太田述正コラム#4288(2010.10.1)
<ナチス親衛隊(その2)>(2011.1.14公開)

  (2)SS

 「・・・SSは、最初は突撃隊(Storm Detachment、縮めてSA)の小さな1部門に過ぎなかったが、半ば独立していてヒットラーの党に対する覇権的脅威であると見られるに至ったSAとは対照的に、ヒットラーへの排他的忠誠心のおかげで規模と権力を増大させた。・・・」(E)

 「・・・冴えなかった前任者が解任され、1929年に若きハインリッヒ・ヒムラーが長になると、SSは、<ヒットラーの護衛を>はるかに超えた様々な大志を実現するための手段となり始める。
 ヒムラー(1900年生まれ)は、ヒットラーの魔力にとらわれた瞬間から、ほとんど第三帝国の終焉に至るまで、無条件にこのナチスの指導者への忠誠を尽くした。
 彼は、学歴が高く、ばりばりの中産階級の出身(彼の父親は、ババリア王室の家庭教師だった)であり、勤勉にしてとてつもない大志を抱いていた。・・・
 ヒムラーのビジョンに従い、SSは、すぐに自治的組織へとつくりかえられ、軍事的スタイルの階統制で再組織され、<SAの>茶シャツ隊(Brownshirts)の混沌たる大衆運動と区別するためにスマートな新たな黒の制服をあてがわれ、人種的にも、そしてイデオロギー的にもエリートたるべきこととされた。
 ウィールは、ヒムラーの1931年12月31日の指令を引用する。
 そこには、彼の目的は、「厳格に北欧ドイツ的な世襲的にして健康なる種族を創造することである」と述べられていた。
 SS要員は、彼等の身体的健康と人種的純血を証明しなければならず、相手<たる女性>の適格性を証明するものなくして結婚することは許されなかった。
 ヒムラーの、歯に一つでも詰め物のある男でさえこの組織の一員になることはできないとの自慢が実行不可能であることは、余りにもはっきりしており、ウィールが指摘するように、その他の身体的基準についても、SSが量的に拡大するにつれて、とりわけ戦争中には、すぐに緩和されて行った。
 それどころか、人種的純血でさえ、最初の最初から水で薄められた。
 1932年から40年にかけて、SS要員で結婚許可証を申請した106,304人中、人種的・身体的要件を充足していたのは、わずか7,518人にとどまる。
 それでいて、申請が却下されたのは1,000人未満だったからだ。
 ウィールは、・・・ヒムラーのイデオロギー中の、ナチズムの核心的諸信条をはるかに超えるところの、ぶっ飛んでいる部分に十分な注意を払っていない。
 太陽崇拝やSSの結婚式でのヴォタン(Wotan<。北欧神話の神々の住む世界たるアスガルド(Asgard)の支配者オーディン(Odin)の高地ドイツ版
http://en.wikipedia.org/wiki/Odin (太田)
>)とトール(Thor<。北欧/ドイツ神話における、ハンマーを振りかざし、雷、稲妻、嵐、樫の木、力、破壊、豊饒、癒し、人類の保護と結びつけられる神
http://en.wikipedia.org/wiki/Thor (太田)
>)の霊感を祈る神秘的な言葉といった、疑似ドイツ的宗教的カルトのSSへの導入は、ヒットラーによって嘲られた。
 何と言っても、ヒットラーは、ナチズムの触れ込み上、世俗的にして科学的な基盤を強調する演説・・「我々はカルト場ではなく、スポーツ・アリーナを持っている」・・を1938年に行ったくらいなのだから・・。
 1934年6月に茶シャツ隊<(SA)>がヒットラーに対して叛乱を起こすと脅した時、ヒムラーは、機会が訪れたと感じた。
 <ヒットラーがSSとゲシュタポを使って、茶シャツ隊のうち200余名を殺害した>「長いナイフの夜事件<=「レーム・プッチ」。当時のドイツの裁判所も内閣もこの違法な殺害行為を黙認した。
http://en.wikipedia.org/wiki/Night_of_the_Long_Knives (太田)
>」において、茶シャツ隊を暴力的に制御するための手先として奉仕することでヒットラーへの忠誠を証明した後、SSは急速に拡大し、1936年には(ゲシュタポを含む)警察を吸収し、戦争が始まると、・・・1940年8月には(E)・・・軍事部門であるヴァッフェンSSをつくりあげ、やがてヴァッフェンSSは90万人以上の勢力になった。・・・」
 (以上、特に断っていない限り、(B)による。)

 「・・・ヒムラーがゲシュタポのコントロール権を得た1934年に、ヒットラーはSSに強制収容所を全て管轄させることにした。
 1944年7月に、正規軍の将軍達によるヒットラー暗殺計画が出来すると、総統は正規軍への信頼をなくし、計画者達とその家族達に対して行動したSS、就中ヒムラーに対する信頼を深めた。・・・」(E)

 「・・・ヒムラーは、ユダヤ人絶滅計画(the Final Solution)の首魁的構築家だ。・・・」(E)

 「・・・SSは、自分が管理運営していた強制収容所群に強制労働力を供給しただけでなく、主要な製造企業に何十万人もの囚人達を供給して金儲けをしたし、住宅供給会社、セメント業、繊維工場、軍需品製造企業、ほか数々を所有し管理運営した。
 SS内での反アルコール主義の十字軍を追求する過程で、ヒムラーは、英国の所有者達から没収された後のアポリナリス・ミネラル・ウォーター会社を取得したことさえある。
 もっとも、この、気まぐれ的に取得されたビジネス群のごった煮的コレクションは、ナチス経済の既存の経営者達にとって大した脅威たりえなかったと指摘する者もいる。・・・
 <しかも、>この経済諸事業は、教育、出版、プロパガンダ、そして軍事活動等をも包含したSSの諸活動の一つの分野に過ぎないのであって、歴史家の中には、SSが容赦なく拡大し、公式のドイツ国家の諸機能のうちに占める割合はどんどん増大し、それが続けばやがてその全てを飲み込んでしまう可能性があったと指摘する者もいる。・・・」(B)

(続く)