太田述正コラム#4491(2011.1.11)
<皆さんとディスカッション(続x1072)>

<太田>

 コラム#4489で、ロックのことをRockeと書いていたのに気付いて仰天。(ブログは訂正済み)

<ΔσσΔ>(「たった一人の反乱」より)

≫ウィキペディアって10年前に始まったばかりなんだね。ボクが娑婆に飛び出したのも10年前だけど、負けそー。≪(コラム#4489。太田

「負けそー」って、ウィキペディアと何を競っているんだろう・・・。

<太田>

 一人の人間の営みがどれだけ世の中に影響を及ぼすかについてに決まってんだろ。

<ΔΔσσ>(「たった一人の反乱」より)

 <コラム#4489で>翻訳も含めた解説をしていただき、お手数をおかけしました。
 太田さん、ありがとうございます。
 ウィキペディアを批判的に読めば、自然法は大陸合理主義に由来することがわかりました。
 適当すぎる問題提起ですみません。
 よろしければ、改めて太田さんに質問させてください。

コモン・ロー
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B3%E3%83%A2%E3%83%B3%E3%83%AD%E3%83%BC

 コモン・ローが、アングロサクソン成立以来、伝統や慣習、先例を積み重ねてきて研鑽され法体系として確立したもの、という認識でおおむね間違いがないとしたら、『実証主義で用いられるところの自然科学等による実証』と『コモン・ロー』は、その法の根拠において対立するものでしょうか、それとも互いを補うことができるのでしょうか、もしくは広義のデータという点でそう変わりの無いものなのでしょうか。

 『実定法(じっていほう : ius positivum)とは、人為により定立された法又は特定の社会内で実効的に行われている法のことをいう。人定法とも。人間や事物の本性を基礎とする法とされる自然法と対立する概念である。』
 『・・・実際には慣習法や判例法も含む概念であることに注意を要する。』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%9F%E5%AE%9A%E6%B3%95

 自然法を廃した実定法において、慣習法や判例法も含まれるということは、自然科学等による実証は有力であっても、それが即ち絶対であるというわけではない、という風になってしまうのでしょうか。

 『悪法問題
 法実証主義には、それが正義や善といった価値から法を切り離してしまう(「悪法も法である」)ので、悪法に対する批判的態度を失わせる、といった批判がなされ、また法実証主義は戦後、ナチス体制化における悪法批判の基礎にならなかったとして、自然法学派からの批判にさらされた。
 グスタフ・ラートブルフの確信犯論が著名。
 しかし、法実証主義は、法概念論(法の認識)と法価値論(法の評価)との峻別を主張するのみであって、法価値論の放棄を説くものではない。実際、ベンサムのコモン・ロー批判、ハートのリーガル・モラリズム批判、ケルゼンのイデオロギー批判など、法実証主義者は多くの場合、精力的な悪法批判者でもある。法実証主義は、法の存在条件を社会的事実のみに求めるので、法が法であるというだけで遵守されるべきだとは主張しない。したがって、「悪法もまた法である。しかし、法だからといって従う義務はない/従うべきではない。」というのが、法実証主義の一般的主張である。』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B3%95%E5%AE%9F%E8%A8%BC%E4%B8%BB%E7%BE%A9#.E6.82.AA.E6.B3.95.E5.95.8F.E9.A1.8C

 (ナチスによる)悪法問題は法実証主義の問題というよりナチス自身の欧州的問題に由来するような気がしますが、問題としたいのはそこではなく、法実証主義者も法価値を放棄するものではない、というところです。法価値の有用性を認める以上、『実証』の絶対性のみをもって法の根拠は決められず、『悪法』に対する批判的態度を加味した上で法の根拠は決まる、ということになると思いますが、『悪法』に対する批判的態度とは、イギリスにおいては≒コモン・ローといっていいのでしょうか。

<太田>

 礼を言っていただき、痛み入るが、毎回「大陸合理主義」的な質問する人じゃらほい。
 こういう話は、英米法系と大陸法系の違いの核心は何か、を押さえておけば、そのほとんどが雲散霧消するよ。

 さあてと。
 「アングロサクソンは、手続き的正義と実体的正義が渾然一体となった慣習法=コモンローを墨守してきました。議会制定法<(=国王)>によるコモンローの改廃を基本的に認めないという考え方です。」(コラム#48)、「イギリスのコモンロー的自由の精神に育まれた経験論的伝統」(コラム#46)とこれまで書いてきたけど、典拠を示していない。
 太田コラムを書き始めた頃は、今みたいに典拠について厳格な考えを抱いていなかったということもあるけど、すぐには典拠が示せなかったからだ。
 タネ明かしをすれば、これらは、昨年の暮に亡くなった伊藤正己元最高裁判事
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BC%8A%E8%97%A4%E6%AD%A3%E5%B7%B1
の東大教授時代にボクがとった、彼の「英米法」の授業で聞いた話がそもそもの大本なんだな。
 改めて典拠をインターネットで探してみたところ、「手続き的正義と実体的正義が渾然一体」についてだけど、こんなのがあったな。↓

 「12世紀の<イギリスの>裁判官達は、・・・司法手続き(judicial proceedings)に関して、自然法から抽出された・・・自然的正義(natural justice)であるところの、・・・それが何であれ、決定されたこと<の中身>が正義にかなっていてかつ公正であるだけではだめなのであって、正義がそのような<=正義にかなっていてかつ公正である>形でもたらされたように見えなければならない、・・・という法<原則>をつくりあげた。・・・
 <この法<原則>は、>米国を含む、すべてのコモン・ロー法系<諸国>で一般に守られている(followed)。<しかし、>このことは、大陸法系<諸国>(civil law legal systems)には必ずしもあてはまらない。」
http://en.wikipedia.org/wiki/Principles_of_natural_justice

 アングロサクソンにおける自由とは何か、従って自由主義(リベラリズム)とは何か、がここから分かるよね。


 それでは、記事の紹介です。

 女性下院議員ら、多くの人々を銃で殺傷した事件にからんで、米国の銃規制を強化すべきであるとする記事が、十年一日の如く、また出てる。↓

 「<銃保有が認められていない>精神疾患記録の約80%から90%が、つきあわせがされるデータベースに入力されていない。・・・
 <銃規制を推進している、元レーガン大統領の報道官で故人のブラディ氏の名前を冠した>ブラディ運動(Brady Campaign)は、「議会が<半自動ないし全自動の銃規制を行う>「軍用兵器禁止(Assault Weapons Ban)」法が2004年に失効することを認めていなかったら、今回の犯人・・・は再装填しなければ10発しか撃てなかったはずだ。ところが、彼は自分の30発弾倉でもって少なくとも20発撃ったのだ。」という声明を行った。」
http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2011/01/10/AR2011011004763_pf.html

 映画評論(コラム#4180)の対象にしたTVシリーズの'Band of Brothers' の実在の主人公、ウィンタースさんの訃報記事が出てた。↓
http://online.wsj.com/article/SB10001424052748703779704576073703340092680.html?mod=WSJASIA_hpp_editorsPicks_1