太田述正コラム#4346(2010.10.30)
<ガリレオ(その4)>(2011.2.17公開)

 (4)エピローグ

 「・・・有罪の判決を受けてからでさえ、ガリレオは知的リスクを冒し続けた。
 外国のプロテスタント達によって出版されるべく、彼のいくつかの草稿がイタリアから密輸出された。
 彼の書簡のやりとりを守るために入念な用心がなされた。
 手紙類は手で運ばれるか、偽りの覆いををつけて送られるか、外交行李で伝達された。
 時々、手紙類が抜き取られることを恐れ、彼は自分の考えと反対のことを言ったりした。
 しかし、彼の書簡類の意味するところを理解するのは全くと言ってよいほどむつかしくはなかった。
 彼の友人のフルゲンツィオ・ミアンツィオ(Fulgenzio Micanzio<。1570〜1654年。ヴェネティアの神学者・法衣(canonical)
http://brunelleschi.imss.fi.it/itineraries/biography/FulgenzioMicanzio.html (太田)
>)は、自分とガリレオのドイツの出版社が、ガリレオからその『天文対話』が外国で再版されることを欲しないと言っている(あるいは言っているように見える)手紙を受け取った後、「我々は君の手紙を読んだ時に大きな声を出して笑った」とガリレオに書き送った。
 我々がガリレオのものを読むためには、我々は教会当局をだますけれど彼の友人達はだまさないよう仕組まれた何層ものこの種の欺騙を透過して読むすべを習得しなければならない。
 今日では、我々は、ガリレオの裁判は誤解に基づくものであって、キリスト教と衝突することになった最初の偉大な科学者はダーウィンであると考えがちだ。
 結局のところ、カトリック教会は、コペルニクス的天文学を受容し、他の世界にも生命体が存在するかも知れないという観念すら受容するに至った<ではないかというわけだ>。
 <しかし、>このような見解は、ガリレオの重要性を大いに過小評価するものだ。
 ダーウィンは、我々<人間>が神聖なる計画の産物ではないことを証明したかもしれない。
 <これに対し、>ガリレオの貢献は、たとえそんな計画があったとしても、それは我々<人間>についての計画ではなかったことを示したところにあるのだ。・・・
 ホッブスは、カトリック教会は、『天文対話』を「ルターとカルヴィンについてのあらゆる本よりも彼等の宗教に害を与えた本・・<それに書かれている地球中心説への>反対論は彼等の宗教と自然理性との間に位置付けられる<ものであるからだ>・・」として非難した、と言った。
 ガリレオは、ホッブスが彼を読んだように、我々によって再度読まれなければならない。・・・」(G)

 「・・・カトリック教会は、コペルニクス主義を教えることを1820年まで許さなかったし、『天文対話』は1834年まで禁書のリストに残った。・・・」(A)

 「・・・コペルニクスを禁止したのはカトリック教会にとって大変な過ちだった。
 当時においては、<それは>そんな大した話ではなかった。というのも、地球が実際に動くなどということはありそうもなかったからだ。
 だから、そもそも、そんなことを宗教的な議論の対象にすべきではなかったのだ。
 中世の間、哲学者達は、それが神学とかかずりあわない限りにおいて、自由に哲学をやることができるという<暗黙の>取り決めが<神学者達との間で>なされていた。
 他方、神学者達は、科学が信仰の核心部分(essentials)に触れない限り、科学を制限することは控えた。
 <また、たとえ>衝突が生じた場合でも、聖書は比喩的なものとして解釈することができた。
 結局のところ、旧約聖書は地球は平らであると示唆していたところ、キリスト教徒の大部分はそんなことを信じたことなどなかったのだ。・・・
 聖書は、我々にいかに天(heaven)に行く(go)かを教えるが、天体(heavens)がいかに動く(go)かを教えてはいない、とガリレオは、彼からトスカナ大公夫人のクリスティーナ(Christina)宛の手紙に書いた。・・・
 19世紀においてさえ、科学ではなく、旧約聖書中の史実の誤りの発見が信仰の危機をもたらしたものだ。・・・
 今日においては、科学者のうち、宗教を信じている者はほんの少数だし、著名な科学者であればあるほど、その<宗教への>疑問はより大きいことを証拠は示唆している。
 しかし、近代科学は、キリスト教徒とまさに同じくらい無神論者も当惑させる。
 1世紀前は、アリストテレスがいつもそう言っていたように、宇宙は始まりがないというのがの科学的正統派だった。
 叔父さんのようなケンブリッジの物理学者のフレッド・ホイル(Fred Hoyle<。1915〜2001年。イギリスの天文学者・数学者。星における元素合成理論への貢献で有名
http://en.wikipedia.org/wiki/Fred_Hoyle (太田)
>)にとっては、これはほとんど信仰の約款のごときことだった。
 イエズス会員のジョルジュ・ラメートル(Georges Lemaitre<。1894〜1966年。ベルギーのカトリック僧侶・天文学者
http://en.wikipedia.org/wiki/Georges_Lema%C3%AEtre (太田)
>)が彼に対して時間と空間はある特異点に起源を有すると示唆した時、ホイルはそのような理論は「ビッグ・バン」を仮定する(postulate)ものであるとけなした。
 後に、ルメートルと、たまたま、キリスト教教理が正しかったことが分かった。
 宇宙は永遠ではなかったのだ。・・・」(E)

3 終わりに

 ホッブスの言にかかわらず、ガリレオがコペルニクスよりも評価されるべき存在であるとは到底思えません。
 カトリック教会が気まぐれでガリレオを弾圧したことによって、結果的にガリレオを有名にしてしまった、という従来の通説が正しいのではないでしょうか。
 私に言わせれば、ガリレオの弾圧事件は、(当然演繹的である)神学を奉戴するカトリック教会がその神学の適用を誤り、他方、ギリシャ以来の演繹的科学を奉戴するガリレオが演繹過程で誤りを犯した結果、両者が衝突したという、すこぶるつきに非生産的な悲喜劇であったのです。
 結局のところ、ガリレオは近代科学の父ではありませんでしたし、そもそも、欧州文明の中からは近代科学はついに生まれることはなかったのです。
 近代科学、すなわち経験科学を生み出したのはイギリスなのです。

(完)