太田述正コラム#4515(2011.1.23)
<皆さんとディスカッション(続x1084)>

<Tetsu>

 戦後の日本で軍部の評判が悪いのは五・一五事件や二・二六事件のせいじゃないですか。

<太田>

 昨日のオフ会の3次会の席上での上記ご質問にお答えしなかったので、きちんとしたお答えではなく、とりあえずのお答えをしておきたいと思います。

 まず、念頭に置いていただきたいのは以下の事柄です。

 維新の元勲達が死ぬか老いた状況下で、当時の日本には、英国の、1923年にできた(3)参謀長会議(the Chiefs of Staff Committee。3軍目の英空軍が1918年にできていた)
http://en.wikipedia.org/wiki/Ministry_of_Defence_(United_Kingdom)
に相当する、陸海軍の調整機関も、1927年にできた国防大学(Royal Defence College)
http://en.wikipedia.org/wiki/Royal_College_of_Defence_Studies
に相当する、将官相当直前の陸海軍軍人と外交官等の間に共通認識と友情を醸成する機関もありませんでした。
 また、世界恐慌という非常時において、英国は1931年に既に挙国一致内閣になっていましたが、世界恐慌に加えて、世界恐慌に伴う経済ブロック化の動きと、1931年の満州事変に象徴される支那情勢の悪化(=赤露の脅威の増大)、更には日本と英米の離間、という、英国よりもはるかに深刻な非常時に突入していたにもかかわらず、五・一五事件の時点では日本はまだ挙国一致内閣になっていませんでした。
 (英国防大学に類した内閣総力戦研究所が日本にできたのは1940年9月(コラム#4193)、英参謀長会議に相当する(平時の)大本営が設置されたのは1937年11月
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E6%9C%AC%E5%96%B6
、と英国に比べて大幅に遅れました。)

 その上で、まず、五・一五事件を見てみましょう。

 「・・・<1932年5月15日の五・一五事件は、>大日本帝国海軍の青年将校を中心とする反乱事件。武装した海軍の青年将校たちが首相官邸に乱入し、・・・犬養毅首相を暗殺した。・・・
 犯人のうち軍人は軍服を着用して事件に臨んだものの、・・・武器は民間から調達され、また将校達も部下の兵士を動員しているわけではないので、・・・同じ軍人が起こした事件でも、二・二六事件は実際に体制転換・権力奪取を狙って軍事力を違法に使用したクーデターとしての色彩が強<いの>に対して本事件は暗殺テロの色彩が強い。・・・」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%94%E3%83%BB%E4%B8%80%E4%BA%94%E4%BA%8B%E4%BB%B6 ※
 「・・・五・一五事件を起こした海軍青年士官の指導者・・・藤井斉<(1904年生〜32年2月5日戦死)>・・・は・・・王帥会を組織<したところ、>・・・<同>会は政党政治を非難し、国家の改造を目的としたものであった。・・・」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%97%A4%E4%BA%95%E6%96%89

→「政党政治を非難し」を「挙国一致内閣を求め」と読み替えれば、このテロリスト達の要求はおかしくはないのであり、実際、五・一五事件の後、日本は挙国一致内閣時代に入るわけで、テロリスト達は目的を達したと言えるわけです。
 なお、もう一つ興味深いのは、事件実行者達が、基本的に海軍将校と陸士学生から成っていた(※)ことであり、トップダウンで何もやらない政府に代わってボトムアップで陸海軍軍人間において共通認識と友情を醸成する試みが行われていたかに見えることです。(太田)

 「<犬養は、>宮崎滔天ら革命派の大陸浪人を援助し、宮崎に頼まれて中国から亡命してきた孫文や蒋介石、インドから亡命してきたラス・ビハリ・ボースらをかくまったこともあった。・・・
 犬養は満州国の承認を迫る軍部の要求を拒否し、中国国民党との間の独自のパイプを使って外交交渉で解決しようとした。犬養の解決案は、満州国の形式的領有権は中国にあることを認めつつ、実質的には満州国を日本の経済的支配下に置くというものだった。かねて支援していた元記者の萱野長知を上海に送って、国民党幹部と非公式の折衝に当たらせた。しかし・・・対中国強硬派の森恪が内閣書記官長の職に居た。・・・。森は犬養の推進する対中融和路線には不満で、辞表を提出して犬養を困らせていた。犬養は秘密裡に交渉を進めていたが、交渉が煮詰まった段階で森の知るところとなり、森が萱野からの電報を握りつぶしてしまった。中国が最終的に犬養案を飲んだかという疑問は残るが、成功の可能性のあった交渉は挫折してしまった。・・・」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8A%AC%E9%A4%8A%E6%AF%85

→赤露の手先たる中国国民党政権との宥和政策など成り立つわけがないのであり、それを追求した犬養を指弾した、テロリスト達は、(テロは非難されるべきことは当然ですが、)必ずしも間違っていたとは言えません。(太田)

 では、次に二・二六事件を見てみましょう。

 「・・・<1936年2月15日から29日にかけての二・二六事件の>蹶起趣意書では、元老、重臣、軍閥、政党などが国体破壊の元凶で、<1930年の>ロンドン<海軍軍縮>条約と<1935年7月の真崎>教育総監更迭における統帥権干犯、<1930年の>三月事件の不逞、<1935年2月の>天皇機関説<事件に見られる天皇機関説>一派の学匪、共匪、<1935年12月の>大本教<事件>などの陰謀の事例をあげ、依然として反省することなく私権自欲に居って維新を阻止しているから、これらの奸賊を誅滅して大義を正し、国体の擁護開顕に肝脳を竭す、と述べている。・・・
 大蔵大臣(元総理)高橋是清は陸軍省所管予算の削減を図っていたために恨みを買っており、襲撃の対象となる。
 積極財政により不況からの脱出を図った高橋だが、その結果インフレの兆候が出始め、緊縮政策に取りかか<ったものだ>。・・・」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%8C%E3%83%BB%E4%BA%8C%E5%85%AD%E4%BA%8B%E4%BB%B6

→日本帝国及びその勢力圏においては経済高度成長軌道に乗っていたけれど、四囲の国際情勢は悪化の一途を辿っていた中で、クーデター実行者たる陸軍青年将校達は、世論を踏まえた、国防機構の一元化、軍事費非削減/軍事費増大を求めたものと解すれば、(クーデターが非難さるべきことは当然ですが、)この要求は必ずしも間違っていたとは言えません。
 残念ながら、1936年中に、(ナチスドイツの勃興を踏まえて)英国は国防調整相(Minister for Coordination of Defence)ポストを設け
http://en.wikipedia.org/wiki/Minister_for_Coordination_of_Defence
(、更に、第二次世界大戦が始まってから1940年には国防相(Minister of Defence)ポストを設けチャーチル首相が国防相を兼務し)
http://en.wikipedia.org/wiki/Ministry_of_Defence_(United_Kingdom)
たけれど、戦前の日本は、ついにそれに類するポストないし役所をつくることはありませんでした。
 そして、そのような偏波な体制の下、1936年末には、関東軍が内蒙工作を決行して失敗し、翌1937年には日支戦争が始まってしまい、1940年における対英のみ開戦の千載一遇の機会を逃したまま、太平洋戦争へとなだれ込んで行くわけです。(太田)

 さて、ここからは、私の日本型政治経済体制論をある程度分かっておられる方でないと、理解するのがむつかしいと思いますが、分散型にしてボトムアップ型、かつ情報共有型である日本型政治経済体制への先祖返りが進展していたところの、どんどん軍事に向かない社会へと変容しつつあった当時の日本において、なおかつ、質量共に充実した軍事力を持たなと日本帝国が滅びる、という認識を持っていたと思われる、当時の陸海軍の青年将校、ないしはその卵達が抱いていた危機意識、焦燥感がどれほどのものだったか、を忖度していただきたいのです。
 そのことは、陸海軍、とりわけ陸軍の上層部も十分認識していたと思われるだけに、青年将校らのはねあがり行動に対する上層部の対応が甘くなりがちだったわけです。
 ちなみに、(皆さんの頭が混乱しないことを祈りますが、)皮肉にも、青年将校らのはねあがり行動とは、要するトップと情報を共有するに至っていたボトムによるボトムアップ的行動(下克上)であり、それはまさに日本型政治経済体制化が陸海軍においても進展しつつあった症候でもあるんですね。
 
 
 それでは、記事の紹介です。

 BBCが番組制作会社と共に謝罪したってさ。(コラム#4515参照。)↓
http://www.bbc.co.uk/news/entertainment-arts-12260577

 女性の政治家の方が地元に予算を持ってくる力も、立法能力も、男性政治家よりも上であることが分かった。
 ただし、これは、女性差別の中で、少数の優秀な女性が頑張ってるからだろうってさ。↓

 ・・・The research is the first to compare the performance of male and female politicians nationally, and it finds that female members of the House rout their male counterparts in both pulling pork and shaping policy. ・・・
 the women themselves—specifically, their skills at "logrolling, agenda-setting, coalition building, and other deal-making activities"—that are responsible for the gender-performance divide.
 So are women just innately better politicians? Probably not. More likely・・・in order to overcome lingering bias against women in leadership positions, those women must work that much harder to be seen as equals.・・・
http://www.newsweek.com/2011/01/22/why-female-politicians-are-more-effective.html
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太田述正コラム#4516(2011.1.23)
<2011.1.22オフ会次第(その2)>

→非公開