって米国が掲げた口実以上でも以下でもなかったのです。

 「重光の独裁政治批判も見逃せない点の一つである。重光は駐ソ大使時代の外交意見書で、しばしばスターリニズムとナチズムとの比較を展開している。・・・重光はヒトラー支配下のドイツを持論である「能率国家」論の面から高く評価する一方で、逆にドイツの統制経済に対して極めて厳しい見方をしている。それはスターリン独裁下のソ連についても同様であった。それらの批判が、日中戦争以降、経済統制を強める日本への批判ともなっていることは行間から明らかである。「能率国家」なるものも、全体主義や独裁をも無条件に支持していたことを意味するのではなく、活発な経済活動や国内政治の明朗さを確保することがその前提となっているのである。」(XLVII〜XLVIII頁)

 上述したように、「「赤露」を包囲する多国間システムを束ねる共通の価値観を重光が提示していなかった、というか、提示できていなかった」ために、そのスターリニズムとナチズム批判が歯切れが悪く分かりにくくなってしまっています。

(続く)