太田述正コラム#4470(2010.12.31)
<映画評論19:ロビン・フッド(その2)>(2011.1.31公開)

 --アングレームのイサベラ--

 イサベラ(Isabella of Angoul���me=Isabelle d'Angoul���me。1188〜1246年) は、フランス国王のルイ6世を曾祖父とし、その孫であるコンスタンティノープルのラテン帝国(注1)皇帝ピエール(Pierre=Peter)2世<(〜1219年。皇帝:1216〜17年
http://en.wikipedia.org/wiki/Peter_II_of_Courtenay
)>を叔父とするフランス貴族(アングレーム伯爵)であり、1200年からイギリス国王のジョンの2番目の妻となり、1216年にジョンと死別すると、今度はフランスのルシニャン(Lusignan)領主たる伯爵(以下ルシニャン伯爵と言う)と結婚したという女性です。

 (注1)第4次十字軍がコンスタンティノープルを占領した1204年に設立され、1261年まで続いた国。
http://en.wikipedia.org/wiki/Latin_Empire

 彼女は、もともと、2度目の結婚相手となった男の父親(同じくルシニャン伯爵)の許嫁だったのですが、1度目の結婚相手と一年前に離婚していたばかりのジョンが、20歳年下のまだ12歳の彼女を見初めて、掠奪し、結婚したのです。
 これを咎めて(奇貨として?)、フランス国王のフィリップ2世は、フランスの領主としては彼の臣下であるところの、ジョンの、フランスにおける所領のほとんど全部を没収してしまい、ために英仏間で戦争が起こります。
 イサベラの義母のエレアノアも前述したように絶世の美人であったわけですが、イサベラは、それの上を行く傾城、どころか傾国の超絶的美女であり、後世、中世の(トロイ戦争の原因をつくった美女)ヘレン(Helen)と呼ばれることになります。
 イサベラを自分のものにしたジョンは、彼女の色香に耽溺し、(この映画でもそんな場面が出てきますが、)当時のイギリス国王は5時に起きて日課をこなさなければならないというのに、しばしば昼まで彼女とベッドで共に過ごしたといいます。
 唐の玄宗皇帝と楊貴妃のエピソードにそっくりですね。
 (この映画でイサベラを演じた俳優は、さしたる美女ではないので、これまたミスキャストとしか言いようがありません。主人公とヒロインを演じるラッセル・クロウとケイト・ブランシェットのギャラ、及び、戦いのスペクタクル場面の撮影のための予算等が嵩み、美女をとり揃えるだけの予算が確保できなかったのでしょうね。)
 1216年の夫ジョンの逝去の後、2人の間の息子である9歳のヘンリー3世のイギリス国王即位を見届けると、彼女は、ウィリアム・マーシャルに後事を託し、フランスの自分の領地のアングレームに戻ります。
 1220年に、彼女は、ルシニャン伯爵と結婚するのですが、これは、そもそも彼女とジョンとの間にできた娘と結婚することになっていた伯爵が、イサベラを目の当たりにして、母親たる彼女(当時32歳くらい)の方を強く所望したためです。
 そこで、娘の方はスコットランド国王と婚約することとなります。
 ところがイサベラのこの再婚、イギリス国王亡き後、その妃の再婚の是非の決定権と再婚にあたっての相手の選択権を有するイギリスの枢密院(King's council)の同意を得ずして行われたため、同院によって、彼女の前王妃としての財産は没収され年金支給は停止されてしまい、それに反発して、彼女が、娘がスコットランドにイギリス経由で渡航するのを差し止める、という騒動が起こります。
 ところで、このイサベラ、前夫のジョンとの間で5人、今度の夫との間で9人、計14人の子供をなしています。
 昔は、子をたくさんなすのは当たり前であったとはいえ、美女ってそもそも生殖力が強く、多産なのかもしれませんね。
 (ちなみに、彼女の義母のエレアノアは、フランス国王のルイ7世との間に3人、イギリスのヘンリー2世との間で8人、計11人の子をなしています。)

 ここまで読んだ皆さんは、エレアノアと違って、取り柄が美女であること以外に何もなさそうなイサベラが、どうしてこの映画で善玉扱いをされているのか疑問に思われたことでしょう。

 実は、イサベラの晩年において、以下のような史実があるのです。
 1241年、時のフランス国王ルイ9世の母親たる前王妃(夫はルイ8世)ブロンシュ(Blanche)が、公開の場でイサベラ夫妻を冷たくあしらい、イサベラは激怒するのです。
 もともと、イサベラは、イギリスの1216年の内乱の際のフランスのイギリス侵攻・・ルイ8世がロンドンでイギリス国王に推戴された
http://en.wikipedia.org/wiki/Louis_VIII_of_France
(12月31日アクセス)・・をブロンシュが熱心に支えたことに深く含むところがあったところ、これを契機にルイ9世に対する陰謀を企むに至ります。
 彼女は、夫と夫の一家や不平貴族達を巻き込み、旧イギリス領のフランスの南部と西部地域を糾合し、イギリスと提携しつつルイ9世を打倒しようとしたところ、うまくいかず、1244年に夫がルイ9世と和を講じるのですが、折しも、彼女がルイ9世を毒殺すべく2名の料理人をフランス宮廷に送り込んでいたことが発覚します。
 捕まる前に、彼女は、ヘンリー2世、その王妃で義母のエレアノア、彼女の義兄のリチャード1世が眠る僧院(Fontevraud Abbey)に駆け込み、そこで1246年に没します。
 享年58歳でした。
 懺悔の意を込めて、その遺志で、この僧院の中庭に葬られた彼女でしたが、息子のヘンリー3世が当地を訪れた際、遺骸が僧院内のヘンリー2世とエレアノアの側に再埋葬されるのです。
 (彼女の前夫のジョンは、イギリスのウースター(Worcester)のウースター寺院に埋葬されています。(F))
 (以上、特に断っていない限りDによる。)

 人生の最期の場面において、イギリス王家の一員として、敵たるフランス王家と対峙した点をとらえて、イサベラがこの映画の中で善玉扱いされたことは理解できるのではありませんか?

(続く)