太田述正コラム#4328(2010.10.21)
<ヒットラーとスターリン(その2)>(2011.2.11公開)

 (2)比較

 「・・・ソ連の民族殺害(ethnic murder)は、ナチスドイツによるそれに先行している。
 また、スターリンはホロコーストに直接責任はないけれど、彼のナチとの<不可侵>条約は、ヒットラーが東方のユダヤ人達を殺害する道を啓いてやったことになる。・・・」(C)

 「・・・ソ連では、約百万人の男女が労働収容所で亡くなったとはいえ、今振り返ってみると、強制収容所の囚人達の10人に9人は生き残ったようだ。
 <つまり、>スターリンによる最大の殺害はシベリアで起こったのではなく、ソ連西部の諸共和国、就中ウクライナで起こったのだ。
 ウクライナでは、30年代に少なくとも400万人が人為的飢饉と「富農(クラーク=kulak)」の屠殺によって死んだ。
 第三帝国の強制収容所では、ナチスの期間に100万人の囚人達が惨めな死をとげた。
 しかし、これら収容所に一度も入ったことがない、これ以外の1,000万人が、撃たれ・・その大部分はユダヤ人・・、意図的に餓死させられ・・その大部分はソ連兵捕虜・・、あるいは、「収容」所ではないところの、特別「殺害センター」でガス死させられた。
 アウシュヴィッツでは、ユダヤ人の大多数は到着と同時にまっすぐガス室へと連れられて行った。
 このアウシュヴィッツは、ひどい所ではあったけれど、ユダヤ人ホロコーストの一種の楽曲終結部にほかならなかった。
 主なガス室群ができあがった1943年には、欧州のユダヤ人犠牲者の大部分は既に死んでいた<からだ>。・・・
 1941年12月に赤軍がついにドイツ軍<の進撃>をモスクワ郊外で食い止めた時、ナチスドイツの政策は変化した。
 ソ連の空間の征服なくしては<ユダヤ人の>追放は不可能だった<からだ>。
 そこで、残された「ユダヤ人問題」は大量殺害によって解決する、との決定が下されたのだ。・・・
 <ユダヤ人>殺害の少なくとも半分は全く工業化されたものではなかった。
 それは、個々の人間達が、裸でよるべきなき人間達に銃の照準を合わせて行われたのだ。
 スナイダーは、この議論を、ホロコーストをソ連兵士の捕虜達の運命と並べることで補強する。
 ほとんど食糧も建物もない鉄条網で囲まれた広大な場に駆り立てられた彼等は、意図的に死に至るまで放置された。
 ドイツに占領されたポーランドだけで、50万人のソ連軍の捕虜達が餓死させられた。
 攻囲されたレニングラードでの餓死者を勘定に入れれば、この最も原始的な大量殺害方法によって、約400万人が戦争中に亡くなった。・・・
 (スナイダーは、少数民族たるポーランド人が1937年から38年までの大テロルにおける最大の犠牲者であったというほとんど知られていない事実を明らかにする。100,000を優に超える人々がでっちあげの「スパイ罪」で射殺されたのだ。)
 この本のウクライナ飢饉についての忘れがたき説明は、結論的に、スターリンが<ウクライナの>田舎で何が起きているかを知っていてそれを放置したこと、(そして約300万人が死んだこと)を示している。
 ヒットラーにとっては、ドイツのためにウクライナを奪取することは彼の新しい帝国にとって枢要なことだった。
 ポーランド人のアイデンティティーを粉砕することもそうだ。
 両国の間で、ドイツとソ連は、戦争の最初の21ヶ月にポーランドのエリートを根こそぎにすべく、彼等を200,000人殺害した。・・・」(A)

 以下、かなりダブりますが、続けます。

(続く)