太田述正コラム#4448(2010.12.20)
<東と西(その2)>(2011.1.20公開)

 (2)方法論

 「・・・モリスは、西の諸社会の優位が「何か、いわゆる、自由、合理性、或いは寛容といった「西の」独特の諸価値」を遵守したことによるものである、とは想像しない。
 そうではなくて、彼は、法則によって規定された歴史の科学にほかならないものを開発する意図の下、唯物論的説明を提供する。・・・」(B)

→このような発想は、イギリス人特有の、アングロサクソンと欧州という対立的構図を隠蔽するための無意識的韜晦の産物である、というのが私の見解です。
 アングロサクソン的価値である「自由」や「寛容性」に着目した瞬間、かかる韜晦は不可能になるからです。(太田)

 「・・・モリスの畳句は、人類の運命の大部分は、地理、及び、普通の人々が、(この著者が、「黙示録の5人の騎士(horsemen)」と描写するところの、)気候変動、飢饉、移民、疾病、及び国の失敗、の襲来に対処しようとする努力、によって形作られるとの信条を指しているところの、「野郎(chaps)ではなく地図(maps)<が歴史を規定する>」というものだ。

→ここは、かなり異質ではあるけれど、、和辻哲郎の『風土』(コラム#3666)を何となく思い起こさせますね。ただし、和辻も、イギリス流の上記韜晦にたぶらかされた日本の知識人の一人(コラム#1035)ですが・・。(太田)

 彼は、「歴史が我々に教えているのは、圧力がかけられると変化が起こるということだ」と主張する。
 彼が、ややもすればうるさいまでに言及する、彼の言うところのモリス定理とは、「変化は、怠け者で欲張りで臆病な人々が、物事をなす、より容易で、より儲けることができて、より安全な方法を捜すことによって生じる。その彼らは自分達が何をやっているのかがほとんどの場合分かっていない。」というものだ。・・・」(E)

→大衆史観そのものには違和感は覚えませんが、その大衆の属性としてモリスが「怠け者」や「より容易・・・な方法を捜す」(コラム#81)を挙げた瞬間、モリスはやっぱりイギリス人なんだな、と思いますね。(太田)

 「・・・<かかる前提に立ち、モリスは、>都市化度、戦争遂行能力、情報技術力、そして「エネルギー捕獲度(energy capture)」、すなわち、平均的人物が自分の目的のために利用することができるエネルギー量<、でもって、特定の社会の発展度を数値化し、相互比較する。>・・・」(F)

→これが社会発展度の指標として最適なのか、それとも、データが集められるのはこういったものだけということなのか、そのあたりは、本そのものにあたらないと、よく分かりませんね。(太田)

 「・・・モリスの評価では、個人は、ほとんど取るに足らない存在なのだ。
 実際、彼は、文化、観念(idea)、及び信条は、社会発展の駆動エンジンではなかった、と主張する。・・・
 ・・・恐らく、文化は、せいぜい500年の期間についての説明に資するだけであって、何千年にもわたる巨大な数の人々のことを考え始めるにつれて、その重要性は減じて行くのだ。・・・

→文化は500年でも、文明は何千年の説明に資すると思いますね。
 「風土」≒「地図」が文明を創りだし、その文明が舵をとり、広義の経済(唯物的なもの)が駆動エンジンとなる、というのが私のマクロ史観なのですが・・。(太田)

 ・・・彼の、人類についての大きな物語は、3つの要素からなる。
 生物学、社会学、そして地理学だ。
 生物学は、我々は、全員、物事を行うための、より容易で、速くて、安全な方法を捜すところの、好奇心のある賢いチンパンジーであることを説明する。
 どこにおろうと、人々の大集団はまことにもって同じようなもの(、つまり、賢いチンパンジー)だからして、社会学は、特定の諸社会を変化させる諸観念がどうして<当該諸社会において>人気を博するのかを説明する。
 地理学は、人々の大集団は、まことにもって同じようなものであるにもかかわらず、どうして異なった発展をするのかを説明する。
 要するに、どうして西が今日支配しているかの答えは、地理にあるのだ。・・・」(F)

→繰り返しになりますが、これが、「風土」≒「地図」が歴史を規定する、という趣旨であれば、私も同感です。(太田)

 (3)西の優位

 「・・・モリス氏は、彼の物語を50,000年より前から始める。
 しかし、<彼が>本当に<物語を>始めるのは、今から12,000年前後前の最後の氷河期が終わった後における、農業の始まりと大規模組織諸社会の生誕からだ。・・・
 東で似たような前進が始まるよりも約2,000年前に、西において<社会的>発展が始まった。
 この西のリードは、紀元前1,000年位から縮まり、その後は、東と西はほとんど同じ水準でローマ帝国の緩慢な崩壊まで推移した。
 <この当初の>西の社会的発展の頂点<の時の東の社会的発展との落差>は、17世紀という現代初期の始まりまで、再び現出することはなかった。・・・」(E)

 「・・・モリスの説明によれば、西の優位の究極的起源は、同じことが東で始まる約2,000年前の紀元前9.500年に西方の核的な場所で植物と動物の馴致(domestication)が出来した点に見出すことができる。・・・
 5,000年前、エジプトとメソポタミアにおいて、社会は最も速く発展しており、<現在の>ポルトガル、スペイン、フランスと英国の<一帯の>地理的位置は欧州から大西洋へと着き出していて、それは大いなるハンデであった<ため、当時この一帯の社会は停滞していた>のだ。・・・」(B)

→こういったことを、モリスは、上記指標を援用して説明しているのでしょうが、本に実際あたってみたいという気持ちにさせられます。(太田)

(続く)